第8話
小屋に戻ると既に村長は床についていた。乾燥させた草木を敷き詰めただけの簡易的な寝床で横になり、古ぼけた布を体に被せて。
同じセットが後2つ用意されていたのでニコルはそこで横になる。ヒルデはもう少し外にいると、ニコルを小屋まで見送った後、森の方に消えていった。
(いいじゃないか。旅。僕がやるべきことをする旅だ)
ニコルは心のなかでそう思いながら、固い地面から伝わる冷たさを感じつつ眠りについた。
翌日。
ニコルが目を覚ますと、小屋には村長もヒルデもいなかった。小屋の外からはバタバタと物音が聞こえ、慌ただしさを感じる。
小屋の出口の方では村長が外に向かって話しているのが見える。
「どうしたんですか?なにか問題でも?」
ニコルは起き上がり、背後から村長に話しかける。村長の向こう側には村の獣人達が小屋を囲うように並んでいる。
昨日の穏やかさとは正反対。まるで最初の夜のようなさっきに満ち溢れた眼差し。
「やっぱりそいつ人間の密偵だったんだ!」
「ヒルデをどこにやった!」
「縛りつけろ!今度こそ殺してやる」
物騒な言葉が獣人達から放たれる。中には木の棒をもって毛を逆立てて今にも襲ってきそうなものまでいる。
「起きたか。人間よ」
村長は首だけ少し回し、こちらに鋭い視線を送る。
「何事ですか?」
「ふむ。時間も惜しい。簡潔に話すとじゃな。昨晩からヒルデが帰ってきておらんのじゃ」
「ヒルデが?なんで?僕と一緒にここまで戻ってきて、それから森に……」
そこまで話してニコルは気がつく。それを見た者は誰もいない。村長はニコルとヒルデが2人で外に出かけたとろまでしか知らない。小屋まで一緒に戻ってきたことはニコルしか知り得ない。
「だからそれをお主に聞いておるんじゃ」
ゆっくりと村長が振り向く。眼光は刺すように光を放ち、口元から見える牙が鈍く輝く。
「森の入口辺りで、人族のものらしい足跡が見つかった。数からしてそれなりの規模じゃ。騎士もおるじゃろ」
(つまり何か。僕は今、人族の使い走りかとまた疑われているのか)
「奴らの狙いはわからぬが、武装している以上、争いになるかもしれん」
(人族はそうまでして、獣人になにを求めているんだ……)
ニコルは焦りながらも「知らない」と強く否定することしか出来ない。しかしそれを証明する手段はない。
「久々に人族と心を通わせることが出来たかと思っていたが……」
グワっと村長の口元が大きく開かれる。
「たかだが人間の若造1人がヒルデをどうこうできるとは主なぬが……貴様!返答次第では今すぐここで喉元噛み切ることになるぞ!」
鼓膜が割れんばかりの怒声。狼獣人の特性である、威嚇。これだけで恐怖のあまり、立っていることすらままならなくなる者もいる。その吠え声に合わせて他の獣人もにじり寄る。
(ピンチばっかりだな、この人生)
なんとか気合で持ち堪えるもニコルは後退りするしかない。とその時ニコルは思う。こっちに来てから後ずさってばかりだと。だから今は、決意を固めた今こそは。
「信じて欲しい!」
一歩前に足を進める。
そしてその言葉と重なる叫び。
「待ってくれ!!」
声の主、ヒルデが獣人達の壁を飛び越えて村長の横に降り立つ。
「あたしは、大丈夫だ。ニコルもきっと何も知らない」
息を切らしながらヒルデは村長の肩を掴む。
「ヒルデ!お前今までどこに?」
驚く村長の問いかけを無視する。
「なぁ。そうだよな?ニコル?」
焦りと困惑と悲痛に顔を歪ませて、ヒルデは懇願するようにニコルに問いかける。
「あぁ。大丈夫だヒルデ」
間一髪。ヒルデがなんのことを言ってるのか分からないがとりあえず、同意する。
「なにがあったんだ。聞かせてくれ」
ヒルデは踵を返す、集まる獣人に向けて話す。
「人族だ!人族の兵士が沢山!もう森の中をこっちに向かって進んでる」
「それは知っている!そいつも奴らの味方なんだろ!」
1人の獣人から声が上がる。
「違う!……と思う」
再びヒルデはニコルをみ見る。深く頷くニコル。
「とにかくここが奴らがここにたどり着くのも時間の問題じゃ。奴ら土地を奪って自分たちの領土にするつもりじゃろ。過去の栄光にすがりおって」
村長が拳を強く握りしめる。
「今儂らに出来ることは、戦うか、逃げるかしかない」
静まり返り話を聞く獣人達。
「200年。200年逃げ続けてようやっと、今があるんじゃ」
表情を険しく、そして牙を剥く村長。
「そうだ……また俺たちが奪われるなんておかしい!」
ひとりの獣人が叫びを上げる。それにつられるように、他の獣人たちも声を上げる。
「戦おう。儂らの生活を守るために」
村長の言葉に獣人達はそれぞれの吠え方で呼応する。
ヒルデはどうしたらいいかわからない、そんな表情でニコルと荒ぶる獣人を交互に見る。
ニコルは――男は知っている。集団が暴力に訴えかけるその時を。それがどんな悲劇を生むのかを。
そして彼はこの状況を覆す術を持っていることも。
彼の頭の中で文字が、言葉が、文章が、走り出す。
「少しいいですか?」
狂乱に水をさされた獣人達はニコルを睨みつける。殺気のこもった視線。それに対してニコルは小さく笑みを浮かべる。
「お主。すまぬが、これは獣人の問題だ。お主は人族で向こう側じゃ。森を抜けて匿ってもらうのがいい」
目を血走らせている村長も、怒りがこもった口調でニコルに応える。
「違うんです。僕にならなんとか出来るかもしれない。血を流すことなく、それでもってみんなが今の暮らしを続けられるように」
笑みは失せ、視線はまっすぐに村長を見つめる。せっかく世界は平和になろうとしてるんだろう。歩むべき道はそっちではない。あぁ、これほどまでにドラマチックな展開あるのか。
一歩前に踏み出すニコル。その一挙手一投足が芝居のよう。
「本当に人族が武力で攻めて来てたとして、今日人族を退けても、次は倍の数、その次はさらに倍。きっと永遠と繰り返される。数で及ばない皆は最終的には……結果は見えてる」
よく伸びる声は森まで届くかの如く。
「わかっておる。しかし、儂らはもう逃げぬ。逃げ続けるのはもう懲り懲りなんじゃ。戦い抜くしかないんじゃ!」
村長は大きく口を開け、獰猛な牙を見せる。
「子どもたちは!」
その怒声に負けないくらいに大きな声でニコルも叫びを上げる。
「子どもたちの命を繋いでいくのが使命だって昨日言っていたじゃないか!戦いなんてしたらどうなる!」
その人族の叫びで一瞬にして、獣人族の興奮が収まる。
「みんなが進むべき道はそうじゃない。きっとそうじゃないんだ」
ニコルは続ける。
「楽しく生きられる。そんな道を選べるって」
また一歩踏み出す。
「人族の僕がこんなこと言っても信じられないかもしれない。それでも信じてくれないか。僕がなんとかする」
彼の目の前には彼にしか見えない光の言葉が浮かぶ。
――女神の祝福を行使できます。行使しますか?
(ああ。使う)
――女神の祝福“
『僕ならなんとか出来る。絶対にだ』
彼の瞳は金色に輝いている。
金色に輝く瞳。それは”女神の祝福”が行使された合図。
ニコル、彼が女神から受けた祝福は、世界の紡ぐための言葉。“
彼が紡いだ言葉は因果を超えて、彼が望む物語へと世界を導く。
対価は”演芸”の奉納。演芸で女神を満足させられればその分だけ、運命を超える言葉を紡ぐことが出来る。
本来であれば、望む結末を言葉で紡ぎ出すことで、それに合わせて過程はどうあれ世界がそれに向けて動くような仕組みだが、ニコルは<過程まで含めて>物語として言葉を紡ぐ。
仕組み上は遙か未来の結末を指定して、大きく世界を変えることすらもできる、破格の性能を持った祝福ではあるが、そのために必要な奉納は莫大なので現実的ではない。
結果的にこの力は直面している現実の少し先の結末を少しだけ変えることが出来るに留まる。
――奉納が足りません。祝福の実行に失敗しました。
世界をそう簡単に導きけない。
しかし彼は紡ぐ。
世界のための物語を。
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