第7話
青年と村長が小屋に戻ると、ヒルデが火鉢で肉を焼いており、小屋の中には香ばしい肉の匂いが充満している。
「おかえり
「あぁ。ただいま」
2人は多くを語らない。村長はそのまま、火鉢の横に座り込み木製の器に小さな木の実を入れて、木の棒ですりつぶし始める。
「お主は座っておれ。いい肉は美味く頂かんとな」
青年は言われるがままに丸太代わりの椅子に腰を降ろす。
肉から滴る油が火鉢に落ちては、バチバチと音を立てる。
先程すりつぶした木の実の粉を肉に上から振りかける村長。
「ヒルデ、そろそろいい加減じゃろ」
ヒルデはじーっと青年を見つめており、肉に気が向いていなかった。
「おっと。焦げる焦げる」
村長の言葉でぱっと我に返り、肉を引き上げて、木の板の上に乗せて、青年の前に並べていく。村長はいそいそと先程の粉を器によそって、少しずつ水でふやかしている。
青年は黙ってその光景を見ていた。
そうこうしているうちに、気がつけばテーブル代わりの大きめの丸太にはこんがりと焼かれたボアの肉が乗せられた3枚のプレートとふやかされた粉の入った器、得体のしれない液体につけられた根菜が並んた。
食器なのだろうか、二股に分かれた先端を尖らせるように削られた木の枝も目の前に置かれている。
肉は赤みが強く脂身は少なそうだが、汁が肉肌を輝かせている。
(そういえば、何も食ってなかったな)
眼の前に食事を並べられて初めて自分の空腹に気がつく青年。あまりにも多くのことが起こりすぎて、空腹すら忘れていた。
食欲をそそる肉の香りが鼻腔をくすぐる。
「ほれ。食べなさい。お主も一緒になって仕留めた獣じゃ。遠慮はせんでええ」
遠慮しているわけではなく、本当に食べてもいいものかどうかをじっくりと観察しているだけの青年。脳裏をよぎるのはあのひとつ目の化け物。
「あの……でっかい獣の肉なんですよね?」
「あぁそうじゃよ。魔獣の肉は精がつく」
村長はそう言うと木の棒で、肉を突き刺し、口元に運ぶ。食らいつけば肉はすぐに噛み切られ、咀嚼して嚥下。
口元の髭に肉の脂が付着する。ヒルデも同じように肉を食っては、粉汁を飲む。
空腹には勝てない。
意を決して、同じように肉に食らいつく青年。
硬い。
思ったよりも固く、噛めば肉汁が口に広がる。
(うっ。全然噛み切れない)
よく見れば立派な犬歯で器用に肉を噛み切っている2人。
存外獣臭さはあまりなく、味はそこそこ食えるものだった。しかし硬い。
なんとか両手を使って噛み切り、何度も口の中で咀嚼を繰り返す。それでも肉を細かくすることは叶わず、結局粉汁で流し込むしかなかった。
胃袋が突然の来訪者に驚きながらも、待ってましたと言わんばかりに稼働し始めるのがわかる。
「美味い……」
味ではない。とにかく美味いのだ。人が生きるうえでどれだけ、食がどれほど重要なのか改めて感じた。
3人は黙々と食事を続け、気がつけば日は既に落ちていた。窓から差し込む光は失せ、火鉢が放つ微かな光だけが部屋を照らしている。
パチパチと小枝の爆ぜる音が響く。
「して、お主これからどうするつもりかのう?」
村長は髭についた肉汁を起用に舌で舐め取って尋ねる。
「ここは獣人の村じゃ。お主のことを悪く思っている連中はおらんが、それでも長居するには居心地が悪かろう」
満腹、とまでは行かないが腹が満たされて頭が働き始めた青年は、改めて考える。
自分の生き方を。二度目の人生の歩み方を。
「旅に、出ようと思います。この世界をこの目で見るために」
「人族の王国に向けてか?」
「いいえ。いずれは向かうかもしれませんが、まずは各地を巡ってみたいなと」
そうして、彼らに届けられるものを届けようと。
「そうか……どこに向かうにしても、それなりの旅路になる。大した手助けはしてやれんが、力になろう」
村長は小屋の奥に引っ込んで、ひとつの大きな鞄を持ってきた。二本の背中あてがあり、背負うタイプのものだ。
「大昔の人族の冒険者の道具が入っておる。お主にやろう」
衣類と革製の靴や防具、それに小剣が入ってた。それ以外にも、広さの有りそうな厚手の布や、革製の水筒など。ひとり旅には十分な装備が揃っていた。
そんな、物語でしか見たことのないような品々に目を輝かせる青年。
「いいんですか?」
「宴と肉の礼じゃよ。儂らはもう使わんしな」
笑みを浮かべる村長。
二人の会話を気に留めず黙々と肉を食らっていたヒルデの手が止まる。
「お前も出ていくんだな」
と小さくこぼす
「夜の見回り言ってくる。ついでに食器を洗ってくるよ」
ヒルデはそう言って立ち上がり、机の上に並ぶプレートを回収する。それに続くように青年も立ち上がる。
「僕も一緒に行くよ。それ、もつからいいだろ?」
ヒルデは青年の申し出に視線をやるだけで答え、抱えていたプレートを青年に渡して小屋から出ていった。
青年はヒルデの後を追う。
先程の雲は嘘のようになくなっており、月や星明かりがより明るく辺りを照らしている。雨が降ったのだろう。地面は湿っており、草木は水滴を乗せていた。
通り雨の後の夜風は少し冷たく、青年の頭を冷やすのにはちょうどいい涼しさだった。
(月や星があるということは、この世界も宇宙があるのかな)
青年は夜空を見上げ、その先に少し思いを馳せた。
「星、よく見えるだろ」
青年の少し先を歩いていたヒルデが突然話しかけてきた。2人はその歩みを止めることなくゆっくりと歩き続ける。湿った土を踏みしめると身体が少し沈むようだった。
「ああ。とても綺麗に見える」
「人族の街ではさ、こんなに綺麗に見えないんだ。夜でも街に光が灯っているから」
電気、ではないだろう。この世界の文明レベルははっきりしていないが聞いている限りだと、技術革命までは起きていないと、青年は考える。
「ヒルデは人族の街を知っているの?」
「ずいぶん前のことだけどね。あたしはこの村で産まれたんじゃない。人族の街で生まれ、10年前親に捨てられ、村長に育てもらった」
その言葉は青年に心へ重たく響く。彼女も争いの中で苦しんだのかと。
「両親は?」
「知らない。村長の話じゃ、向こうでずいぶん偉くなっていたそうだけど。大戦が終わって5年も経っても戻ってこないんだから、もしかしたらもう死んでるかもしれない」
星空を見上げる彼女の瞳は、どこか淋しげだった。
「人族の街に行こうとは思わないの?」
「いいだよ。村の皆を裏切って争いに出て、そしてそんな皆にあたしを押し付けた親の尻拭いと、せめてもの恩返しだよ。村の皆への」
この少女はどこまで優しい気持ちを持ち合わせているのか。
青年は聞く。
「ヒルデ……君はそれでいいのかい?」
「いいって何が?」
今朝、寝ぼけ眼で幼子のようにつぶやいた彼女の姿を思い出す。
「親に……お父さんとお母さんに会いたくないのか?」
「だから!いいんだよ……あたしは」
一瞬、声を荒げたかと思えば、今度は消え入るように小さく、諦めの色を感じさせるつぶやき。耳は垂れ下がり、尻尾も元気をなくして地面に付きそうなほどだ。
「あんたさ。旅に出るんだろ。そうしたらヒルデって名前をいろんな獣人に伝えてよ。ヒルデが村で待ってるって」
無理に明るく振る舞おうとしている、そんな気がした。
「それで、もしお父さんとお母さんがまだ生きていて、向こうで暮らしているんだったら一発くらいぶん殴ってやらなきゃっね」
まるで本物の猫のように背筋をぐーっと伸ばすヒルデ。
「そのために、あんたの旅応援するよ」
苦笑いを浮かべる青年。きっと疾うの昔にこの子の心は諦めてしまっている。自分の思いを望みを叶えることを。
「それで、君を知っている獣人に会えたとして、それをどうやって君に伝えるんだい?」
「それは……まぁまた来てもらうとか?」
「それはまた難儀だな」
「でももし……もしお父さんとお母さんが向こうで楽しく暮らしたら、それはそれで寂しいな」
ヒルデは足を止め俯く。少し声が震えている。
「ヒルデ。こっち見て」
青年の呼びかけに応じて、振り返るヒルデ。
青年は、持っていた3枚のプレートを円を描くように空中に投げては掴みを繰り返している。常にどれか1枚のプレートは宙に浮いている。
ジャグリング。
「なんだそれ?」
「んー……曲芸?」
「曲芸ってなんだ」
「人を笑顔にするための技術の1つだよ」
「で、私は笑顔になってる?」
無表情かもしくは、少し機嫌の悪そう表情で訝しげに青年を見るヒルデ。
「ここからが本番だよ」
と青年はいうと、2枚のプレートを宙に投げ、落ちてきたと同時に残る1枚を投げる動きに変えた。
プレートは生命を宿されたかのように飛び上がっては落ちていく。一定のリズムで繰り返されるその動きに、猫の本能なのかヒルデはその瞳を丸くさせ、尻尾がゆらゆらと揺れ動く。
続いてプレート1枚を高く投げ上げ、その場で1回転。落ちてくると同時に2枚を投げ上げ再び1回転。
ヒルデはプレートの動きに合わせて身体を伸ばしたり縮めたりしている。
そして、青年は3枚のプレートを当時に投げ上げ、その場で宙返り。着地と同時に3枚のプレートをキャッチ、とはいかず、高く放り投げられた3枚のプレートは飛び上がったヒルデによってキャッチされてしまっていた。
プレート3枚を手に取り、ふわりと着地するヒルデ。着地したかと思えばそのまま地面に倒れ込んで、プレートとじゃれつく。
(猫だ……)
青年の視線に気がついたのか、ヒルデは少し恥ずかしそうに立ち上がり、衣服についた埃を払う。頬は少し赤みがかり、耳はピンと立ち上がり、尻尾はくねくねしている。
「ま、まぁまぁ楽しいな。やるじゃないか」
楽しみ方は少し違うような気がするが、それでもいいかと青年は思う。
「そうだろ」
満足気に笑って見せる、更に付け加える。
「笑ってるヒルデの方が可愛らしいと思うよ」
赤みがかったヒルデの頬は更に真っ赤になる。
「何言ってるんだ!私は獣人の戦士だぞ」
「女の子は笑ってなきゃ」
青年はそう言ってヒルデの近くにより、手のひらを開いて両手に何も持っていないことを確認させる。片方の手のひらでもう片方を隠したかと思えば、次の瞬間にはその手に小さな花が握られている。
「こんなことも出来るんだ。すごいだろ」
ちょっとした手品。宴会芸などで使えるレベルの。その辺に咲いていた花を一輪拝借して仕込んでいた。
「魔法か?あんたは魔法も使えるのか?」
「これは魔法……じゃないけど、魔法っちゃ魔法か」
「よくわからないな」
花を差し出す青年。
「なんだよ」
「あげるよ。見慣れた花かもしれないけど、誰かから貰ったものとなればまた違った見え方になるだろ?」
言われるがままに受け取るヒルデ。
「人間……あんたは誰にでもこうやって花を渡すのか?」
「寂しそうな女の子を少しでも元気づけるために花をあげただけ。それ以上の意味はないさ」
まだ頬を赤らめているヒルデ。
「とりあえず……受け取ってあげる」
言葉とは裏腹に花を両手で潰さないように大事に握るヒルデ。
「……名前聞いてなかったな」
確かに、と青年はそこで気がつく。自分の名乗る名前が今までなかったことに。
「あー……名前。名前かぁ」
一瞬前世の本名をとも考えたが、この世界ではふさわしくないだろう。
「とはいえ、名前がないと困るだろ」
目の前の猫耳少女が、前世で最後に人間の温かさを教えてくれた少女と重なる。
「ニコラウ……いや、そうだな。ニコル。僕の名前はニコルだ。そう呼んでくれ」
前世。一年に一度だけ世界中の子どもたちが待ちわびる白ひげのおじいさん。彼のモデルとなった聖人の名前から拝借し少し変えただけ。
その瞬間、青年――ニコルの中では”この世界”でするべき事が決まった。
「ニコル……わかった。これからはニコルって呼ぶよ」
それからヒルデは小さくニコル、ニコルと彼の名を繰り返した。
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