第9話

 金色に輝く、ニコルの瞳を見て獣人達がざわめく。


「黄金の瞳だ」


「女神様の祝福……?」


「もしかして……」


 先程まで殺気に満ち溢れていた視線は、疑念と畏敬が交わったものに変わっていた。


(この世界ではこの力、女神の祝福が知られているのか?)


「お主……」


 村長がその瞳を丸々とさせ、驚嘆の表情でニコルに近寄る。

 そうこうしているうちにニコルの瞳は元の碧眼に戻る。


「ニコルといったか。それは女神様の祝福の証……黄金の瞳……」

「僕もについてはよくわかっていないんです。ただを使えばなんとかできるかも、しれない」


「かもって、出来なかったらどうするんだ?」


 獣人の1人が問う。


「その時は……その時です。戦うのもまた一興じゃないですかね」


 ニコルはどこか恍惚さを感じる笑みを浮かべる。他人事のようなその言葉に、獣人達は言葉を失う。


「ねぇ、ヒルデ。どうせ戦うというのなら、僕の物語にのかってみないか?」


 青年はヒルデに問う。他の獣人もヒルデに視線を向ける。


「1人も血を流すことなく、この村を救える手段がある」


 ニコルはまるで演説をするように、今度は獣人たちに向けて話しかける。違う。誰に向けて話すでもない。そこにいるはずのない観客に向けて。

 凄まじい気迫に獣人達はたじろぐことしか出来ない。


「今日、今から始まるのは獣人達の物語だ。みんなが主役の」


 一歩また一歩と歩みを進めるニコル。その歩みに合わせて獣人達が道を作る。


「僕がみんなを連れて行こう!最低な結末のその先。最高に幸福な結末へ」


 獣人に囲まれニコルは言い切る。最後の台詞を。


「皆、信じてくれないか? ヒルデ?」


 先程までの鬼気迫る言葉の圧は消え失せ、ニコルの視線がヒルデを突き刺す。

 ヒルデはニコルの顔と、獣人たちの顔を交互に見やる。昨晩のニコルとの会話がふと思い出される。

 見慣れた村の夜道が、ニコルと歩くだけで、未知の世界へとずっと続いているような気がした。考え方や生き方、運命さえも簡単に変えてしまいそうな。出会って間もない青年とのちょっとした会話で。何かが変わるもしれない。そんな気がしたから。


「ひるで?」


 村人達の足元から小さな少年獣人が顔を出す。


「そのにんげんはわるいにんげんなの?」


 少年の瞳には恐怖の色も偏見の色もない。ただまっすぐにヒルデに問うのである。


「いいや。こいつ……ニコルは悪い人間じゃないよ」


 ヒルデはその子の頭をぽんぽんと優しく叩いてやる。


「みんな……あたしは……ニコルのことを信じてみたいと思ってる」


 住人たちに向き直ってか細く告げるヒルデ。


「裏切り者の子供のあたしがこんなこと言っても……って感じだと思うけど」


 ざわめく村人たち。


「それでも村のことを思えば、これが一番だと思う」


 ヒソヒソと「あんな事言ってるぞ」「大丈夫なのか」と思い思いに声を出す。


「俺は……その人族のことは信じられないけど、ヒルデの言うことなら信じるぞ」


 声を上げたのは獣を解体していた年かさの獣人だった。


「こいつは昔から、この村のことを誰よりも一番思っていた。どんな危険な狩りにも赴き、嵐でも村をずっと守ってきただろ。それはお前たちも知ってるはずだ」


 何度目かの沈黙が訪れた。そうしてひとり、またひとりと、「俺もそうだ」という声が上がり始める。次第に声は重なり、厚く、太く、大きくなる。


「村長、あなたはどうしますか?」


 ニコルが村長に問いかける。村長は辺りを見渡し、最後にヒルデに視線を向ける。ヒルデはまっすぐ村長を見返す。その眼差しは、随分昔に村を出ていったヒルデの両親のそれにそっくりだった。そしてふぅとひとつ息を吐いた。


「ヒルデを信じてみようじゃないか。ヒルデが信じるお主も」


 わっ!と声が上がった。


「して、ニコルよ。お主の策は、村人を危険にさらさないのじゃろうな?」


「危険はないですよ。少し準備を手伝ってもらいますが、それもまたきっといい経験です」


 ニコニコ満足げに話すニコル。

 射抜くような村長の視線。不安に満ち溢れた住人たちの感情。それらを全て飲みこんでニコルは言い放つ。


「皆さん、ヒルデを信じてくれてありがとう。安心して欲しい。なんとかする。」


 深々と頭を下げるニコル。


「ヒルデも」


 下げていた頭をあげてヒルデに少し顔を向けて。


「さぁ。時間がないんだろ。みんなで作り上げよう。女神様へのお祈りを」


 そこからは、ニコルの指示を受けつつ村人総出で、彼の言う”準備”を進めることになった。森の中で見つけた足跡と村の距離、一団の規模から考えると、早ければ今日の夜には人間たちが村に到着するだろうということだった。

 ニコルとしてはできる限り準備期間が欲しいところではあったが、こういった修羅場は前世で何百回超えてきた。

 原稿の締切も、役者のトラブルも、大道具の発注ミスも、劇場のダブルブッキングも……思い出せば胃が痛くなるほどの修羅場。時間がない中で最高の物を作り上げることは慣れている。

 しかも今回は目の前の観客を楽しませる、よりは簡単だ。手元にある材料だけで出来て、それにピッタリの出し物を彼は知っている。

 照りつける太陽の下で、ニコルを筆頭に、多くの村人が村中を行ったり着たりしている。


「この板はここの上に重ねておいてほしい。枚数的には……そうだな5枚もあれば十分かな」


 村の隅の方においてあった、小屋の屋根のためにつなぎ合わされた板状の木材をニコルは担いで持ってくる。

 5本の切り株になった背の低い丸太が、四角の頂点と中央に並べておいてある。その上に板が置かれる。丸太の位置を板の四隅に来るように調整する。大人が4人ほど寝転がれるくらいの広さの小上がりが完成する。


「次は……よく乾燥した木があるといいんだが……昨日の雨で湿っていなければいいんだが」


「それなら、貯蔵庫に乾燥させた丸太があるぞ」


 ニコルのつぶやきに1人の村人が反応する。


「大きさは?」


「背丈ほどで太さはそうだな……これくらいか」


 何かを抱きしめるような格好で腕を使って円を作る村人。


「素晴らしい!! そうしたら、油に浸してある藁がある。それを巻いて縛り付けて欲しいんだけど、お願いできるか?」


「お、おう。任せとけ!」


 男の獣人は威勢よく返事をして自分の小屋の方に駆けて行く。


「あ!藁を巻く前に、丸太の表面にも油を塗ってよく染み込ませて欲しい!」


 その背中に向けて追加の依頼を叫ぶ、ニコル。男は右手をあげて応じる。


「舞台周りは大丈夫そうか……そうしたら次は演者だな」


「ねぇ、ニコル。これはなんの準備なの?」

 ブツブツ言いながら難しそうな顔をして、逍遥するニコルの横について話かけるヒルデ。


「舞台だよ。人族をお出迎えするための」


「お出迎えって……大丈夫なのか本当に?」


「まぁ、そこは考えがあるから安心して。それにヒルデには今回の主役を努めてもらわないといけないから。あんまり心配そうな顔をしていたらだめだよ」


「主役……ってなんだ?」


「あーなんだ。いちばん目立ってもらうってことだよ」


 そう言ってニコルはヒルデの全身を上から下、下から上へとジロジロ観察する。


「な、なんだよ!そんなジロジロ見るなよ!」

 ヒルデは少し頬を赤らめて腕で身体を隠すような仕草。この村の住人はみなほとんど同じ様に、麻布で作られた上下分かれた衣類を着ている。


「主演がこれじゃだめだな。この村でもっともきれいな衣服はある? 大きな布でもいいんだけど」


「服か……」


「普段着ているような服以外の、なにかこう……儀式で着るような服とか」


「それならあるぞ」


 会話を聞いていたのか、後ろから村長が声をかけてくる。


「ずいぶん昔のもので使い物になるかわからんが」


「村長!ぜひそれを見せてもらえませんか」


 目を輝かせて、村長の方をガシッと掴むニコル。


「おぉ……ちょっと待っておれ」


 ニコルの勢いに少し押され気味になりながら村長は小屋に引っ込み、少しの後、木製の箱を抱えて出てきた。


「これなんじゃが」


 村長は箱を地面において蓋を開ける。長い間使われていないため、蓋を変えた瞬間、微かなカビ臭さを感じた。ニコルは箱の中を漁る。

 中には純白の上衣と真紅の袴のような形をした下衣の2枚の衣装が納められている。上衣は絹糸のような素材で織られた一枚布を丁寧に縫い合わせて作られており、ところどころに金銀の糸で細かな装飾が施されている。前は開いており両襟を重ね合わせて着るようだ。下衣はよりシンプルで、腰から足元にかけて緩やかに広がっていく形をしている。こちらも上質な生糸で作られているのか、とても柔らかで軽い。

 どこか日本の巫女服を思わせる組み合わせ。しかも現代のそれと大差ないほどの作り。


「素晴らしい……んですが明らかにみなさんが着ているものと違うというか……これほどの技術で作られたものがあるのには驚きました」


「これは妖人ピクシーが作ったものじゃて。商売上手でな。自分たちでこういう物を作っては他種族に売っているんじゃ」


(なるほど……亜人族は一枚岩ではないと言っていたが、文化や技術レベルから異なるのか)


「これでいいかの?」


「はい。十分すぎるくらいですよ。それじゃあこれはヒルデに着てもらうから、1回合わせてみようか」


「えぇ!?あたし?」


 ニコルは衣服を持った両手を広げてヒルデの方を向いて目算で合わせている。


「こんなヒラヒラしたの着たことないよ」


「主役はこれくらい綺羅びやかじゃなきゃ」


 激しく首を横に振るヒルデを無視してその手の上に衣装を乗せるニコル。


「さ、行った行った。着替えたら今度は”舞”の練習だ」


 ヒルデの方を掴んでくるりと向きを変えて、背中をぽんと押す。ヒルデはというとしぶしぶと行った表情で、小屋に向かった。


「さぁて。時間はないぞ」


 ニコルはそう言いながら地面に棒を使って図を描き始める。


「ここでこうして……人数はこんなもんでいいか」


「おい。集めてきたぞ」


 そういう獣人の後ろには何人かの若い獣人が並んでいた。中にはまだまだ子どもの獣人もいる。


「元気があって暴れたい獣人を連れてきてくれって、なにをしたいんだ?」


 集められた獣人をゆっくり見るニコル。


「あぁ。ありがとう。そうだな……君と、君と、君、は向こうで待っててくれ。後から行くよ。ちょっとお願いしたいことがあるからね


 最初に選ばれた3人は比較的体格のいい男性獣人。その3人は向こうと指さされた場所へ、訝しげな顔で向かう。そこは獣を締めるための木組みのある場所で、昨日仕留めたボアの開きが吊るされていた。近くでは女性獣人が干草を一枚の布のように広げて編み込んでいる。


「それとそっちの小さい子たちはこれを」


 小さい子供たちには、狩り用の木笛が配る。


「使ったことあるかい?」


「うん!あるよ!僕これ得意なんだ」


 ニコルはしゃがみこんで目線を合わせる。そんなニコルに少年獣人たちは笑顔で答える。


「よし!とにかく楽しく吹く練習をしておいて」


 そして立ち上がる。


「それと」


 とまだ残る獣人たちに向かい。


「君たちには、太鼓を叩いて欲しい」


 ニコルが視線を送る先には、狩猟で使われている小太鼓が並んでいた。

 ひとりの獣人がニヤリと笑う。


「そつぁいい。この間の夜だって俺が叩いてたんだ。」


 この世界で目が覚めたときのことを思い出す。殺されるかと思ったあの夜。

 彼らは楽器と呼べるものは持っていない。しかし人が辿る文化は世界が変わってもそう変わらない。彼らにとって音を出すことはひとつのコミュニケーションの手段として持ち合わせている。だからニコルが今考えていることが実現できるのである。


「頼もしいな。時が来たら思いっきり頼む」


 ニコルの袖を誰かが引っ張る。少年の獣人だ。


「これできた!」


 彼の手には村の周囲に巡らせられていた鈴が巻き付けられた木の棒が握られていた。少年が嬉しそうにその棒を振る度にシャンシャンときれいな音を立てる。 


「むこうでひるでもまってるよ」


 その棒を大きく振って、村長の小屋の方を差す少年。


「主演も準備できたか。それじゃ稽古といこう」


 そして日が暮れる。

 村の中央には、急ごしらえながらも、しっかりと作られた舞台が鎮座している。その四隅の外側を藁で巻かれた丸太が囲む。舞台の中央には簡易的な段差が設けられており、階段のような作りだ。階段の両端には3本足の篝火台が2つ並んでいる。

 舞台上には、純白の衣装に身を包んだヒルデが1人立っている。月明かりに照らされて、衣装は銀色の輝きを放っている。


「まぁ半日ちょっとで素人で作り上げたにしちゃ上出来か」


 何度か練習を重ねて、彼の思い描く出来栄えに近くなったとニコルは満足気にその舞台の前で腕を組み頷いている。疲れ果てた他の村人たちは舞台を囲むようにへたり込む。


「ニコル……本当にこれをやらなきゃいけないのか……?」


 舞台上のヒルデは恥ずかしそうな表情をしている。


「とても似合ってるよ。大丈夫だ。今君が一番輝いている!」


 ニコルは弾む口調で言ってのけた。その言葉を聞いて、ガクッと肩を落とし力なさげに首をふるヒルデ。

 森の方でガサガサと音がする。ひとりの獣人が飛び出してきた。


「来た。人族だ。もうすぐくる」


 飛び出してきた獣人の若者は息を切らしながら報告した。


「数は?」


「馬車が1。騎兵が4。兵士が十数人」


「大軍というほどではないが……平和な話し合いにしては物騒じゃな」


「それと見慣れない獣人の姿も……冒険者のようでしたが」


 険しい表情を見せる村長。月明かりは犬歯を鈍く輝かせる。


「よもや同族も儂らを襲おうとしているのか……」


 パンっと平手を打つ軽い音が響く。


「今やるべきことをやろう。ここまで準備したんだ」


 ニコルだ。


「人族を迎え撃とう《歓迎しよう》じゃないか」

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