第5話

「人間よ、水浴びに行ったのにどうして服がボロボロなんじゃ」


「色々ありまして……」


 青年はヒルデに担がれたまま村へ帰ると、村長の家に放り込まれた。

 ヒルデはというと、青年を放り出したら「ボアを締めてくる」と言ってさっさと家を後にしてしまった。

 ここに向かってくる間、見た目的には同い年、実年齢的にはだいぶ歳下の女の子に担がれている恥ずかしい姿を、漸く起きてきた残りの獣耳たち含めて多くの村人にさらされた。

 皆一様に、ヒソヒソと小声で何かを話しているのが気になってはいたが、身動きの取れない状態では特になんの話をしているのかを聞くことすらままならなかった。

 

「まぁ、よい。座れるか?」


 村長はそう言って腰のあたりまでの大きさに切られた小さな丸太をよこした。腕をかけてよじ登るようにして、その丸太に腰を掛ける青年。

 木造の家の中は簡素な作りで、床というものはなく、地面の上に壁と屋根だけ置いたような作りだった。家具と呼べそうなものは、自分と村長が座っている丸太と、それよりも少し背の高い大きな丸太がひとつ。机、だろうか。炭化した薪がちょろっとのこっている石臼のようなもの。

 村長は小屋の奥から替えの上衣を取り出し青年に渡す。


「昨晩はすまんかったな。人族とは少し今揉めていてのぉ。村の者皆、神経質になっておるんじゃ。」


 深々とあまを下げる、村長。

 受け取った上衣に体を通しながら


「して、お主はどこからやってきたんじゃ?儂らと人族の関係に疎いとなると、この辺のものじゃないだろ?」


 なんと返答すべきか、青年は考える。自分のようなこの世界にとっての異物が他にもいるのか、それとも極めて珍しい存在なのか、この世界はどんな世界なのか。それがわからない以上迂闊な発言はよすべきか。


「記憶が……ないんです」


 青年が出した答えは、記憶喪失だった。


「どこで生まれたのか、どうしてこの村にたどり着いたのか。全く記憶がなくて……気がつけばあんな状況で」


 嘘はいっていない。青年は”この体のほんとうの持ち主”のことを全く知らないのだから。


「ほぅ……なんとも不思議な。しかしそうなると、まだ人族の差し金の可能性は捨てきれないのぉ」


 しまった、と青年は内心焦った。人族と揉めているという話である以上、素性の知

れない人族……と思しき自分を囲うメリットなんて彼にとってはないのだから。


「まぁ。儂らとしては、一晩宴を共にした者を悪く扱おうとは思っておらんから安心せい」


 焦りが表情に出ていたのだろうか。村長はヒゲを擦りながら笑ってみせた。


「ところで……人族との揉め事とは?」


 一安心できた以上、自分と彼らの関係性を知る上で重要な質問であった。村長はどのように答えるのか少し考えた後、話を始める。


「人族と魔人族の大戦が終わってから5年経って、各種族は漸くもって争いの傷が癒え、新しい生活が始まっておるな」


「大戦……?」


「なんじゃ。それすらも覚えておらんのか」


 残念ながら思い当たる節はない。大戦と聞いて思い浮かべるのは前世の世界大戦くらいだ。


「人族と魔人族の200年に及ぶ大戦争じゃよ。儂ら獣人族をはじめとした亜人族もその戦争で大きく数を減らしてのぉ」


 そうじゃ、と村長は立ち上がり、部屋の片隅においてある木箱を漁る。中から一枚の紙?のようなものを取り出して戻ってきた。


 テーブル代わりの大きな丸太に広げられたそれは、獣の皮で作られた皮紙に描かれた絵図であった。


 所々が出っ張っている歪な形の絵が書かれている。


「これが儂らの暮らす大陸、ミルドラントじゃ」


(これは、地図か)


 それはこの大陸を全土を描いた地図だった。横にした楕円の外周を引っ張ったり、へこませたりして、最後に真ん中の部分を上下に押しつぶしたような形をしていた。茶や白、緑や青で色付けされており何がどこにあるのか見ただけなんとなくは理解ができた。地図の右上には、羅針盤のような絵も描かれている。


「今おる儂らの村はこの辺り」


 と村長はその地図の真中より左寄りの、緑で塗られた森のような位置を指さした。


「でこの辺り、中央ミルドラント一帯には様々な種の亜人族が集落を作っている」


 大陸中央部をぐるりと囲って位置を示した。大きな青色で塗られた部分や、山を模したような絵が描かれた地域、大きな河など、多くの自然に恵まれた地域なのだろうか。


 青年の想像力が掻き立てられる。


「でそこを挟むように西側に人族、東側に魔人族の住まう地域があったのじゃ」


 それぞれ指さされた部分は、大陸的には地続きの西側と、険しさを彷彿とさせる、大山脈に隔てられた東側だった。


「大戦前の人族と亜人族の境界は今より曖昧じゃった。大陸中央部なんかは交易の中心として、亜人と人が共に暮す街もあったと聞く。それほど亜人族と人族とは距離も近く共存していたんじゃ」


 ほれ、と村長は胸元から丸く平たい物体を机の上に放り投げる。

 キンと甲高い音と共に作りの上に転がるそれは、金属でできた硬貨のようであった。


「この村ではもう無価値の人族の金貨じゃ。昔は価値があったが、今はもう儂らが使うことはない」


 机の上の硬貨を見つめる村長。


「200年ほど前に霊峰アヴィルス山脈の向こう側、魔領の魔人族たちが人族に対して宣戦布告。攻め込んできて、あっという間に人族との大戦争が始まったんじゃ」


「大山脈を越えて……そうすると大陸中央部は?」


 魔領と呼ばれた地図上の右側を指さして、そこから西、左にに向けて指を引く青年。


「横長のこの大陸じゃ、両者に挟まれた中央部は瞬く間に戦場と化した。それはもうひどいものじゃったそうじゃ。魔人族はその強大な力をもって暴虐の限りを尽くし、人族の国へ向けて村を街を破壊し尽くしたと言い伝えられておる」


「それじゃあ、亜人族は……?」


 頷き、続ける村長。


「多くの亜人は戦うことを選んだんじゃよ。人族に与して。儂らの先祖も自分たちの住む場所が不条理に破壊し尽くされるのを黙って見ていることは許さなかったのだろう」


「獣人のみなさんも?」


「義勇に溢れた多くの若者が戦場に赴いたそうじゃ」


 再び地図に指で指し示しながら話を進める。


「亜人族が本格的に参戦したことで、その戦況は一変した。魔人族の独壇場だった魔術戦も、森人エルフ妖人ピクシーによって、魔人族だけのものではなくなり、また山人の技術で人族の装備の技術は格段に上がっていったからの。そういうわけで、大陸中央まで押し込まれた戦線を霊峰まで押し返す事に成功したんじゃ」


 青年はどこかの戦記物語を聞かされているような、そんな気分だった。非現実的な部分では心を踊らせ、一方でこれが現実に起こっていることであるという事実は同時に、彼の心に一点の影を落とした。


「それで……戦争はどうなったんですか?」


「そこまでくれば決着はすぐそこと思われていたんじゃが……そうはいかなかった」


 村長はどこから取り出したか、小指の先ほどの大きさの木の実を地図の上にバラバラと撒いた。


「お主これを見て、同じ木から採れた実だけを選べと言われてできるか?」


 個体差はあれど、それの大元を辿るのは困難である。青年は首を横に振った。


「魔人族は力とそしてそれに勝る狡猾さをも持ち合わせていた。人族と同じ外見の彼らは、力では価値はないと悟ると、人族の生活に紛れては突然攻撃し、すぐに離脱するといった戦法を取り始めたそうじゃ。あっという間に争いは硬直し、泥沼化していった」


 村長は地図の上にばら撒かれた木の実をひとつ頬張る。


「共に暮らし戦っていたはずの人族が、突如その刃をこちらに向けてくると考えたらどうじゃ?恐ろしかろう?」


 どこかで聞いたことがある話だ、と青年は思った。


「魔人族が紛れ込むことが出来るのは”人族”だけだった。そうすれば当然、亜人族は彼らから離れるしかなくなる。自分たちの身を守るためにの。当時、亜人と人族の中心地だった大陸中央部の都市も争いが続くうちに住む者もいなくなり、次第に種としての交流はなくなっていった。その頃には大規模な戦闘は少なくなっていたからの。亜人族は人との交流を断ち、自らを守ることを選択した。儂ら獣人も同様。各地に点在していた集落を巡り、残ったものを集め、こうして逃げ隠れ生きてきた。」


「でも……その戦いは終わったんですよね?」


 村長は肩を落とし、頷く。


「終わったよ。5年前。世界が暗闇に落とされて、あっけなく」


 予想していた終わり方と全く異なる結末に、青年は目を丸くする。


「暗闇……ってなんですか?」


「そのままじゃよ。全く日が登らない日が続いた。日が昇らないと暗いだけじゃない、強烈な寒さが世界を襲った。飢えと寒さをなんとかしのぎながら耐えたよ。何日だろうか。真っ暗闇の中、寒さと僅かな灯りに照らされた土地が死んでいく様を、指をくわえて眺めながら」


「それは神話か何かのような話ですね」


「それだったら良かったんじゃがな。儂はこの身で体験したさ。どれくらいの間その状態だったのかもわからぬ。なんせ日が昇らんのじゃから。ただある日突然、夜明けが訪れたんじゃ。凍えきった大地を再び日のぬくもりが包み、民は皆、力を振り絞って喜びあった」


「一体何があったんですか?」


「人族と魔人族の王の元に女神様の啓示があったそうじゃ。人族、亜人族、魔人族、これらを総して”人類”と呼び、共栄共存を誓えと。そうでなければ再び世界は闇に落とされると。人族の王・聖王と魔人族の王・魔王はこれをもって、終戦を宣言。世界は漸く平和を取り戻したんじゃ」


 ”女神”という単語をここで聞くことになるとはと青年は思う。あの女神のことなのか、それとも……


「暗闇ほど怖いものはない。全ての種族の意見が初めて一致した時じゃったな。そうして長きに渡る争いに終止符が打たれたんじゃ」


 束の間の沈黙。


「多くの命が争いで散った。じゃがそれぞれ新しい生活の歩みを始めている」


 村長はそう言うと「少し散歩をしよう」と立ち上がり、ひとつの動物の革製のような小袋を手にして小屋から出ていった。


 話している間に、青年の興奮はとうに収まり、身体も言う事をきいた。村長を追いかけるように小屋を出る青年。

 

 外は日が高く昇っていた。小屋の前には木肌を削り落とされた小枝が積まれている。焚付ようの小枝だろうか。


 昨晩の丸太の燃えカスの周りを幼い獣人の子供が走り回っており、その横では朝見た樽から水を汲み出し、土を焼いて固めた、陶器のような器に移している女性の獣人。またすぐ隣では、木製の板のような物や衣類を洗っている者もいる。

 村長もその樽から水を少量救い出して、皮の小袋に注ぐ。


「この時間男どもは、皆森の向こう側の畑で農作業してるか、狩りに出ておる」


 二人は水場に向かうのとは逆の方向の森を抜ける道をゆく。


「みなさんは農耕と狩猟で暮らしているんですか?」


「あぁ。争いが終わって、人族の街から移り住んだ者にとっては少し大変かもしれんがのぉ」


 少し歩くと森が開け、畑が見えた。村の獣人達が農作業をしているその傍らに腰を降ろした。

 額から汗を垂らしながら土を耕している者、出来た作物を収穫している者。畑はそれほど広わけではなく、作業しているのも両手で数えられる程度だ。

 日に焼けた肌と刻まれたシワの数が、前世で見た農家の爺婆を思い起こさせる。

 そのうちのひとりがこっちに寄ってきた。村長はその獣人に小袋を渡す。

「飯にするぞー」と小袋を渡された獣人が呼びかける。その声に作業をしていた獣人達が、その手を止めて近くによってきた。

 口々に「人族だ」やら「昨日の宴は良かった」やら、様々な感情が含まれた声を青年はかけられる。

 袋の中身は、なにか小麦か何かの粉が入っていたようで、水と合わせて団子のようにしてそれをみんなで食べている。


「そうじゃ、この者とヒルデがボアを仕留めてきおったわ。今日は猪肉が食えるぞ」


と村長が彼らに伝えると、一層喜んで「よくやった」だの「見直した」だの言ってくる。


 思ったよりカラッとした連中なんだなと青年は感じた。

 山の方で連続して叩かれる太鼓の音がこだまする。


「この音は?」


「狩りに行ってる連中が獲物を捉えたんじゃろ。太鼓は獲物を追い込むときにも使うし、自然の恵みに感謝する時も大きく叩くからの」


 そして村長は続ける。


「こうしてな。少しずつじゃがまともな生活ができるようになった。暗闇で死んだと思われた土地も少しずつ豊かになってきておる」


 楽しそうに食事をする村人を細目で見る村長。


「明日も見えぬ不安に押しつぶされそうな夜を何度も越えて、やっと日常が戻ってこようとしている。そんなところじゃろ」


 その様子を見ながら、青年の心の中で沸々と想いが滾るのを感じた。

 

「それと同時に、飢えや貧困は未だつきまとう。森の周辺を人族の野盗がうろちょろし始めたという話も聞いた」


「あぁ。だから僕のことも」


「まぁそれもあるし」


 といいいかけたところで話を止める村長。気がつけば山の向こうの分厚い雲が先程まで激しく照りつけていた太陽をすっかり隠してしまっていた。


「ひと雨きそうじゃな。戻ろうか。この辺りでは通り雨が激しくなるからの」

 おうい、と村長は農作業をしている者たちに声をけて、そろそろ戻るようにと伝える。

 村人たちは手をあげてそれに答える。

 

「話の続きじゃがな、ここ最近人族の貴族の使いと名乗るものが村に訪れたんじゃ。手を取り合って、新たな世界を目指しましょう、なんて言ってな。何度断っても繰り返し訪れる」


 村への帰り道、ジメッとした森の空気が漂う。太陽は曇に隠れ、来たときよりも薄暗い。


「人族の考えもわからなくはない。彼らとて生活がやっと立て直った頃合いじゃろ。手を取り合えばその分、その勢いを増して、もしかすれば200年前のような大陸全土が繋がるそんな未来もあるかもしれない」


 少しだけ間を置く村長。


「しかしのぉ……今、儂らは自分たちの生活を維持するので精一杯じゃ。大昔の様に隆盛を極めようなんて夢見る余裕はない」



 森の向こう側、そんちょーと手を振る少年獣人。起き抜けに青年の首を引っこ抜こうとした少年だ。


「5年じゃ。5年も経てば新しい命も生まれる。この命を次に繋ぐことが儂の使命じゃと思っておる」


 青年は村長の話を半分聞きながら考える。この世界の状況。この世界で己が果たすべき使命について。


「戦火の中、生まれ、その生涯を逃げ惑いながら過ごしてきた、儂の様な年寄にしてみれば、これが、今この瞬間が、望んだ日常なんじゃ」


「……それじゃあ昨日の夜のことは?」


 青年は確信を得るために問う。


「だからこそ、昨日の夜の宴は楽しかったぞ。本当に、久々に、心の底から楽しいと思えた瞬間だった」


 青年は心の中で、女神に感謝した。

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