10.魔術師……動く

 これから起こすべき行動が、どのような結果をもたらすのか、全く予測がつかない。しかし、何もしないという選択肢はない。すると護衛騎士ポールが駆けつけてきた。


「クロウリー殿、いったい何が?」

「ヴァレンティヌス司祭が連れ去られた。よって救出に向かわねばならない」


 ポールの顔が一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに察したように決意に満ちる。


「分かり申した。されば、王女殿下に……」

「いや」


 ワタシは首を振った。


「王女殿下には知らせないでおこう。危険すぎる」

「なんと……?」


 ポールに一瞬戸惑うような表情が浮かぶ。ワタシは周囲を見回し、静かに口を開いた。


「魔術で敵を追跡する。そして、隙を見て救出する。ここで王女殿下を危険に晒すわけにはいかない」


 ワタシは真剣な眼差しでポールを見た。もう後には引けない。この出来事に介入すると決めた以上は……もちろんまだ躊躇いはある。

 この時私の心に一人の女性の姿が浮かんだ。白いブリムの似合う癖のある鳶色の髪。その下で浮かぶ笑顔にワタシはいつも心を癒されていた。


――もう……会えないかもしれないな……


 それでもワタシには、見過ごすことなどできない。見過ごした自分はもうフロラ嬢に顔向けができない。そう思った。


「この行動が、どのような結果をもたらすか分からない。覚悟はよいな?」

「知れた事。騎士の覚悟はとうに決まっております」


 ポールは迷いなく答えた。

 ワタシは頷き、魔術の準備を始めた。これから起こす行動が、歴史の流れを大きく変えてしまうかもしれない。しかし今は、目の前の人々を救うことが最優先だ。

 そう、たとえ歴史が変わろうとも。


 まずは小手調べだ。とにかく、敵の現状を把握しておかねば話にならない。

 身体強化魔術による効果バフの付け方は、一族では妹のサンが得意だが、ワタシも高速移動なら、それなり・・・・に使える……もちろん謙遜して言っている。

 だから、2~30km程度の距離なら造作もない。多分20分も掛からないだろう。



□■□■□■



 そう思った時もあったよ。ああ、そうとも。認めるよ。

 ワタシの住む世界だったら、それが当然だったからね。

 高速移動を始めて1分。ワタシの目論見もくろみは早くも暗礁に乗り上げてしまった。

 理由……?

 決まっているじゃないか、ここは1500年も前の……それも王都から遠く離れた……イオタ島なのだ。

 道などそうそう整備されている筈はない。簡単に言おう。ほぼ獣道だ。『ラリー』の競技車両でもないワタシが、こんな所を時速120kmで走行したらどうなると思う?

 普通に大事故が起こるに決まっている。


 高速移動の弱点は障害物だ。風の噂に聞く『樹精族ドライアド』なら、樹が避けてくれるかもしれないが、ワタシはまごう事なき『人間族ヒューム』だ。

 何の装備もなく時速120kmで樹に衝突したら間違いなく死ぬ。いやさ、何か装備しても普通に死ぬ。


 結局のところ、普通に走る程度と変わらない状態で、細い道を掻き分けて進む羽目になった。


「やれやれ……ワタシとしたことが、とんだ見込み違いだったな」


 ワタシは額に滲んだ汗を拭って、ひとりちた。周囲を見渡せるV字谷の崖の端に歩を進め、周囲を見回してみる。

 見渡す限り緑色に染められ、植物が生い茂っている。正直に言って大自然感がハンパない。


 しかし逆に考えれば、これだけ狭い道である以上、マルタンの軍勢も一列になって進むしかなく、隊列を組んでの行軍は覚束ないだろう。当然敵襲があれば無防備状態になる。


 とは言え、この獣道のような路を辿って、マルタンの軍勢が近づいてくると言うのだろうか?

 古代の戦闘方法に造詣がある訳ではないから、ワタシの勝手な推論でしかないが、きっと太鼓や鐘を鳴らし、掛け声を上げながら進んでくる様子を思い浮かべ、身震いした。


寡兵かへいで大軍を迎え撃つとすれば、地の利を活かし、この崖の上から仕掛けるのが定石セオリーだが……」


 とはいえ、マルタン軍だって馬鹿ではあるまい。

 用兵家でも軍人でもないワタシでも思いつくような計略を相手が思いつかない筈はない。当然警戒してくるだろう。

 そう思った瞬間、背後の草叢くさむらがガサガサと揺れる音が聞こえた。


何奴なにやつっ!?」


 癖とは恐ろしいもので、ワタシの右手は左の腰に佩いている剣ではなく、懐にしまってある魔術杖ワンドを握っていた。

 第二等級の炎系魔術『火球』ファイヤーボール程度なら無詠唱で発動できる。


「……クロウリー様……その……私です……きちゃった!」

――はぁっ!?

 

 テヘッと笑い舌を出すその様子にワタシは眩暈めまいを覚えた。


「何故出てくる!?」


 ワタシは思わず声を上げてしまった。

 当の言われた本人……ミランダ王女……は、キョトンと目を丸くしてワタシを見ている。


「何故と仰られましても……急にいらっしゃらなくなったら、何事かと気になりませんこと?」

「ではワタシの作戦を?」


 ミランダ王女はコクリと頷いて黒曜の瞳をワタシに向けた。


「あなたを……一人にはさせません。私も共に参ります」


 眉毛で切り揃えられたボブヘアに、シェリル嬢のように腰まで伸びた長い髪は、黒い輝きを纏って真っ直ぐ伸び、大きくて潤んだ瞳は、見る者をたちまち魅了してしまうだろう。改めて見ると、ミランダ王女はとんでもなく美少女だ。

 これで氷系統魔術の使い手で、彼女の透き通るような声で「お兄さま」なんて呼ばれたら最強だ……って、何の話をしているのだろうな、ワタシは……?


「これからどうなさいますの?」


 ミランダ王女はすっかり状況を把握しているようで、ワタシにこれからの方針を訊ねてきた。

 ポールめ……いつか『忠犬ポチ』に改名させてやる。


「威力偵察だ……」

「威力偵察?」

「知らないのか?」


 敵方の勢力や装備などを把握するために、実際に敵と交戦してみる事だ。

 敵の位置が判らない場合や、怪し気な場所に制圧攻撃を加えてみる事を指す。主な目的は、敵の撃破ではなく、一撃して素早く撤退し情報を持ち帰る事なのだ。このような任務は機動力に優れた部隊による一撃離脱能力ヒットアンドアウェイが要求される。

 しかし、そんな蘊蓄うんちくを語っていたら、ミランダ王女の顔が俄かに曇った。

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