9.塗炭の村
「この先の町……もう敵の兵隊でいっぱいだっただ……」
ヴァレンティヌス司祭の聖魔術で一命を取り留めた村人の男が、唇を噛みしめ、絞り出すように口を開く。
戦略的にも戦術的にも何の価値もないと判断されたこの村は、敵……つまりミランダ王女のいるケール国……の反抗の足場とならないように破壊されたらしい。
完膚なきまでに……それこそ踏み潰されるように!
「オラ達は、ただ畑耕していただけだ。ご領主様が誰になっても、オラ達はこさえた麦サァ治めて静かな暮らしサァ守ってもらう……それだけでいいんだ」
独特のイントネーションで話す男は、両拳を広げ土に塗れた掌を見ている。
「なしてこげな目に遭わにゃならんのだ……嫁っコもややっコも殺されただ……あの兵隊どもに……オラ達が何しただ!? お姫様は何してただ!?」
迸る言葉が剣のように鋭く、背後に佇むミランダ王女を突き刺していく。おそらく生き残ったこの場の全ての者が思っている事だろう……多かれ少なかれ。
しかし彼女は、黙ってその全てを受け止めようとしている。
その若い身で……華奢な身体で……
「おのれ無礼者っ!」
しかし、護衛騎士たるポールは違う。彼は彼女に向けられるすべての悪意に立ち向かう事を使命としている。その剣は、領民ではなく主君たるミランダ王女のみにこそ振るわれる。
「ポール! 控えなさい!」
「しかしっ!?」
「もう一度申さねばなりませんか?」
ミランダ王女の鋭い視線を浴びて、ポールは抜きかけた剣を鞘の中に押し戻して直立した。
思う所は多々あることは、態度を見ていればよくわかる。それでも主命に背く訳にはいかない。それが騎士というものなのだろう。
「すまないね。我は傷ついた者を癒すことはできても、失われた命を取り戻すことも、刃を向ける者への対処もできないのだ」
ミランダ王女に代わって村人の男に応えたのはヴァレンティヌス司祭だった。
「皆それぞれに与えられた力を振るう事しかできない。
それは
王女殿下に軍を指揮する力は与えられていない。
それでも殿下は此処におられる……僅かな供回りだけで」
直後、男は両手を地に突いて
「…………!!」
突如ミランダ王女の白いマントが翻り、彼女はその場を立ち去ろうとしていた。その大きな瞳には、溢れんばかりの涙が浮かんでいる。
「殿下っ!」
慌ててその後ろ姿を追いかけるポール。
それでいい。今の最適解はまさにそれなのだろう。
この場を収めるのは、異物たるワタシではなく、この時代に生きる人々にこそ相応しい。
――でも、これでは史実とは違う流れになっているのではないだろうか?
史実では壊滅した筈のマルタンの3千の軍勢は、未だ健在だ。
軍を率いて出陣したケール王が会敵したとの情報は、この時迄もたらされてはいなかった。いったい何処に向かったと言うのだろう?
「さて……どうしたものか……?」
史実上、ケール王国はフィルツブルグ聖皇国によって滅ぼされてしまう。しかし、その尖兵であったのは
マーキュリー王国が、この島全体を支配領域に置いたのはこの後の事だ。この間、一体何が起きたのか、歴史書には記録がない。
――考えようによってはワタシが魔術を浴びせれば……あるいは……
「待ていっ!」
何とも
ワタシは不穏な考えを振り払い、深呼吸をした。今はこの村の人々を助けることに集中すべきだ。
「司祭様、もう少し休憩されては如何でしょうか?」
ワタシが声をかけると、ヴァレンティヌス司祭は疲れた顔で微笑んだ。
「ありがとう。されど、まだ治療の必要な者たちがおります。少し休んだら、また——」
その時だった。村の外れから悲鳴が聞こえてきた。
「敵襲! マルタン兵だ!」
ワタシは咄嗟に魔術の準備を始めた。しかし、ヴァレンティヌス司祭は立ち上がり、毅然とした態度で村人たちの前に立った。
「皆さん、落ち着いてください。私が話をつけて参ります」
「司祭様、危険です!」
ワタシの制止の声も聞かずに、司祭は颯爽と敵兵の方へ歩み寄っていった。
マルタンの兵士たちが村に侵入してくる。その数およそ100名。ヴァレンティヌス司祭は両手を広げ、平和的な意思表示をしながら近づいていく。
「我々は戦う意思はありません。どうか、これ以上の犠牲者を出さないでください」
司祭の言葉に、兵士たちは一瞬たじろいだ。しかし、その中の一人が前に出て、司祭を睨みつけた。どうやらこの部隊の指揮官らしい。
「貴様、ケール王国の聖職者だな? 丁度良い。お前を人質にすれば、あの愚かな王女も大人しくなるだろう 捕らえよっ!!」
――まずいっ!
ワタシはこの場にいないミランダ王女に『
その間にもマルタンの兵士達はヴァレンティヌス司祭を取り囲み、その腕を後ろ手に縛っていた。
「司祭様!」
「心配ない、私達にはご加護があるのです。故に……」
「黙れっ! 異教徒っ!!」
指揮官らしき男は、地に捻じ伏せられたヴァレンティヌス司祭を物のように蹴り上げると、何度も足蹴を喰らわせていた。
司祭の呻く声が聞こえる。ワタシもただ黙ってその場に立ちすくんでいた。歯噛みをしながら……
「連れていけ」
やがてマルタンの兵士達は、ぐったりとして動かなくなったヴァレンティヌス司祭を連れ去っていく。村人たちは恐怖に震え、成す術もない。
ワタシの頭の中で、様々な思考が駆け巡る。ここでワタシが介入して司祭を救出しようとすれば、彼女に施した『
そして、もう一つの考えが浮かぶ。
――ワタシは……歴史を変えるかもしれない。
ワタシは深く息を吐いた。
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