8.聖なる癒し手

 先ほどから鬱陶しい視線を向ける『犬騎士ポール』だが、ここに至ってさらに鬱陶しくなってきた。主人を奪われそうになって気が立っているのがよく判る。

 しかし、こういう時に限ってこういう手合い・・・・・・・はお約束のように鈍感だ。


「何? どういう事だ?」


 はぁぁぁ……

 予想通りの反応リアクションであり、盛大に溜息を吐いた。

 女子おなごの気持ち一つ汲んでやれぬとは……一方的に愛情をぶつけ、見返りに愛情を求めてくるが、傷ついて救いを求める彼女に寄り添おうとはしない。


 まぁ、ワタシ自身も人の事は言えないかもしれないが、それでもワタシの周りには『姉妹』と言う名の女性たちが沢山おり、その度に昼に夜に判らされて・・・・・いる。


「早く参られよ! 王女殿下を守る崇高な名誉は、栄光ある近衛騎士のものであろう!?」


 ワタシが少々厳しめに言い放つと、ようやく彼は姿勢をただした。


「と、当然だぁっ!!」


 ガシャガシャと盛大な音を鳴らして『犬騎士ポール』が勇んで駆け寄ってくる。本当に存在そのものがガサツな男だ。それともこの時代の騎士とはこのようなモノなのか?


「このポール・フェーヴル! 王女殿下の近衛筆頭としていざっ!」

――やかましい。さっさと来い。


 いちいち名乗りを上げないと何もできないのか?

 出来の悪い岩人形ゴーレムのように、重そうな鎧に身を固めたポールにミランダ王女の身を預け、ワタシは祈りを捧げようとしているヴァレンティヌス司祭の下へ急いで向かった。


「速っ!?」

――違うぞ、ポール……けいが遅いだけだ


 さすがに口に出すことは控えたが、文献に依れば、この頃の鎧は兜と剣、それに盾を合わせると40kg近くになる。世が下るにつれ、金属の精製法や装備方法に改良が施されだんだん軽くなっていくらしい。

 我がハイパーソン家は魔術師の家系なので、鎧は装備しないし、したとしても軽鎧が精々だ。それに日々の鍛錬は怠っていない。

 速いのは当たり前だ。


「傷つきし者に『地母神ソフィー』の抱擁を……天に召されし魂に『天空神テリー』の祝福あらんことを……」

「……あれが、司祭の……」


 ワタシはノイルフェール教の司祭が、どのように傷ついた人を癒していくのか、まだ目にしたことはない。全ては聖堂や教会の中で行われているし、その場では関係者以外の立ち合いを認めていない。

 それに聖魔術は、ワタシが通うホーリーウェル魔導学院では学ぶことができず『聖堂』や『神学校』で神官・神学者として修業しなければならない。


 正直ワタシも卒業後の進路に悩んでいる。

『ホーリーウェル魔導学院』の卒業生は、往々にして魔術省を始めとする官僚や魔術科の研究者になるか、家に戻り執政となって領主としての研鑽を積むかのどちらかだ。


 しかしワタシは六男だ。家督の相続でお鉢が回ってくるとは思えない。

 それに軍に所属するのも抵抗がある。それでもワタシには、一族の中でもずば抜けて高い魔術適正がある。だから、神学校に進み聖魔術を会得して『賢者サージ』を目指してみるのも悪くないと最近思うようになってきた。


 『彼』の存在を目の当たりにしてから特に!


 ワタシより年若い筈なのに、どこか達観したような態度と行動を示す男、シルヴィことエルスワース卿。

 彼は間違いなく聖魔術が使える。それも高位のものだ。

 彼の魔力は、ワタシの鑑定眼を以てしても底が知れない……まさにバケモノだ。もちろん尊敬リスペクトはしている。

 きっと彼には秘密があり、何かの目的を持ってこの学院にやって来ているのだろう。それが何かは判らないが、それでもワタシにとって彼は目指すべき目標の一つになっているのは確かだ。


 だから負けたくない。今は遠く及ばなくても、勝てなくても、負けないほどの実力を持ちたい……そう思っている。


「我、敬虔なる下僕しもべ、謹んで慈母たる神ソフィーに請願たてまつる……」


 ヴァレンティヌス司祭の柔らかな声とともに祝詞のりとの言葉が聞こえてくる。地獄絵図のような光景だったが、それでもまだ助けられる命はある。

 ワタシには、彼がそう告げているように思えた。


「……大いなる慈愛にて、傷負いし者に聖なる癒しを乞い求めん『領域治癒エリアヒール』!」


 彼の詠唱が終わると同時に、金色の魔術円マジックサークルが広がり、傷つき横たわった人々を包んでいく。分け隔てなく……


――これが聖魔術の極意『領域治癒エリアヒール』か……!?


 金色魔術円マジックサークルはドーム状の半球体となって光り輝き、中にいる人たちの傷をどんどん癒していく。まさに神の御業のように見えてくるから不思議だ。

 魔術は基本、原因と結果の『因果関係』がある。

 よく『相関関係』と混同されるが、二つの関係には明確な違いがある。

 相関関係は、2つの要素がお互いに関係し合っている状態で、事象Aが発生すると同時に事象Bも発生・変化するし、その逆も有り得るという双方向性にある。

 それに対し因果関係は、2つ以上の要素同士の間に原因と結果の関係がある状態のことであり、関係性を示す矢印が存在する。

 つまり“事象Aが原因となり、事象Bが結果として起こる”という一方通行な関係になる。


 だから魔術の発動を成功させるためには、必ず因果が無いといけない。炎系魔術などはその典型とも言っても良い。術者自らが持つ魔素マナを放出し、それを媒体として発火を促す術式を施して初めて効果が起こる。


 当然、その魔素マナ変換効率が高い術式ほど威力は増していく。それが魔術等級に反映していくことになり、等級が上がれば上がる程、媒体となる魔素マナの量は増えていく。

 だから人間族ヒュームが一人で放てる等級には限界があるし、魔素マナを全消費すれば、次に削られるのは体力だ。そして体力を消費しきった時、どんなに健康な人間であっても死に至る。

 だから、攻撃魔術は弓矢のようにポンポンと打ち出せる訳ではない。まさに命懸けなのだ。

 幸か不幸かワタシの周りには魔力を大量に保持できる者……つまり魔術師……の候補生が沢山いるから、感覚が麻痺してしまいそうになるが、つまりそういう事だ。


 だから聖魔術がどういう因果関係で、傷口を修復したり欠損した部位を復元していくのか全く理解できない。教師は『魔術は想像力だ』と講義で言うが、想像力で人間の身体が元通りになるなら誰も苦労しないだろう……

 何か別の要因があるとワタシは睨んでいるのだが、その要因が何なのか、今のワタシには皆目見当がつかない。


 ワタシの前には術を放ち、ぐったりと座り込むヴァレンティヌス司祭その人がいた。

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