3.南の島……①

 あれからどれ位眠っていたのだろう?

 眼鏡を外しているせいか視界がぼんやりするが、意識を取り戻したワタシの視界を『ノイルフェール』の二柱の神画が支配しているのは判る。

 そしてそれは、ワタシが所属しているホーリーウェル魔導学院の医務室に描かれている物のように思えた。


「おどろききや……?」


 透き通るような若い女性の声が響く。それはやはり聞き覚えがある。

 聖魔術が使えるため、学院に所属している『カナコ・イナモリ』医官捕ではないだろうか?

 しかし、言葉遣いが変だ。古文書読解の講義でも受けていたのだろうか?

 まぁ、ワタシレベルなら、この程度の言葉なら造作もない事ではあるが……


「何だか悪い夢を見ていたようで……」


 きっと魔力を使い尽くしてしまったせいだろう。

 もう少し休ませてもらえば、魔力は全回復する。『カナコ嬢』には甘えることになるが、もう暫く眠らせて頂こう……そう思った。


「そは、如何なる夢なれば?」

「不思議な世界……見たこともない不思議な風景……そう、あれはまるで異世界とでも……」


 ポツリポツリと今までの記憶を思い出しながら、ワタシは『カナコ嬢』に向けて口を開いた。


「そは、由々しきことにさうらひきかし。されど今、安穏ぞ。君は無事に戻り来れば」

「……うむ……」

「君はしかとこの方なり。今は287年なればこそ。元よりマーキュリー王国の……」

「はいーいっっ!?」


 今、何て言った?

 あなたはちゃんと現在・・……マーキュリー王国暦287年にいるのだから大丈夫だ……だと!? 何を馬鹿な事を言っている?

 今は王国暦1787年だ!

 287年と言ったら1500年も前の話ではないか!?


 衝撃的な言葉に飛び起きたワタシは、不覚にも素頓狂すっとんきょうな声を上げてしまった。

 枕元に置かれていた眼鏡を掛け、声のする方向へ視線を向けると、そこには見たこともない女性が見たこともない服装で椅子に腰掛けていた。


「御心地、如何いかがに負うや? 何処方いずこかたよりの悪しき処や候わむ?」


 どうやら気分はどうか? 具合の悪い所はないかと尋ねているらしい。しかし、何時の時代の言葉だろうか?

 突っ込みたい所はいくつもいくつも存在しているが、まずは状況把握が先だ。


「まだ状況を理解できなくて混乱しているのだが……まずは、助けてくれたことに礼を述べたい。改めて感謝する」


 落ち着いていた。

 声の話だ。

 経緯はどうであれ、此処が何処で、どうして自分がそんな状況に巻き込まれているのか理解はできないが、少なくとも、目の前にいる女性はワタシを介抱してくれたのだ。礼を述べるのは人間として当然の事だろう。


「それにすとも如何いかで掛かる方にてりなりけむ?」

「えっ?」


 すまない、さすがに何を言っているのか判らない。このワタシの話を聞く人も聞きづらいだろう。

 それに諸君も、今から1500年前の言語など理解できないと思う。

 えっ? 諸君とは誰か? 

 野暮なことを訊くものではない!

 世の中『聞かぬが花』という諺もあるのだから。

 ともあれ、ここからはワタシの持つ能力スキル『言語翻訳』を使っていこう。

 

「どうしてあの場所にいらっしゃったんですか?」


 ワタシが聞き逃したのかと思ったのか、彼女は再び訊ねてきた。


「信じて頂けるのか怪しいのだけど、魔術の実験をしていたら暴走してしまい、気付けばこの場所にいたのだ」

「そうなんですね。その御召し物も上質なものですし、剣を下げていらっしゃるから、異国の名の有る騎士様かと思いました」

「改めて礼を申す。ワタシはクロウリー・ダエグ・ハイパーソン……マーキュリー王国の貴族に連なる者だ……ここがワタシの存じている世界であれば……」


 付け足すように故国の名前を出してみた。もちろん探りを入れるためだ。


「まぁ! やはり同胞の方でいらっしゃいましたか?」


 彼女の目がキラリと光った。どうやら、マーキュリー王国は存在しているらしい。

 だからワタシは思い切って口にしてみた。


「つかぬことを伺うが、ここはいったい何処だろうか?」

「はい、ここはイオタの『ケール国』です」

「はあっ!?」


 先ほど聞いた言葉は空耳ではなかったようだ。

 イオタ島……マーキュリー王国のあるヴァストリタヴィス大陸から南に海を隔てた比較的大きな島であり、この島の領有権を巡って古くから大国同士の戦乱が絶えず、それらを後ろ盾とした島内での勢力争いも絶えず起こっていたと、歴史の講義で習ったし、フロラ嬢も同じことを口にしていた。


 それにしても『ケール国』とは……


 ワタシの歴史知識が確かなら、ケール国は、亜人種たちも身の危険を感じることなく暮らすことができるイオタの中でも有力な国であり、マーキュリー王国の後ろ盾を受けた一大勢力だったが、王国暦288年に滅亡したと言われている。

 理由は島内の隣国マルタンの侵略を受けたとも、内部の腐敗に拠るものとも言われているが、様々な学説があり、真偽の程は定かではない。


 そして目の前に腰掛ける『彼女』は、その国の名をはっきりと告げた。それも『同胞』と……つまり、ケール国はマーキュリー王国の一部だったと言うことなのだろうか?

 ケール国滅亡の際、マルタンによってケールの文献や資料、伝承に至るまで破壊されてしまったので、歴史研究家達からは『幻の国』と言われている位だから、どんな政治体制や民族風習を持っていたのかも残っていない。


 ではどうしてその『幻の国』の事をワタシが知っているのか?

 それはマーキュリー王国の『王国志』だ。それも第18巻。聖人『聖ヴァレンティヌス』の話で出てくるからだ。


 マルタン王国は、アニマ教教皇が統べる『フィルツブルグ聖皇国』の植民地としてケールの隣に存在していた。国民のほぼ全員がフィルツブルグからの移民で成り立っており、傀儡政権であるマルタン家によって支配されていたという。

 やがて、この国も王国暦301年にノイルフェール教を信奉する勢力『レオミュール』の叛乱で滅ぼされるのだが、それまでに多くのイオタの島民が犠牲になったのだ。


 黒く煌めく絹のような髪に端正な顔立ちをしたこの若い女性は、身形みなりから見て高貴な人間なのだろう。

 だとすれば……


「やっぱり……知らない天井だ……」


 ワタシは、そう呟いた。

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