第36話 最高意思決定会議 2

「資料を」


 ルガリオス二世がそう言うと部屋の隅に待機していた事務官が各出席者の前に書類を配った。議題によっては分厚い資料になることもあるが今回は数枚の紙だけだった。タラスマンは配られた資料に熱心に目を通し始めたが、他の出席者は一通り見ただけで直ぐに書類を机上に戻した。彼らは既に一度見たことのある種類だったからだ。だから自分が知っている情報と齟齬がないことが確かめられれば十分だった。資料を配った官僚達はバザリクの合図で部屋を出て行った。


 資料に目を通しているタラスマンの顔がみるみる強ばっていった。他の出席者はそれを横目で見ていた。目立たない嗤いを浮かべている者もいる。


「諸君に配付した資料は、ラベルニク神聖連合からの書簡の写しだ」


 出席者全員が頷いた。


 「これは書簡なんて物じゃありませんぞ。まるで最後通牒ではありませんか」


 最初に反応したのはフィジルダ外務卿だった。六家の中でルガリオス二世のシオジネン家と並ぶ力を誇っている。それだけルガリオス二世に対する物言いにも遠慮がなかったし、外国がらみの議題であれば外務卿が強く意見を言うのは当然だった。外務部の中で散々議論してきていた。


「最後通牒か……、タラスマン神官長、どう思う?ラベルニク神聖連合はデタノス大

神官長殺害に対する謝罪と、賠償の条件として十分の一税を今後10年にわたって神聖連合の神殿に収めろと要求しているが」


 十分の一税というのは神殿が神の名の下に全信者――つまりは共和国国民全部――から取り立てている税だ。


「デタノスはラベルニク神聖連合の席次3位の大物でしたからな、ラベルニクとしても中途半端な条件では面目が保てないのでしょうな」


 タラスマンに視線を当てながらフィジルダ外務卿が言った。こんな法外とも言える要求を他国の神殿がしてきたことに対してリオネール共和国の神殿がどう反応するかも外務部で議論になったことの一つだった。

 タラスマン神官長は直ぐには答えられなかった。会議の他のメンバーはあらかじめこの書簡を見せられていたが、神殿にはそんな情報は寄せられてない。深読みすれば神殿を通じてリオナとラベルニク神聖連合の宗教者は手を組んでいるかもしれないと思われているのだ。だが正直なところラベルニクから要求について相談や通告などなかった。神殿関係者ははっきりとは言わないが、ラベルニク神聖連合の神殿はリオナの神殿を格下と見ていた。大神官長がラベルニクには3人いるのにリオナには1人しかいないのは事実だった。ラベルニクの神殿が最高権威を持ち、自国外の神殿に複数の大神官長の存在を認めなかった。“神に仕える者として立場は平等です”などというきれい事はどちらの側も信じていなかった。


「これを断れば戦争も辞さない、と言ってますな。まさしく最後通牒ですが交渉の余地はあるんじゃないですか?期間を5年とか7年とかに縮めるとか」


 答えをまとめるのに手間取っているタラスマン神官長に代わって発言したのはラノア財務卿だった。


「それに、我が国の神殿に収めている十分の一税をラベルニクの神殿に振り替えるという手段もある。そうすれば国民われわれの負担は変わらない」

「ラベルニクに全面降伏しろ、とラノア財務卿は言われるのかな?」

「まさか、しかし三正面作戦が負担が大きくて好ましくないと言うことであれば、取りあえずそんな手段もある、と言っているのですよ。リキサーク軍務卿」

「十分の一税を収める相手を変えるだけ、というわけですか」

「無理です。そんなことをすれば神殿の維持・運営ができなくなってしまう」


 自分を、つまりは神殿を蚊帳の外に置いてどんどん議論が進んでいきそうな気配にたまりかねたようにタラスマン神官長が声を出した。


「神殿は総収入の十分の一という大きな税を取りながら、統治の義務も国民の生命、財産の保護も、様々な行政サービスもしてないではないか。たっぷり貯まっていると思うが」

「我々は施療院、養老院、孤児院の運営もやっている。いずれも金はかかるが国にとっては不可欠の施設ですぞ、スタジーブリ内務卿」

「施療院は受診するときに金がかかる。下手をすると高い薬を使われてけつの毛まで抜かれると噂がある。養老院に入るときには全財産の寄進を求められるし、孤児院の子供ガキ達は13歳になったら働きに出され、その給金は神殿に入るではないか」


 つまり十分の一税がなくても十分な収入があるではないかと言いたいわけだ。神殿関係者の贅沢な暮らしに顔をしかめる者も多かったのだ。


「誤解です、ドレクスーバ商務卿。施療院で使う薬も無料ただでは手に入らないし、中には非常に高価な物もあるのです。医療水準で神殿付属施療院に匹敵する施設はない。その水準を保つには金がかかる。人も物も高価なのです。養老院に入れば生活の心配はないし、手厚い介護が修道女達によってなされる。もはや財産などいらない。孤児達は12歳まで読み書きを教えられ、簡単な計算もできるようになる。15になれば孤児院を出るのだ、働きに出るのはその訓練の意味もある」


 タラスマン神官長はいつの間にか熱くなっていた。こんなときベルヴィーダス大神官長ならのらりくらりと躱していくのだろうなとちらっと思ったが、言いたいことを言ってしまうまでは止まらなかった。

 実のところ、タラスマン神官長は神殿関係者の贅沢に忸怩たる思いを持っていた。リオナ神殿のナンバー2として自分の手の届く範囲の神殿関係者の贅沢――やたら宝石や貴金属を身につけたがることや、山海の珍味を求めることなど――を押さえつけてはいた。そのため一部の神殿関係者、とくにベルヴィーダス大神官長からは煙たがられていた。

 神殿の事業のうち孤児院の運営はタラスマンに任されていた。施療院、養老院に比べれば利権が小さかったからだ。タラスマン神官長は喜んで孤児院に関わっていたし、孤児達にきちんと教育を施すのは彼が始めたことだった。読み書き計算ができる卒業生達は就職先で歓迎された。卒業前の3年間のお礼奉公は、それがもたらす金によって孤児院の運営が外からの補助を受けずに成り立たせるものでもあった。神殿の現状に満足していなくても、それを外から指摘されることはやはり箝に障ることだった。



「もういい。ラベルニクに膝を屈するのは論外だ。それを前提に議論を進める」

「「「はっ」」」


 ルガリオス二世の鶴の一声で場は静まった。この瞬間、ラベルニクとの開戦が決まったのだ。

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