第35話 最高意思決定会議 1

 扉に神殿の徽章をつけ、5騎の神殿騎士に護衛された2頭立ての馬車は、政庁の内門をくぐり政庁の建物の正面入り口近くに止まった。護衛の騎士達は手早く下馬し、一人が馬車の扉を開け、後の4人が馬車と正面入り口の間の通路を警戒するように立った。盾を構え、周囲に油断なく目を配っている。


 最近のリオナでは身分のある者、金を持っている者はできるだけ外出を控えるようになっていた。外出するときは、例え近距離でも厳重に護衛をつけ頑丈な馬車を利用するのが普通だった。どこからどんな攻撃を受けるか分からない、と言うのが彼らの本音だった。政庁や議会の建物がある中央地区は日に何回も警備隊が巡回し、特別に許可を得た者以外の出入りを禁止しているが、それでも貴族や大商人が安心するにはほど遠かったのだ。

 デタノス大神官長があっさり殺された事件は彼らを震撼させた。使われたのはリオナの市壁に備えられている弩弓の矢であったが、どの弩弓にも最近使われた形跡はなかった。そもそも防衛用の弩弓はリオナの街の外に向かって矢を飛ばすように配置されており、街中に向かって射つためには反対方向に向けなければならない。その上市壁から犯行現場までは遠すぎて弩弓の射程を外れるのだ。誰が、どんな方法でデタノスを殺したのかも分からない、と言う状況はかなり豪胆な者まで震え上がらせるに十分だった。そういう意味でたった5騎の護衛で神殿から政庁まで来た人間は度胸があると言って良かった。


 馬車から降りたのはリオナ神殿に所属する神官で席次2位の、タラスマン神官長だった。ベルヴィーダス大神官長と異なり痩せた禿頭の長身の男だった。鋭い視線で周囲を一瞥すると明けられた扉をくぐって馬車を降りた。神殿騎士の出であり、今でも時々騎士の訓練に混ざって汗を流すことがある。いつでも非常事態に対処できる様に重心をやや前に掛けた姿勢をとっていた。馬車を降りて空を見、政庁の建物に視線を走らせ、ゆっくりと一歩を踏み出した。正面玄関前の8段の階段を上るのも、護衛騎士達が内心焦りを感じるほどゆっくりだった。周りの人間達に、正体不明の暗殺者など恐れてはいないと言うことを示すパフォーマンスの意味もあったが、度胸は本物だった。


 政庁の正面入り口を入ったところでタラスマンを迎えたのは、官服を見事に着こなした長身の姿勢のいい男だった。白髪交じりの,それでもまだ豊かな髪をきちんと手入れしている。共和国元首の主席秘書官で、政庁の官僚組織のトップであるバザリクだった。バザリクはちらっと馬車の方へ目をやった。タラスマンに続いて誰かが出てこないか確かめたのだ。その視線に気づいてタラスマンがわずかに首を振った。それを見て、


「ベルヴィーダス大神官長様は……?」


 その質問にタラスマンが頷いた。バザリクだけに聞こえる小声で、


「お出でになれない」


 今日の閣議に出席を求められたのは“リオナ神殿の責任者”だった。だから本来はベルヴィーダス大神官長が来るべきだった。彼が神殿における集団礼拝のときにイーシャに襲われてから、神殿騎士に厳重に護衛されて神殿の最奥部に閉じこもっているのは、貴族、高級官僚、高級将校、大商人の間では密かに、しかし広く共有されている事実だった。平民でも耳のいい者は知っている。


「そう、ですか」


 バザリクがかすかにため息をはきながら応えた。


「できればベルヴィーダス大神官長様にお出で頂きたかったのだが」

「部屋から出ようとすると足が震えて進めないのだ」


 タラスマンが神殿の中にいる者しか知り得ないことを付け加えて説明した。


「私の神官長という位階では不足ですかな?」

「いや、考えてみれば卿の方が素直な意見をいただけるかもしれません。皆様お待ちです、案内いたします」


 政庁で一番格式の高い会議室で、普通は最高意思決定会議にしか使われない部屋だった。バザリク秘書官が開けた扉をくぐってタラスマン神官長が入っていくとそこに集まっている男達の視線が一斉にタラスマンに注がれた。


――ルガリオス元首閣下以外は全員いるな――


 タラスマンも一瞬で会議室の中の様子を把握した。既にリキサーク軍務卿、フィジルダ外務卿、スタジーブリ内務卿、ラノア財務卿、ドレクスーバ商務卿と最高意思決定会議の全員がそろっていた。最高意思決定会議に神殿関係者が呼ばれることは時々ある。今回のようにラベルニク神聖連合関係の議題のときは特にそうだ。しかしこれまではベルヴィーダスが出ていた。彼なら二派に分かれている貴族の間を巧みに泳ぐことができる。


――荷が重いな――


 内心ため息をつきながらタラスマンは部屋の中の空席――入り口に近い下座の席に座った。


「それではルガリオス閣下をお呼びして参ります」


 バザリクがそう言って、部屋の奥にある別の扉を開けて入っていった。元首の執務室につながる扉だった。待つほどもなくルガリオス二世がバザリクに続いて入ってきた。


 ルガリオス二世が席――執務室へ続く扉を背にした上座――に着くと、


「それではこれから最高意思決定会議を始めます」


 バザリク秘書官がそう宣言した。



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