第31話 輸送隊襲撃 1

 共和国首都のリオナから北へ延びる街道はビクラス街道と呼ばれていた。北方の大国、ジェムシェンガ王国およびラベルニク神聖連合との交易路として重要視されており、道幅も広く石で舗装されていた。大型の荷馬車が悠々とすれ違える広さだった。

 ビクラス街道はリオナを出るとやや北東に向かい、馬車で4日(軍用馬車なら3日)徒歩12~14日でラベルニク神聖連合との国境の町、ルーケビドに到着する。ルーケビドを出ると、徒歩1日ほどの距離をラベルニク神聖連合との国境沿いをたどり、やがて北西に進路を変え、馬車3日行程でフェリノザに到着する。リオナからフェリノザまで全体で商用馬車で7日、軍用馬車で5日半の旅だった。

 共和国とジェムシェンガ王国、ラベルニク神聖連合の関係が良好なときは交易量も多く、人々が盛んに行き来する街道だったが、現在はリオネール共和国とジェムシェンガ王国は交戦中であり、ラベルニク神聖連合との間も良く言って冷たい緊張状態、あからさまに言えば一触即発の状態であり、交易はほとんど途絶えていた。ビクラス街道を行く旅人も激減しており、途中の宿場町も閑散としていた。


 そのビクラス街道をひたすらに北に向かっている一隊があった。共和国の輸送大隊だった。1個大隊800の兵が100台の軍用荷馬車を駆っていた。2頭立ての馬車に御者が二人、馬車に乗り込んだ護衛兵が三人、残りの兵は騎馬で随行していた。何よりも速さに重点を置いた編成だった。

 フェリノザに送られた1個兵団――あちらこちらの部隊から引き抜いてきた混成兵団だった――への物資だった。増援の部隊はフェリノザを占拠したジェムシェンガ王国の部隊と睨み合っている。ハチェット砦の共和国軍、それと対峙しているジェムシェンガ王国軍の主力、砦の後背であるフェリノザを占領している王国軍、フェリノザの手前に位置した増援の共和国軍と、敵対する勢力が入れ子になっていてどの部隊も迂闊に動けなかった。大急ぎで駆けつけた増援部隊も持久戦を想定していなかったため持ってきた物資だけでは足りず本国に補給を要請した。その結果の補給大隊派遣だった。

 ビクラス街道に他の通行車両、通行人がほとんどいないせいで輸送大隊は通常よりもかなり早くルーケビドに到着した。ルーケビドの宿はガラガラで輸送大隊の兵達はその夜はまともなベッドに寝られることを喜んだ。ただし何事にも例外はある。不寝番に当たった中隊の兵達だった。


「ちっ、ついてねえな」

「まったくだ。よりによってルーケビドで夜直だなんてな」

「半直だからもうすぐ明けるぜ」

「こんな時間になってしまえば、いいところなんぞもう残ってるもんか」


 ルーケビドはラベルニクとの国境というだけではなかった。交易都市として栄えていたのでその歓楽街は共和国内でも、首都を除けば一、二を争う質と規模を持っていた。ラベルニク中から集まってきた商人やその護衛達がやっと共和国に着いたからと言って羽目を外すのだ。神聖同盟内では表向きあいまい宿は許されていなかったからだ。もちろん半非合法のそう言ったものはあるが、当然のように共和国内より高く付いた。だから神聖同盟から来た男達は、ときには女も、共和国に入ればそういう場所に行きたがった。


「少佐殿たちは今頃お楽しみ中だろうぜ」

「羨ましかねえな。俺たちとは行くところが違うからな」


 大隊の幹部将校と一兵卒では行く見世の格が違う。たとえ格上の見世に行ける金を持っていても兵は将校が行くような所へは行かない。


 彼らが警備しているのはルーケビドの東門に入る手前にある広場パークにとめてある馬車だった。護衛もなしに、市外に軍需物資を満載した馬車を一晩放っておけば翌朝には物資の半分はなくなっているだろう。だから明々と篝火をたいて中隊の半分、40人でぐるりと取り囲んで警備をしていた。


「んっ?」


 ブツブツと文句をたれながら見張っていた兵の一人が声を上げた。次いでキョロキョロと周囲を見回した。


「どうした?」


 同僚に訊かれて、


「いや、なんかあそこを」


兵が兵が自分の正面よりやや左斜め前を指しながら、


「何か通ったような気がして」

「何かってなんだ?」

「スッと通り過ぎたようなんで、よく分からないんだが……」

「人か?」

「いや、もっと小さな細長い生き物みたいだったが」

「おい、確かめてこい」


 側にいた下士官が数人の兵に命じた。魔物だったら小さくても油断できないことがある。何かを見たかもしれない兵を含む四人の兵が槍を構えてとめてある馬車の方へ向かった。100台の馬車が整然と並んでいる。そのうち20台ほどを検めて、


「なにも異常は見つかりません」

「そうか、篝火が揺れたのでも見間違えたんだろう」


 少なくとも変な気配はしない。そう結論づけてそれ以上の捜索は止めたが、そのまま捜索を続けても何も見つからなかっただろう。


 侵入してきたのはイーシャの“右腕”だった。馬車の下に潜って床板に張り付いてしまえば篝火の明かりの中で見つけることはまず不可能だった。右腕は綺麗に並べられた馬車の1台1台に潜り込んでおみやげを置いていった。


 馬車への工作がすむと右腕は街中へ移動した。ほとんど灯りのないルーケビドの街でも市庁やくばの周りは明るく照らされていた。入り口には警備兵がいたが、上空から近づいた右腕には気づかなかった。市庁内を天井に張り付くように移動して輸送大隊の幹部将校が寝ている一角に近づいた。

 扉の上の小窓を開けて侵入したのは輸送大隊の指揮官の部屋だった。少佐の階級章の付いた軍服をハンガーに掛けて指揮官は裸でベッドに横になっていた。これも裸の女が少佐にもたれかかるように寝ていた。ルーケビドの最高級の娼館から呼んだ女だった。掛け燭の薄暗い灯りの中で右腕は少佐に近づき、持ってきたイーシャの髪の毛を首から少佐の体内に浸入させた。少佐は蚊に刺されたときのように、髪の毛が潜り込んだ皮膚の辺りをパチンと叩いたがそのまままた眠り込んでしまった。




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