第30話 国境の砦 2

「大佐殿、大佐殿!起きてください」


 砦の司令官室のドアを副官がたたいていた。


「敵襲であります、大佐殿!」


 副官の大声に対しても部屋の中からは何の反応もなかった。もう焦げくさい匂いが辺りに漂っていた。砦の中もざわめいている。あの神経質な司令官が気づかないはずはないと思って司令部で待っていても一向に現れなかったから来てみたのだ。


「くそっ」


 ガチャガチャとドアを開こうとしても無駄だった。中から鍵――閂錠――がかかっている。


「どういうことだ、なぜ鍵がかかっている」

「いえっ、中尉殿。普段は鍵などかけません」

「ええい、ドアが壊れても仕方がない、体当たりで開けろ!」

「しかし、中尉殿」


 司令官の口やかましさを思うとためらいがちになる。


「責任は俺がとる!敵襲なのだ。司令官なしで戦えるか」


 司令官室の見張りをしていた二人の兵が体当たりすると3度目で、頑丈なドアが壊れた。


「大佐殿」


 部屋に飛び込んだ副官の中尉はベッドに仰向けになっている司令官を見つけ近寄ろうとして思わず足を止めた。仰向けの司令官の胸に剣が突き立っていた。見慣れた司令官自身の剣だった。


「大佐殿!」


 大量の血液がベッドをぬらし、床にまで広がっていた。一目で司令官が死んでいることが分かった。副官はしばらく目を見開いていたが、慌てて回れ右をして部屋を飛び出した。副司令官にできるだけ早く報せなければならない。今にも敵が砦の中になだれ込んでくるかもしれないのだ。命令者なしに戦える状況ではない。


――この砦の司令官はラクドミール戦役にも従軍していた。その所業は共和国の高級将校として特に酷薄であったというわけではなかったが、イーシャには見逃せない相手だった。公宮攻略戦にも加わっていたからだ。――





 同じ頃、ブレソラン王国側の砦でも司令官室のドアがノックされていた。


「閣下、起きてください。緊急事態です」


 ノックしているのはちょくに入っている中隊の隊長だった。普通はじかに砦の司令官に口をきける立場ではなかったが、直の責任者で緊急事態が起きているときは別だった。


「おう!」


 短い応えがあって部屋の中で人が動く気配がしてきたので中隊長はドアの前でかしこまった。10日ほども前なら直ぐにも司令官は顔を見せただろう。しかし共和国砦の人員が減らされたと知ってから、司令官は寝るときには完全に夜着に着替えるようになっていた。奇襲の心配がなくなったからだ。だから着替えるのに時間がかかる。部屋の前で待機する中隊長は内心イライラしながらも直立不動で待っていた。連れてきている三人の兵も同じように直立不動を保っていた。ガチャっとドアが開いたとき顎を引いてさらに表情を消した。時間をかけただけあって軍服を完璧に着こなし、髪の寝癖も直っていた。外見を特に気にする気質だった。


「何事だ?」


 眠りを邪魔されて司令官は不機嫌だった。くだらないことで起こされたのなら叱責するつもりだった。


「共和国砦から火が出ております」

「なに、火が、共和国砦から?確かなのか?」

「はい」


 司令官は中隊長と同行してきた三人の兵に視線を走らせた。三人とも表情を動かさない。中隊長の言うことを肯定しているのだ。


「望楼へ行くぞ」


 司令官は足早に望楼へ向かった。その後に四人が続く。望楼は同じ建物内にある。ほとんど駆け足になりながら建物の中がざわめいているのに気づいた。すれ違う兵の数が真夜中と思えないほど多かった。司令官を認めては足を止めて敬礼して、それからまた早足になって自分の持ち場へ急ぐ。

 望楼の階段を急いで登った。望楼にいた兵は司令官を見て後ろへ下がった。副司令官は既に来ていた。2里彼方の共和国砦は王国砦からは見下ろす形になる。王国砦は山地を少し登ったところに造られていたからだ。いつも憎々しげに見える共和国砦は今、派手に炎を上げて燃え上がっていた。


「失火、……ではないな」


 独り言のような司令官の言葉に副司令官が応えた。


「はい、火を出している範囲が広くどこも同じくらい派手に燃えております。複数箇所に同時に放火されたものと思われます」

「攻撃されていると見るべきか」

「はい、そう思われます」

「わしは攻撃命令など出してないぞ」

「はい、現在出撃している部隊はありません」

「ルスタノア連邦か?わざわざこんな所まで出張ってきたのか」


 この場所に一番近い外国はルスタニア連邦だ。しかし砦を攻撃できるほどの軍を、リオネール共和国にもブレソラン王国にも知られずにここまで派遣できるとは信じられなかった。


「偵察隊をだしますか?」

「正確な情報が必要だな。複数の偵察隊を出せ。違う経路で接近して情報を集めさせろ。情報収集が第一だ、むやみな戦闘は避けるようにしろ」

「畏まりました」


 副司令官がその命令を実行するために望楼を降りようとしたときだった。彼らの目の前の中空にいきなり火の塊が出現した。それが砦の壁や建物に当たって火をつける。次々に飛来する火箭の1本が望楼に命中した。大きく炎が上がった。


「閣下、降りてください!敵襲です」


 砦の中は大騒ぎになっていた。打ち込まれた火箭は30本ほどだったが、すべて壁や建物の木造部分に当たって派手に燃えている。偵察隊を出すどころではなかった。火を消さなければ焼け落ちてしまう。




 結局共和国側にも王国側にもこの夜の攻撃の真相は分からなかった。互いに相手が攻撃してきたものと思い込み、外交の場での非難合戦になった。そして4日後、リオネール共和国はブレソラン王国に宣戦を布告した。



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