第28話 イルディア Ⅱ
「第二兵団の派遣は取りやめになったそうよ」
「あら、フェリノザを見捨てて国境を放棄するの?共和国は」
出陣式を襲撃してから4日が経っていた。イーシャは相変わらずイルディアの宿に滞在し、イルディアは宿を閉めてイーシャ以外の客を泊まらせなくなっていた。イルディアの宿は町屋の建物で何の防御設備もなかった。玄関と裏口から突入されれば一見逃げ道はない。イルディアはそれを指摘して居を移すかどうかイーシャに訊いたが、イーシャは笑っただけでそのままイルディアの宿に居続けた。いざとなればいくらでも遣り様はあった。イルディアは知らなかったが襲撃者共々建物を潰すこともできた。
宿を閉めたイルディアはイーシャの日常の世話の他に、リネッティの傘下に入った娼家の
「いいえ、他の国境、主にはラベルニク神聖連合との国境みたいだけれど、そちらから兵力を抽出してハチェット砦に送ることにしたそうよ」
「抽出して?」
「ええ」
「数は何とかなっても、一個の戦力として動いたことのない軍、ってことよね」
「そうなるわね」
イーシャが嗤った。
「どうして第二兵団じゃだめなの?」
「暗部が出陣式襲撃の仔細を調査したのよ」
「へえ~」
「その報告がね。あのとき出陣式の現場にいた人間なら誰が標的になっていてもおかしくなかった、という結論なのね」
「それで?」
「つまり、犠牲者が第二兵団の司令官や参謀長でなく、ルガリオス二世元首閣下や他の高位貴族、特に六家の当主であった可能性もある、ってこと」
「それでぶるっちゃった?」
「そう、それでそれぞれの館の奥に引っ込んで外に顔を見せなくなったって、大勢の護衛に囲まれてね。ほんとに玉が付いているのかしらね?あの人達。第二兵団がハチェット砦に行ってしまうと首都の警備が薄くなるのが嫌だって」
「本当にね」
「でも、どうして元首閣下や六家の当主を狙わなかったの?」
何気なくそう訊かれてイーシャはまっすぐにイルディアを見た。イルディアもイーシャを見返した。しばらくの沈黙の後、
「そうね、きっと、あの人達には国を喪うっていう経験をしてほしかったからだと思うわ。自分の責任で、自分の時代に国が破れ、自分が支配し、保護するはずだった国民が放り出されるという経験をしてほしかったのよ。死ぬのはその後でいいでしょう?」
「この国を壊したい、わけ?」
「そう。で、どうするの?この話を警備隊にご注進におよぶ?」
イルディアの態度に共和国に対する隔意のようなものを感じていた。リオナに情報源を置いておきたいと思っていたイーシャにとっては賭けのようなものだった。長期間にわたって信頼できなくてもいい、当面裏切らないと見込める対象がほしかった。イルディアも笑顔になった。
「いいえ。この国を壊すなら手伝うわ」
「理由を聞いても?」
「私が
「ええ」
「父も魔狩人だったの。腕のいい魔狩人で住んでいた街の魔狩人のまとめ役も遣っていたの」
笑顔に悪意がちらほらするようになってきていた。
「ある日、その町が
「あら、あら」
「警備隊の司令官が貴族の甘やかされた次男坊で赴任したばかり、そこにいきなり魔物氾濫だから氾濫規模を大きく見積もりすぎたのね。市壁の外に魔物があふれたら腰が引けて逃げ出したのよ。だから後に残された魔狩人達だけで対処したの。魔狩人の3割の犠牲を出して何とか凌いだの。で、その後、逃げ出した司令官が魔狩人からの情報がなかったと因縁をつけてきたのよ。魔物氾濫が起きることを知っていたくせに警備隊に報せなかったと」
イルディアはもはや笑顔ではなかった。無表情な夜叉、とイーシャは感じた。
「警備隊が父を逮捕して裁判にかけたの。その裁判で父の下で闘った魔狩人達が、司令官の言うとおりだと証言したの……」
握った拳が震えていた。
「脅されたのか買収されたのか知らない。でもあのときの父の目は忘れられない。あなたもときどき同じ目をするわ」
その目を見たからイーシャの遣ることを受け入れたのだ。
「父は犯罪奴隷に落とされて、鉱山に送られたわ。4年しか生きなかった。落盤事故よ。危険を冒して犯罪奴隷を助けに行こうなんて誰も思わないから」
拳の震えが収まっていた。
「母は私を連れてその鉱山町へ移り住んだ。元の街には住めなかったしね。雑用をこなしながら私を育ててくれた。でも父が死んで7日で後を追ったわ、何も食べなくなったの。もともと体の丈夫な人ではなかったしね。私は14になっていたから魔狩人になって生きてきたの」
「その司令官はどうなったの?」
「跡継ぎだった長男が死んだから今はお貴族様よ。フィジルダ系の有力貴族だわ。おかげで近づけもしない」
――近づくことができれば一太刀あびせてやるのに――
「そう、国が潰れればその貴族家も潰れるわね。個人的に潰すのもありかしら」
「可能なら、そうしたいわ」
「いいわ。私もリオナに誰か置いておきたかったの。あなたが協力してくれるならそれなりの見返りを期待していいわ」
長期にわたって信頼できなくても取りあえず裏切らなければいい、それがイーシャの他人に対する態度になっていた。イルディアにとっても長年鬱積していた想いをイーシャといれば晴らせるかもしれない、だから協力するというに過ぎなかった。少なくともこのときは。
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