第25話 ガラントゥ崩壊

 “夕霧楼”はナンガスでも最高級に分類される娼館だった。その最上階の特別室で男が酒を飲んでいた。50がらみの禿げた男だった。背が高く、痩せていて、しかし節制を忘れて長く経つことを示すように腹がだらしなく出ていた。裸で腰の辺りをバスタオルで覆っただけの格好だった。裸体に薄いローブを羽織っただけの女が二人、男の酌をしていた。夕霧楼で最も売れっ子の娼婦おんな達だった。男の左右から身体をもたせかけていた。男の正面に、きちんと服を着た40がらみの女が座っていた。かっての美貌を窺わせる目鼻立ちは残っていたが既に二重顎の、体重を持て余す体型になっていた。以前は男の愛妾だった女で夕霧楼の支配人を任されていた。


「ジェグ様、リネッティを潰した後は私にナンガス全部を任せてくれるというお約束を忘れてはいやですよ」


 身体をくねらせながら甘い声を出した。以前ならとんでもない効果を男に対して持ったであろう媚態だった。


「ああ、分かってる。だが少し待て、ラドックのことと神殿での騒動、さらにはムノブライの事件だ。警備隊がピリピリしている。戒厳令に夜間外出禁止令まで出ている。今は下手な動きはできない」

「その夜間外出禁止令ですけど、いつまで続くんですか?昼間の客だけじゃやっていけませんよ。おまんまの食い上げになりますよ」

「もう少しだな、警備隊が大使館に踏み込んで、既に外国の諜報組織を五つ潰している。ジェムシェンガ王国のが二つ、ラベルニク神聖連合、ブレソラン王国、ルスタノア連邦が一つずつだな。もう碌な組織は残ってないからあと数日だろう」

「数日?う~ん、まだ待つんですか~?」

「その代わり、ラドックの奴がいなくなったから、リネッティを潰すのに遠慮する必要がなくなった。なにせあいつ、リネッティの縄張りから三分の一くらいを寄越して手打ちさせるなんて言ってからな」

「そんなたった三分の一だなんて」

「リネッティが残っている方が俺たちガラントゥから余計に毟れると思ってたんだろう。もう遠慮する必要なくなったから、ナンガスからリネッティを完全に追い出してやる」

「期待してますわよ~」


 女が軽く合図をすると、男の両隣にいた女達が甘い吐息を吐きながら男への密着度を高めた。


「「うふ~ん」」


 男は女達の身体に廻した手に力を入れて引き寄せた。


「よ~し、かわいがってやるか」

「はいはい、お前達、たっぷりサービスするんだよ」


 そう言って女が部屋を出て行った後、男が女達をベッドに引きずり込んだ。直ぐに部屋中に営業用の艶声が満ちた。


 薄暗くなった部屋の隅からイーシャが三人の狂態を見ていた。男は女達をむさぼることに夢中で、女達は男の欲望に応えて気に入られることしか考えておらず、気配を消したイーシャに気づく者はいなかった。女の身体の上でヒコヒコと腰を動かしている男の背中にイーシャの髪の毛が一本伸びていった。その毛が左の肩甲骨の内側から男の身体に潜り込んで、プツンと切れたとき、男の身体がビクンと動いた。


「グフッ」


 押し殺した悲鳴をあげて、男の全身から力が抜けて女に全体重がかかった。


「ジェグ様、重い」


 覆い被さってくる男の身体をどかそうとして様子がおかしいのに気づいた。歯を食いしばった苦悶の表情で息絶えていた。


「ジェグ様!!きゃーっ!!」


 たちまち娼館中が大騒ぎになった。


その騒ぎの中、嫌悪感を顔いっぱいに貼り付けたイーシャは誰にも気づかれることなく娼館を出て行った。


――見たくもないものを……、たっぷり慰謝料をとらなきゃね。PTSDだわ――





 ドアにノックがあった。


「はいれ!」


 ベッドに腰をかけた部屋の主が応えた。

ドアが開いて突き飛ばされるように若い華奢な男が入ってきた。その後ろからひげ面のがたいのいい男が入ってきた。蹲った男を無理矢理立たせながら、


「お待たせしやした、チェルニー様。この野郎、むずかりやがって」


 それを聞いて部屋で待っていた男はにやっと嗤った。


――嫌がる奴を組み敷く方が面白い――


「ガラントゥ一家のチェルニー様の配下になればこういうこともあるんだと分かっていたはずだろうが、一体何様のつもりだ」


 若い男をここまで連れてきた男が罵った。


「お、俺は、まだもう少し、時間があるものと……」

「何を甘えたことを言ってやがる。お前みたいなひょろを一家に入れたのはチェルニー様のお眼鏡に叶ったからだぞ。何で時間があるなんて甘えたことを思ってんだ」

「でも、……」

「もういい、そいつを置いて出て行け」


 チェルニーにそう言われて、


「へっ、かしこまりやした。おい、小僧。せいぜい粗相のないようにするんだな。下手なことをすれば市壁の上からたたき落としてやるからな」


 それを聞いて若い男は身をさらに縮こませた。その格好に面白そうに笑いながらチェルニーが、


「おい、立て!」

「い、いや……」


 チェルニーの目つきが冷たくなった。


「散々をこましてきたんだろ。自分がこまされるほうになったからって喚くんじゃねえ」


 チェルニーはベッドから降りると男を乱暴に立たせて剥ぎ取るように服を脱がせた。


「や、やだ」


 裸に剥いた男の目の前でチェルニーは自分も裸になった。がっしりと鍛えられた肉体に似合わない可愛らしいが屹立していた。


「来い!」


 男の腕を掴んで乱暴にベッドに押し倒してのしかかろうとしたとき、チェルニーの身体がビクビクと痙攣し、そのままバタンと倒れた。ブクブクと泡を吹いて、ぴくっとも動かなくなった。


「んなもの、見たくもないわね」


 小さくそうつぶやいて、イーシャが部屋を出て行った。


「チェ、チェルニー様!」


 若い男の断続的な悲鳴が響いた。チェルニーの性癖を知っている部下達はその悲鳴を無視したが、さすがに半刻も立つとおかしいと部屋を覗いて、失禁して気を失っている若い男と床に長々と伸びたチェルニーを発見したのだった。





 ゴジはベッドに寝転がったまま、板を当てて包帯で厳重に固定された右腕を持ち上げた。ズキンと痛みが走る。腫れがなかなか引かない。顔をしかめるような痛みが続いている。


「あの下手くそめ!」


 骨折の手当てをした医者を罵った。骨が飛び出た骨折を無理矢理整復して、皮膚を縫ったのだ。悲鳴を上げないためにゴジがかんでいた木の棒に深く歯形が付いた。消毒などという概念はないから、化膿せずに治るかどうかは運任せだった。


 ドアを開けて女中メイドが入ってきた。湯を張った桶を持っている。


「身体をお拭きします」


 そう言うと手早くゴジの服を脱がせた。裸のゴジの身体を絞った布でゆっくりと拭いていく。顔から初めて肩、胸、背中と順番に丁寧に拭いていって、そこで布を換えた。


「ふふっ」


 小さく笑って、ゴジのをツンツンと指でつつくと暖かくぬれた布で包んだ。上目遣いにゴジの顔を見る。ゴジが頷いた。女中は布を外してゴジのをパクリと咥えた。じゅり、ちゅると水音がする。


「うっ」


 蕩けた顔でゴジが女中の頭に左手をやって撫でた。女中の動きが速くなる。とっ、女中の頭を撫でていたゴジの手が急に力を無くしてバタンと落ちた。


「えっ?」


 急に手応えがなくなったゴジの顔を見て


「きゃーっ」


 と悲鳴を上げた。白目をむいたゴジの顔が枕を外れて力なく横にたれていたのだ。


「つまんない仕事……」

と言いながら部屋から出て行くイーシャに気づくはずもなかった。



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