第21話 闇結界

 その日の深夜、プレルザ・ムノブライは一族の男二人を連れて、イーシャが滞在している宿の近くまで来ていた。宿の見取り図で部屋の配置と、どこがイーシャのいる部屋か、頭にたたき込んでいた。リネッティが持っている情報は全て提供されていた。

 油断はしていないつもりだった。神殿でのイーシャの行動をできるだけ詳細に集めて検討し、一族の他の人間に任せるのではなく自ら出向き、さらに二人を同道させて万全を期したつもりだった。複数の騎士を短時間でぶっ飛ばし、屋根に穴を開けるほどの魔法を使うというイーシャを封じ込めるためには、一人では心許ないと結論したからだ。目撃証言からはどんな魔法を使ったのかはっきりしなかったが、神殿騎士達を一人で手玉にとったのは確かだった。同道させた二人とも一族の中で体術、武術に優れた男達だった。

 三階建ての変哲もない建物だった。リネッティからの情報に依れば、イーシャは二階の一番奥の部屋に滞在しているという。今日も夕食後に部屋に引っ込んでその後動きはないことが報告されている。

 宿の入り口と道路を挟んだ向かいの建物の軒下に身を潜めた。ナンガスでも外れに近いこの辺りは篝火も遠く、建物の陰に入ってしまえば視認することは難しい。まして気配を消すことに長けているムノブライの一族だった。灯りもなしでは、直ぐ側まで来なければ気づく者はいない。身をかがめたまま慎重に宿の内部を探った。イーシャの他に三人の客がいるようだ。それに女将も自分の部屋にいる。


「動いている人間はいないようだな。皆寝ているか」


 プレルザの小声に二人の男は頷いた。二人とも宿の中を受動探査していたのだ。探査の魔法を飛ばしての能動探査ならもっと正確な情報、この小さな宿くらいならどこに何人の人間がいて、どう動いているかが手に取るように分かる。しかし、そんなことをすれば気づかれる恐れがある。探査魔法が放たれたことに気づくことができる人間もいるのだ。イーシャにそれができるかどうか分からない。しかし、これまでの行動を見ると慎重を期した方がいい。それで受動探査に徹し、念を入れるため三人で探った。その結果が一致すれば確度は高い。


「闇結界は私がかける。お前達は部屋の前に待機して結界がかかれば直後にとびこんで奴の身柄を確保しろ。手傷を負わせてもかまわん。手に負えなければ始末しろ」

「かしこまりました」


 悪手だった。強敵を相手にするときは命令は簡潔な方がいい。“手に負えなければ”などという条件をつければ手に負えるかどうか確認するために攻撃にわずかな遅滞が出る。その遅滞が命取りになることもあるのだ。


「殺せ」


 と簡潔に命令するべきだった。その過程で無力化できれば生け捕りにすれば良い。


 二人の男は宿の玄関の鍵を簡単に解錠してするすると中へ入っていった。プレルザ・ムノブライは二人の気配が目的の部屋の前に達するのを待って闇結界をかけた。


 闇結界は、ムノブライに伝わる家系魔法だった。他の多くの家系魔法と同様、女系で遺伝する。つまり祖母から母へ、そして娘に伝わっていくが、その魔法を使えるのは直系の女から生まれた男だけだった。しかし魔法の使える男が子を成してもその子には、男であろうが女であろうが素質は伝わらない。

 プレルザ・ムノブライは自分から200尋までの距離の任意の場所に闇結界をかけることができた。結界の大きさは最大で15尋四方、結果の中で人は、人に限らず動物や魔物も、視覚と聴覚を奪われる。人間は外部情報の99%を視覚、聴覚から得ている。いきなり外部情報が遮断されるとほとんどの人間はパニックを起こす。その闇結界の中でムノブライの男達は自由に動ける。つまり一度闇結界に捉えてしまえばその人間はムノブライに抵抗する術がない。プレルザ・ムノブライがムノブライとして活動を始めてから、闇結界に捉えた人間に逃げられたことはなかった。ほとんどの場合プレルザ一人で対象を処理することができた。プレルザ・ムノブライはムノブライ家の歴史の中でも五指にはいる優れた魔法使いだった。




 イーシャは害意に敏感だった。まして夜間外出禁止令が出ていて街中に人通りがない。その中でかなりの魔力量を持った存在が、害意を持って近づいてくるのをずっと手前から感づいていた。プレルザ・ムノブライが想像もしない距離からイーシャは三人の動きを見ていたのだ。ムノブライの男達は巧みにパトロール中の警備隊を躱していたがイーシャからは丸見えだった。


 二人の男が宿に入ってきたとき、イーシャは横になったまま左手でナイフを確かめ、右手をドアの側に待機させた。結界がかかって視力、聴力が奪われたとき一瞬息をのんだ。それまで遭遇したことのない魔法だったからだ。それでも直ぐに髪の毛を伸ばして部屋中に粗い網目を作った。それに触れずに人間の大きさを持つ者が部屋の中で動くことはできない。視覚の代わりだった。髪の毛に触れる者がいれば位置が分かる。

 結界がかかった直後乱暴にドアが開いて男達が飛び込んできた。一人は短めの長剣を持ち、もう一人は短槍を構えていた。屋内の戦闘になれた男達だった。寝台をめがけて突進しようとしたとき、両手に強い痛みを感じて思わず得物を取り落とした。慌てて拾おうとして両手とも肘から先が動かないことに気づいた。むっくりと寝台の上で起き上がったイーシャを見て、直ぐに逃走に移ったのはさすがの判断力と言って良かった。


――今は撤退した方がいい――


 二人ともほとんど同時にそう思ったのだ。だがその時には既にイーシャの髪の毛に触れた所から、その髪の毛が男達の体内に侵入を始めていた。

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