第18話 神殿の騒乱 2

 三人の騎士に囲まれたとき、イーシャが左腕を水平に上げてくるっと一回転した。剣を構えていた騎士達が弾かれたように一尋ほどを跳ばされて、背中を床に強く打ち付けた。また悲鳴が上がって、ホールから逃げ出そうとした者達と騒動をもっと近くで見ようとする者達がぶつかった。悲鳴と怒号がホール内に交錯した。倒れた神殿騎士達を冷たい目で見下ろしてからイーシャの身体がふわーっと浮いた。


「えっ?」


 そのままストンとベルヴィーダスの目の前に降り立った。ベルヴィーダスがびっくりしたように目を見開き、思わず後ずさった。


「な、何だ、お前は!?」


 あっという間に襟首をで捕まれて持ち上げられた。踵をあげた姿勢のまま目の前の小柄な女を眼だけで見下ろしながら、ベルヴィーダスはだらだらと汗を流した。


「猊下!」


 神殿騎士達が悲鳴のように呼びかけた。見上げた戒壇の上では護衛対象のベルヴィーダスが文字通りつるし上げられている。大ホールの床から戒壇まで1.5尋の高さがある。鎧のままでは登ることもできないし、手も足も出ない。階段は裏にしかない。


「猊下の元へ!」


 隊長格の騎士が命令して裏に向かって走り出した。


「ベルヴィーダス大神官長だな」

「お、お前は、一体誰だ?こんなことを、して……」


 フードの奥の目が光った気がしてベルヴィーダスは思わず口を閉じた。その光から物理的な圧迫を感じたのだ。


 この大神官長が奴隷解放の偽信書に神聖御璽を押した本人であることを、イーシャはギゼの口から確認していた。イーシャの獲物の一人であった。


「おぼえておけ、私はいつでもお前を殺せる。お前が生きているのは私の気まぐれでしかないことを肝に銘じておくのだな」


 低い小さな声だったがはっきりと聞こえた。背筋が寒くなるような冷たい声だった。そして、ベルヴィーダス自身も気づかなかったがイーシャの髪の毛が一本、頸部の皮膚を貫いてベルヴィーダスの身体にするすると潜り込んでいた。髪の毛は頭蓋底から頭蓋内に入り込んで、脳の表面で小さな球を作って待機に入った。。

 イーシャの右手が掴んでいたベルヴィーダスの襟元を離した。乱暴に投げ出された訳ではないがベルヴィーダスはよろけて、立つことができなかった。尻餅をついたベルヴィーダスの前でイーシャが左手を挙げた。まっすぐに神像に向いた左手から魔素の塊が飛んだ。強く圧縮された魔素塊は一瞬で神像に命中し、圧縮を解除した。グァンという音と共に神像の足が弾け飛んだ。もうもうと立つ埃の中で支えを失った神像が前に倒れ込んでさらに大きな音をたて、破片をまき散らした。

 キャーッと言う悲鳴と怒号がホールのあちこちから起こった。ほとんどの人間達が入り口に向かって殺到していた。面白そうだから見ていようという余裕はなくなっていた。

 イーシャが左手を上に向けた。今度はドカン、ドカンと言う音と共にイーシャの位置から離れた天井に大穴があいた。ドカドカと破片になった天井の建築材が落ちてくる。丁度裏から階段を上って表に出ようとしていた騎士達の頭上に降り注いだ。一人か二人、落ちてきた瓦礫に当たり埋もれてしまった。もう一度腰を抜かしているベルヴィーダスを見下ろしてからイーシャの身体が浮き、天井に開いた穴から神殿の外に出て行った。その直後に神殿騎士達がベルヴィーダスのもとに到達したのだった。



 この騒動で3人の死者と20数人の負傷者が出た。死者はすべて神殿騎士で最初に壁にたたきつけられた一人と、崩落した天井の瓦礫に打たれた2人だった。負傷者は大ホールから逃げだそうと入り口付近で押し合いへし合いした者たちと、イーシャを囲んで吹き飛ばされた騎士達だった。



 警備隊将校殺害事件、神殿襲撃事件と立て続けに起きると、共和国政府はリオナに戒厳令を敷いた。神殿襲撃にはたくさんの目撃者がいたはずだったが、警備隊は犯人像を絞れずにいた。人は恐怖のフィルターを通すとまともに認識できなくなるのだ。犯人は女のようだ、フードを目深にかぶっていた、というのは共通していたが、大女だという者から、いや、小柄だったという者もいたし、かぶっていたフードも灰色、焦げ茶、あるいは濃紺、と色が一致せず、赤かったという者までいた。フードに隠れて人相も髪の色も分からなかった。一番近くで見たはずのベルヴィーダス大神官長でさえ覚えてなかった。神殿の天井に大穴を開けてそこから跳び出たらしいのだが、ふわーっと浮き上がって行ったという者とすごい勢いで飛び出していったと言う者に分かれた。

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