第17話 神殿の騒乱 1

 イーシャは深くかぶったフードの奥で、できるだけ表情を動かさないように耐えていた。握った拳で、自分の身体を触っている神殿騎士を殴り飛ばさないように、懸命に我慢していた。

 男に身体を触られると背中を悪寒が駆け上る。それを、ボディ・チェックをしている神殿騎士に覚られないようにするだけでかなりの努力を要した。


 神殿の敷地の入り口だった。神殿はリオナの中央地区に広大な敷地をもっていて、高い塀を巡らせている。イーシャにとって飛び越えるのは簡単だったが、陽のあるうちは人目が気になる。それで正規の入り口を使ったわけだが、慎重にあたりを見極めて乗り越えれば良かったと後悔していた。集団礼拝の日で、しかもリオナの神殿の一番偉い神官が説教をすると言うことで大勢の人々が集まっている。それを神殿騎士がいちいちボディ・チェックをしている。身分証を検め、武器を持っていないかどうかを確かめているのだが、イーシャに対して他より時間をかけたのはイーシャが若い女だったからだ。よく見ると入り口を見張っている神殿騎士の中には女兵もいる。女は、特に若い女はそちらに並んでいて長い列ができている。


――次からは私もあちらに並ぼう、尤も次があるかどうか分からないけれど――


「行っていいぞ」


 やっとボディ・チェックから解放されてイーシャは豪奢な神殿の入り口に向かって歩いて行った。


 神殿はどこの街でも同じ形になっている。大きさや作りの豪華さの違いはあるが、壁が正確に東西南北を向いている正方形で、四つの角には尖塔が立っている。尖塔の天辺には鐘が設置してあり、一刻ごとに順番に鳴らしていく。時計が普及していない平民にとって時刻を知ることができる数少ない手段の一つだった。

 南に面した壁に大きな両開きの扉が設置してある。一般人用の正面入り口だ。正面階段を12段上って扉を入ったところが大ホールになっていて、集団礼拝はそこで行われる。平民が入れるのはここまでだ。イーシャが大ホールに入ったときは既に6~7分位人が入っていて、直ぐにほぼ満員になった。

 正面入り口の対面、ホールの北側の壁の前に戒壇がしつらえてある。1.5尋の高さがあるからホールの人々からは見上げることになる。戒壇の奥に神の像が建っている。成人男性の背丈の二倍はある像は、ゆったりした長衣をまといフードで顔を隠している。戒壇の下からでは、どの角度からでもフードの中は見えないようになっていた。

 神殿に祀られているのは“神”、創造神だ。神の名前は一般には知られていない。


『神を名で呼ぶのは礼を失する』


 と言うのが神殿の見解だった。同じ理屈で神の顔を見るのも、体型を見るのも礼を失する行為とされていた。ゆったりした長衣は神の体型を隠し、性別も分からなかった。


 戒壇の前の床には完全武装の、――実用性より装飾性を重視したように思える鎧を着用した――神殿騎士が12人、直立不動の姿勢で立っている。


 集まった人々は三々五々、知り合い同士で集まって雑談をしている。イーシャは大ホールの右の端に位置をとった。見知っている者がいるわけでもなく、他人から話しかけられるのも嫌だったからだ。ガヤガヤとうるさかったホールの中も正午の鐘の音と共に静かになった。


 戒壇の上、神像の後ろからきらびやかな刺繍の施された神官服を着た男が出てきた。リオナの神殿の長、大神官長のベルヴィーダスだった。初老の、白髪、長身、二重顎の太った男だったが豪奢な法冠と神官服がよく似合っていた。彼が集団礼拝を指導し、その後短い説教を行う予定になっていた。鋭い目つきで大ホールの中をぐるりと見回すと、両手を挙げて厳かな声で、


「よく見えられた、信徒の皆さん。まずは礼拝から始めましょう。跪きなさい」


大神官長の言葉に集まった民衆は皆跪いた。ベルヴィーダスは満足そうに大ホールを見回したが視野の端に違和感を感じた。一人立ったままの人間がいる。


「そこの人、跪きなさい」


 声に威厳を込めて呼びかけても反応がない。小柄な女に見えた。神官になってからこれほどあからさまに言葉を無視されたことはなかった。彼は決して気の長い人間ではなかったし、今の地位に就いてから自分の言葉を無視されることにも慣れていなかった。しばらく女を見つめていたが反応する気配がなかった。


「皆の礼拝の邪魔になります。外へ出しなさい」


 警護の騎士に命じた。イーシャに一番近い騎士――戒壇の前に展開している騎士のうち一番左にいた――がつかつかとイーシャに近づいた。イーシャはフードを深くかぶったまま身じろぎもしなかった。


「おい」


 呼びかけられても反応しない。


「礼拝の邪魔だ、外へ出ろ」


 イーシャの右肩をつかもうとしたとき、騎士の身体が吹っ飛んで壁にたたきつけられた。ガシャンという大きな音がした。そのまま床に倒れた騎士はピクリとも動かなかった。金属製の鎧の胸の部分が大きくへこんでいた。一瞬何が起こったか分からない所為の短い静寂があって、キャーッと言う悲鳴が上がった。

 イーシャの周りの人間達が慌てて距離をとった。恐ろしい者を見る目でイーシャを見つめる。中には面白いことになったと、これから起こる騒動に期待する目もあった。ホールの中は悲鳴と怒鳴り声が交錯した。


「取り押さえろ!」


 ベルヴィーダスの命令を待つまでもなく騎士達は剣を抜き、そのうち三人がイーシャの方へ駆けてきた。


「抵抗するな!手を上げろ!」


 中の一人が油断なくイーシャを見つめて大声で威嚇した。


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