第10話 イルディア

「なるほど」


 ガルブから時系列で話を聞いてイザメルは納得した。ガルブはあまり頭が良くない。女を口説くとき以外は頭を使わない。時系列に並べ直して腑に落ちるまで何度か聞き直して察した。


「つまりお前たちは引っかけられたんだ」

「はっ?」

「風でフードがあおられて顔が見えた途端、粉をかけようと思ったんだろ?」

「ええ、その通りで」

「最初から狙われていたんだよ。お前達みたいなのを釣り上げるつもりだったんだ、あの女」


 あれだけの魔力だ、そのほんの一部分を動かしただけで他人の――それも少ししか魔素を持っていない奴らだ――気を動かすのは簡単だろう。


「ふん、まあ、結果としては悪くないか」

「へっ、どういうことで?」

「ナンガスの裏社会の人間なら誰でも良かったんだ、あいつは。お前たちでなくガラントゥの者でもな」


 さすがにガルブにもイザメルの言う意味が分かった。


「あっ」

「そうだ。ガラントゥの者と最初に接触していたらあいつはガラントゥに取り込まれたかもしれない」


 そうなったら……、考えるだに恐ろしい。俺ではあの膨大な魔力は手に負えない。上手く幹部に話を通してあいつの機嫌を損ねないようにしなければならない。下手をするとリネッティが潰される。しかし上手くあいつを取り込むことができれば、そしてそれを俺の手柄にできればリネッティの中で登っていくことができる。しかしどう動くのか気をつけなければならない。下手をすれば破滅につながる。綱渡りだ。





 イーシャが目覚めたとき陽は既に昇っていた。質の悪いくもりガラスのはまった窓の外が明るい。横になったまま左手をあげて、人差し指の爪を真上に伸ばした。瞬時に天井ギリギリまで伸びてそこで止まる。次の瞬間には元の長さに戻っている。カデラルの船上で初めて使ったときに比べるとずいぶんとスムーズになった。伸ばす長さも正確になり、時間もずっと短い。朝の日課のようにする訓練だった。天井の別の場所めがけて伸ばして縮めてを繰り返す。魔力をスムーズに動かす練習にもなる。


――そういえば、壁と天井に囲まれた空間で寝るのは久しぶりだわ――


 ベッドは硬くて凸凹がある。しかし地面に直に寝るよりはましだ。一晩警戒に当たっていた右手が定位置――本来右手のある場所――に収まっている。左手のように細かい動きをイーシャが制御できるわけではないが、身体から離れて独立して動いていることを外部に覚らせない程度にはイーシャの動きに合わせることができる。眠る必要がほとんどないため不寝番には持って来いだ。野宿しているときでも近づいてくる野生動物や普通の魔物なら右手だけで始末できる。


――不寝番、……か――


 イーシャは単独行動していた。カデラルを制圧した後、イーシャと共に行動することを申し出た亜人達も居たのだ。59人が生き残ってうち21人がそう申し出た。だが断ったのだ。裏切られた記憶が生々しすぎた。


「今すぐにはできない。一度各々の里へ帰ってそれから考えろ。理由は私の口からは言いたくない」


 キーエス達はイーシャの言葉の中に強い拒否感をみて、それ以上は言わず去って行った。




 イーシャが目覚めるのを待っていたかのようにドアにノックがあった。


「朝食ができているよ」


 隠し宿の帳場で迎えてくれた女将の声だった。


「はい」


 食事は階下で供されると聞いていた。部屋を出て階段を降りた。帳場の奥のスペースに大きめの机が置いてあってそこが食事の場所だった。身分証を持った正規の宿泊客は食堂で食事を供される。イーシャのように闇で泊める客のための場所だった。イーシャが座ると直ぐに女将が料理を持ってきた。温めたミルク、黒パン、野菜スープ、カリカリに焼いたベーコン、カデラルの船倉から持ってきた携帯食で済ますことが多いイーシャにとっては火が通してあるだけでいつもより上等な食事だった。イーシャは黙って食べ始めた。


「ありがとう、おいしかったわ」


 イーシャが女将に言ってお茶を飲んでいるときに宿に入ってきた男がいた。ダグだった。


「あら、迎えに来たのかしら?」

「あっ、いや、上に話を通すには時間がかかるんで、もう少し待ってほしいとイザメルの兄貴が……」

「そう」


 まあ、深夜から朝までの短い間にそうそう事態が動くわけがないことはイーシャにも分かった。


「取りあえずこれを」


 ダグが取り出したのは身分証だった。正方形の、丁度片手で持てるほどの大きさだった。イーシャが受け取るために出した左手に身分証を渡したときにダグがわずかに震えた。指先から与えられた痛撃を思い出したのだ。


「ここに」


 ダグが偽造身分証の一部を指さした。


「魔力を通してください。仕込んである魔結晶が姐さんのパターンを覚えます」


 門や宿で身分証を確認するときは、普通は身分証を見るだけだ。ちょっと怪しいと思ったらその身分証が本当にその人間のものかどうか確かめる。その時に魔結晶に登録してある魔力パターンが所持者のものかどうか見るための処置だった。


「じゃあ姐さん、後でまた迎えに来ます。多分午後になると思いますが」


 イーシャが魔力を通して身分証が淡く光ったのを見て、ダグは宿を出て行った。

出て行くダグの後ろ姿を見て、


「へえ~」


 女将が感心したように声を出した。イーシャの方を振り返って、


「あんた何者だい?あのダグに一目置かせているだなんて」

「あの男はそういう位置づけなの?」

「ああ、軍隊帰りでね、下士官まで務めたってことさ。腕っ節が自慢で、特に女に対しては傲慢でいけすかない奴さ」

「そう、だからちょっと痛めつけてやったのが効いたのね」


 力みも無くそうつぶやいたイーシャに女将はクスッと笑った。身分証を渡すときにダグがいつになく緊張しているの気づいていた。いつも威張りくさっているダグを子供扱いだ。


「あんた見かけによらないね。あたしはイルディアってんだ。この宿を任されている。よろしく頼むよ」

「ミーシャ・レンスキー。こちらこそよろしく」

「ミーシャ・レンスキーね、力自慢じゃなさそうね、魔法使いかい?」

「まあ、そんなもの。でもあなたの方がダグより強そう」


 イルディアはえっと言う顔をした。しばらくイーシャを見つめていたが、からかっているわけではなさそうと見当をつけた。


「そっ、実はその通り」


 イルディアは魔狩人ハンターをしていたことがある。腕利きと言われ、5人ほどのパーティを結成して長年魔物相手に闘ってきた。年齢と共に身体が動かなくなって引退したが、今でも人間相手にそうそう負けるとは思ってなかった。


「変にあいつより強いとなったら面倒なのね」


 ダグは腕自慢だ。格下だと思っていた女に負けたりしたら妙に拗らせる可能性がある。


「よく分かるわね。そこら辺も含めてよろしく」


 イルディアが右手を出してきた。イーシャはちょっと臆したように、


「ごめん、利き手を人に預ける習慣はないの」


 思いがかけない言葉にもイルディアは気にした様子はなかった。


「そうかい、人それぞれだのもね」


――ダグを痛めつけたことといい、あたしの力を見抜いたことといい、さらには利き手を人に預けない。見かけより複雑な生き方をしてきたようだね。昨日見たときには娼館に売られてきた間抜けなお嬢様って感じだったけど――


 出した手をすーっと引っ込めて終わりだった。


「街の地理を知りたいの、リオナに来たのは初めてだから」

「それなら丁度いい地図があるよ、尤も政庁の中や六家の館の中は分からないけどね」


 共和国の首都だけあって地方から出てくる者も多い。平民が入れる場所を記した地図は普通に売られていた。


「ええ、それでいい。できればその地図を譲ってほしいが」


 地図を読んで覚えることは亜人部隊を指揮しているときから得意だった。しかし初めての街だ、地図があればそれに越したことはない。


「雑貨屋に行けば売っているからあげるよ。対価は頂くけどね」


 奥から出してきた街の地図を見ながらイルディアは昼食を挟んで、ダグが迎えに来るまで街のことについてイーシャに説明したのだった。


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