第9話 潜入 3

 案内されたのは『青葉楼』という中級の娼館だった。もう真夜中に近いのに大勢の男や女たちが近くの街路をうろついている。ガルブに声をかけられた付近に比べると少し仕立てのいい服を着ている。多少は金に余裕のある者たちだろう。

 ダグが近づいていくと客引きを兼ねた用心棒の男がダグに手を上げた。意味ありげにイーシャを見つめる。


「イザメルの兄貴はいるかい?」

「ああ、居なさるぜ。新しいタマか?」


 そう言われてダグはうっと詰まった。下手なことを言うとイーシャからどんな仕置きが来るか分からない。


「あっ、まっ、そんなもんだ」


 冷や汗をかきながらそう答えたがイーシャが特に怒った様子もないのにほっとしていた。


「上ダマだな。イザメルの兄貴、新タマに目がねえからこれからお楽しみか」


 これ以上聞いているとイーシャを怒らせるような台詞が出てくるかもしれない。ダグは慌てたように、


「通るぜ」


 ダグに続いてイーシャも入り口をくぐった。イザメルと呼ばれたダグたちの兄貴分は1階の奥にある事務所にいた。事務所のドアをダグがノックする。


「誰だ?」


 中から応えがあった。意外と若い声だ。ダグがイーシャをちらっと見た。イーシャが頷いた。


「ダグです。ちょっとお話が」

「入れ」

「失礼しやす」


 ドアを開けてダグが入っていくのについてイーシャも入った。奥の机で書類に目を通していた男がちらっと入ってきた男たちを見た。イーシャに目が行った途端びっくりしたように立ち上がった。椅子がガタンと音を立てて倒れた。思わず数歩後ずさった。


――こいつはやばい!――


 イザメルが最初に感じたことだった。イザメルの目には、イーシャはまずとんでもない高濃度の魔素の塊に見えた。彼は魔素を見ることができる希有の能力ちからを持っていた。さらに他人の保有する魔素を見ることでその人間の強さを測ることができた。魔素を身体強化に使えば生身の人間ではとても出せないような力を出せるのだ。魔法の出力も大きくなる。保有魔素量が30%も違えば、どれほど訓練しようが覆せない地力の差になる。このちからがイザメルをこの若さでリネッティ一家の、末席ではあっても幹部の一人にした理由だった。


――何という濃密な魔力だ。大きくはないがとんでもない魔力量だ。まぶしくて目も開けられやしねえ。まるで神話に出てくる竜並みだ――


 何度か目をしばたかせてその魔素の塊が人間の、それも若い女の形をしているのに気づいた。それでやばさがどうにかなるわけではなかったが。思わずいつも引き出しに忍ばせている大型のナイフに手が伸びそうになって危ういところで踏みとどまった。女が面白そうな顔でイザメルの手の動きを見ているのに気づいたからだ。


――危ないところだった。こいつに言いがかりをつける理由を与えることになる――


「な、何の用だ」


 声が震えてないか、腰が引けてないか。そんなイザメルを見てイーシャは笑って見せた。


――あら、都合がいい。この男、魔力を見る能力を持っているわ。でもちょっと役不足ね、もっと上に人間の方がいい。少し脅しておくことにしよう――


 漏れ出る魔力を少しだけ大きくする。男がぶるっと震えるのが分かった。懸命に隠しているが。


「とりあえずは宿ね。お前たちなら余計な詮索をせずに泊めてくれる宿を知っているでしょう」


 チェックインするときに身分証を検められるのが普通だった。それを詮索といっている、つまりこの女は身分証を持ってないわけだ。


「宿、なのか」


 イザメルにとっては意外な要求だった。


「他にもあるけど、お前じゃなくてリネッティのもう少し上の者に言うわ」


 無礼な言い分だった。本命の要求をするにはお前では物足りないといっている。しかし、この化け物と直接対峙しているのは精神衛生に悪い、取りあえず他人に投げられるならその方がいい。しかしこいつの要求ってのは何だろう?その扱い次第ではリネッティ一家の中で出世するきっかけになるかもしれないがそれでもこの女は恐ろしい。俺の他には一家にこんなのうりょくを持っているやつはいない。つまりこの女の恐ろしさに気づかないまま接することができる。もちろん俺から口が酸っぱくなるほどそのことについては話しておくが、どうせ誰も半分も信用しはしない。まあ俺のアリバイ作りだから手を抜く気はないが。


「ダグ」

「へっ」

「イルディアの所に案内して差し上げろ。よく女将に事情を話してな」

「へっ?」


 意外そうな顔をしてやがる。俺がこの女に逆らわないのが不思議なのだろう。多分ここに連れてくる前に散々にいたぶられただろうに、どんなやつを相手にしているのか分からないってのは気楽なもんだ。


「おっと、ガルブは残れ」

「はいっ?」


 女を送っていくダグと一緒に部屋を出ようとしたガルブが戸惑ったように振り返った。情報収集だ。女と出会った経緯を聞かなければならない。女からももう少し情報を引き出しておこう。


「姐さん」


 考えてみればまだ女の名前を知らなかった。


「なに?」

「良ければ普通の宿に泊まれるようにも手配できるが……」

「どういうこと?」

「宿や門くらいなら通れる身分証を用意できる」


 その言葉にイーシャは少し考えた。街に侵入するのは難しくない、しかし町中では野宿するのが難しい。寝るためにいちいち外に出るのも面倒くさい。


「それならお願いするわ」

「名前と年齢、それに出身地をどうする?」

「ミーシャ・レンスキー、22歳、出身地はそちらで適当に決めて」

「ミーシャ……」

「レンスキーよ」


 家名持ちなのか。


「分かった。その情報で作っておく」


 22歳というのはどうもさばを読んでいるように思える。しかし魔力の濃い人間は、外見が年をとりにくいというのは本当だ。イザメルも30代半ばなのに20代にしか見られない。


「頼む」


 そう言ってイーシャはダグに連れられて出て行った。


「さて」


 イザメルはガルブを振り返った。


「事情を話してもらおうか」




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