第7話 潜入 1
共和国首都リオナは堅固な城壁に囲まれた、共和国人が難攻不落を謳う城塞都市だ。正確に六芒星の形をしている。突き出た6つの三角地には共和国で最も力のある貴族六家が館、というより城を構えている。真北に位置するシオジネン家、そこから時計回りに北東のドレクスーバ家、南東のリキサーク家、真南のフィジルダ家、南西のスタジープリ家、北西のラノア家となる。
元首は議会の選挙によって選ばれるが、この六家出身ではない元首は共和国500年の歴史上2人しかいなかった。その2人の治世は合わせても15年に満たない。今の元首もシオジネン家の出身だった。この六家も二派に分かれている。シオジネン家、リキサーク家、スタジープリ家のグループとドレクスーバ家、フィジルダ家、ラノア家のグループだ。グループ内のリーダーシップは今、真北のシオジネン家と真南のフィジルダ家がとっている。
議員定数400人の議会は250人の世襲貴族出身者、100人の高額納税者、50人の軍人からなり、軍人以外の議員は同様、二派に分かれていた。その勢力はほぼ拮抗しており、軍の意向が議会の意思決定に大きく影響していた。元首は二派から交互に出るのが通常で、これも軍の意向が大きく作用した。しかし議会に席を得るような高級将校はほぼ例外なく貴族家の出であり、軍の利害に関することでは一致してもそれ以外では出身貴族家の意向に沿うのが通常だった。
六家の館がぐるりと囲んでいる市中は中央にやや高くなった丘がある。その丘に中央政庁、議事堂、国軍司令部、そして創造神の神殿がある。平地になったその周囲を六家以外の貴族の館が囲み、その外側に平民の家がある。一定以上の高額納税者である平民は100人を限度に議会に席を持っていたが、議会のイニシアチブをとるのはあくまで軍人を含めた貴族たちだった。その貴族を束ねているのが六家だった。
つまり、リオネール共和国は、共和国と名乗っていても実質は少数貴族による寡頭制の国だった。
リオナは大人の背丈の10倍――10尋――はある高さの市壁に囲まれている。市壁の上には巡回通路と鋸壁が設けられており、一定間隔ごとにタレットを配している。リオナへの出入り口は東西2カ所であり、北東のドレクスーバ家と南東のリキサーク家の間と南西のスタジープリ家と北西のラノア家の間に設けられている。街の周囲は広大な平野になっていて、200万人を越えるリオナの街人を養っている。さすがに農地全部を囲む壁は作られていなかったが、平野のあちらこちらにある集落はリオナよりは簡素だったが壁に囲まれている。
――陽が落ちて、壁の下に佇む小柄な影があった。イーシャだった。壁に近づくと痛くなるほど首を曲げなければ壁の一番上は見えない。
「行くか」
小さくつぶやくとふわっと身体が浮いた。次の瞬間イーシャは市壁の上にいた。周囲に誰もいないことを視覚でも確かめて、2尋の幅の巡回通路を横切ってリオナ市街を見下ろした。そこはシオジネン家の東端とドレクスーバ家の西端が交わる箇所だった。町の中心の小高い丘の上の中央政庁、議事堂、神殿は夜でも明るく輝いている。とくに神殿の3本の尖塔はいかにも神々しく夜空に浮き出ていた。
丘を取り巻く貴族街にも灯りが見える。六家の城も貴族街より明るく照らされている。主道である4本の道も街灯が着いている。しかし街の最外側にある平民街は暗く闇に沈んでいた。灯りは高価だ。篝火であっても貴族たちの用いる魔導灯であっても庶民に気軽に利用できるものではない。例外は貴族街との境目にあるナンガスと呼ばれる歓楽街だった。
東西の門と北のシオジネン家と南のフィジルダ家から街の中央に向けて広い道が通っている。どの道も貴族用の大型馬車が悠々とすれ違えるほどの幅がある。中央区域から門まで続く道を東通りと西通りと呼び、南北に走っている道をシオジネン通り、フィジルダ通りと呼ぶとイーシャは聞いていた。ナンガスは東通りとフィジルダ通りに挟まれた場所にある。暗い平民街の中でそこだけが煌々と灯りをともしている。
市壁の上からざっと市内を見渡すとイーシャはリオナの街に飛び降りた。
ナンガスも貴族街に近いところは遊興費の高い高級店が並び、貴族街から遠ざかるに従って
いくつかの視線が自分を追っていることをイーシャは覚っていた。風が吹き付けてきたときにそれにタイミングを合わせてフードを外した。慌てたようにフードをかぶり直したがイーシャを見ていた人間たちには、紛れもなく若い女であり、しかも見目のいい女であることを見せるには十分だった。イーシャに突き刺さる視線が欲望を増した。
「お嬢さん」
呼びかけられて後ろを振り向いた。洒落た服を着た整った顔の若い男だった。
「えっ?」
戸惑ったように返事をした。視線を落ち着かなく泳がせる。周りの人々は関心なさそうに側を過ぎていった。
「誰かをお捜しですかな?」
甘いバリトンの声だった。整った顔の中で口角がわずかに上がっている。
「あっ、いえ、あの……。父さんを、探しに」
「おや、お父上を探しておいでですか」
「仕事が終わっているはずなのに、なかなか帰ってこなくて……。母さんの具合が朝から悪いので早く帰ってほしくて。きっとこのあたりで飲んでいるんだと」
「お父上のお名前は?」
「あ、ジョ、ジョルジュと言います」
「ジョルジュ氏ですか。一緒に探してあげましょう。何歳ですか?髪の色は?背の高さなんかはどうですか?」
「あっ、いえ、そんな。ご迷惑をかけるわけには」
「迷惑だなんて、とんでもない。第一あなたではどこを探していいか分からないでしょう。私ならなじみの酒場を片っ端から訪ねることができますからね。ジョルジュ氏が来てないかと」
「でも、ご迷惑をかける……」
「いいから、いいから。私に任せて下さい。ジョルジュ氏は何歳ですか?」
「39歳です、髪は茶色、中肉中背です。でも本当にご迷惑では……」
「なに、これも何かの縁ですよ」
そう言って男はイーシャに近づいていかにも親しげに肩に手を回した。イーシャの身体がピクッと震えた。震えたのは必ずしも芝居というわけではなかった。捕虜になって以来、男の手が身体に触れることに嫌悪を覚えるようになっていた。
「さて、私の知っている店を片っ端から見てみましょうか」
肩を抱いたまま男は強引にイーシャを案内し始めた。実際に3~4軒の酒場に入っていってすぐ出てきた。
「ここにもジョルジュと言う人はいないそうだが」
そんなことを言いながらイーシャを少しずつナンガスの端に誘導していった。
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