第4話 邂逅

 悔しそうに唇をかんで見上げるイーシャに、


「そうだ、良いことを教えてやろう。お前を裏切った亜人部隊の幹部どもだが、全員が串刺しになって公宮前に曝されているぞ。どうだ、愉快だろう。裏切り者の末路なんてそんなものだ」

「き……さ……ま!!」


 もう一度飛び掛かろうとした。それを待っていたようにギゼがイーシャを蹴り跳ばした。ギゼは鬼族には及ばなくても体格のいい男で力自慢だ。小柄なイーシャの身体が壁に激突した。鋭い痛みが胸に走った。息が詰まる。


「ふーっ!」


 そっと息を吐き出した。恐る恐る呼吸してみる。胸郭を動かす度に痛みが走る。ケホッ、ケホッと力ない咳が出る。その度に痛みを伴って鮮血が格出される。


――痛い……、多分肋骨が折れて肺に突き刺さっている――


 起き上がろうとするイーシャの腕をギゼが思いっきり踏みつけた。右手の肘が変な方向に曲がって力がはいらなくなった。突っ伏したままケホケホと力ない咳をした。

吐き出した血の塊を見ているうちに頭に浮かんできたのは、


――この痛みには覚えが……ある。……そうだ。横断歩道の前で、信号待ち、をしていた。横断歩道の信号が、青になる前に、……短い時間全ての信号が赤になる。青信号になったら踏み出そうと体重を前に、かけたとき、後ろから、……押され、いや突き飛ばされた。車道に出た自分に、赤信号を強引に突っ切ろうとした、大型バイクが突っ込んできた。街路樹にぶつかって、今と同じように咳をして、血を吐いて……近付いてくる救急車のサイレンを聞きながら、意識をなくした……――


 ……待て、何だこの記憶は?“横断歩道?”“信号?”“バイク?”“救急車?”“サイレン?”初めて聞く言葉だ。しかし良く知っている言葉だ。一体これは……?


 そこまででイーシャの意識は途切れた。


「ふん!」


 動かなくなったイーシャにギゼ公子は唾を吐きかけた。いい気味だ。イーシャの取り澄ました態度が崩れたことに意地の悪い愉悦を覚えていた。



 そのときからイーシャは水も食べ物も口にしなくなった。無理矢理口をこじ開けて食べ物を押し入れても吐き出してしまうのだ。


「このままでは主都まで持ちませんぞ」


 という軍医の言葉にも


「放っておけ」


 とギゼは取り合わなかった。


「連れてこいとは言われているが、生きたまま連れてこいとは言われていないからな。どうせ首を曝すのだ、死ぬのが早いか遅いかの差しかない」




 そのままイーシャ・ラクドミールはリオネール共和国海軍第一戦隊二番艦カデラルの甲板に転がされていた。後ろ手に手枷をはめられ、ご丁寧に鎖の付いた首枷まで付けられていた。折れた右手は無理矢理動かされたため、千切れかけていた。あれ以来水も食物も拒否し、今は意識も定かではなかった。時々ピクピクと体が動き、乾いてひび割れの入った唇から意味不明の言葉がこぼれることが、まだイーシャが生きていることを示していた。このような扱いは明らかに不当だった。敗軍の将とはいえそれなりの処遇をするのが暗黙の了解事項だった。たとえその後処刑するにせよ。


――……もう少しで、楽に、……なれる。父様や、……母様、兄様、姉様のもとへ……行ける――





――いれものが欲しい――


 は惑星表面の7割を覆う海にきていた。深海にいる多足の軟体生物も、海での生活に適応した巨大な海生ほ乳類も、悠然と泳ぐ最大の魚類もを受け入れて形を保つことは出来なかった。時空波動の揺らぎはもう通り過ぎようとしていた。それでもまだ体は見つからない。を受け入れて形を保っていられる体は見つからない。


 深い深い海の底から海面近くに浮かんできたとき、は気づいたのだ。を引きつけるものがあることに。惹かれるままに海面すれすれを急いだ。見つけたのは1隻の軍船だった。無造作に近づいた。


――いれものだ!――


 これまで試したものより遙かに小さい。だがには分かった。


――いれものだ――


 そう思えるものに出会ったのは初めてだ。こんなに小さいがそれでもいれものだ。幸いなことにこれまで様々な生き物に重なっては破裂し、自体が最初より随分小さくなっていた。密度は変わらなかったが。

 慎重に体に重なる。体はそれの密度に耐えた。その形を丁寧になぞり、細胞の一つ一つを満たし、髪の毛の一本一本にまで慎重に重なっていった。千切れかけた右腕は傷ついた部分がの負荷に耐えられず落ちてしまった。しかしは人の形をした高密度の魔素として存続し始めたのだ。

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