第3話 捕虜

 ラクドミール公家の中で、イーシャは必ずしも大切に扱われているわけではなかった。母は側室で、出産の負担に耐えきれず亡くなっていた。あからさまに姉たちと差別された訳ではないが、本当に気にかけてくれる家族はいなかった。

 父――公主――だけがイーシャの劍の才能を褒めてくれた。10歳になった頃だった。中庭で護身用の劍を習っていたイーシャに、


『なかなかのものだな』


と声をかけてくれたのだ。


 父の劍もかなりの腕だった。それにそのときの指南役が、


『イーシャ様の才能は素晴らしものでございます。お屋形様』


 お世辞もあったのだろうがそう言ったのだ。


『うむ、励むが良い』

『ありがとうございます』


 片膝をついてイーシャは最大の敬意を持って頭を下げた。

父にとっては話すことも少ない娘との単なる会話のテーマに過ぎなかった。たまたま姿を見たときに10歳にしては鋭い劍を振るっている我が娘を見てそう言っただけだった。

 しかし、それはイーシャにとって格別な喜びとなり、さらにその方面に力を入れる理由になった。しばらくして、まあまあ護身用としてはかなりの水準に達したと判断されて、指南役は来なくなった。その後劍やその他の武器の扱いを教えてくれたのは公主館内で働いている亜人達、特に鬼族や巨人族達だった。兄たちと比べても武器の扱いに長け、公宮に勤めている亜人達と親しげに話しているイーシャを見て、公主は彼女を亜人部隊の指揮官に任じたのだった。公主としてはイーシャを形式的な指揮官とし、実質は副長に取らせるつもりだった。しかしイーシャは直ぐにその地位にふさわしい能力を示し、副官ではなく参謀がイーシャの下に付くことになった。

 亜人部隊の中でも副官のヴィランは生まれて初めて心に壁を作らずに接することができる相手だった。亜人部隊を任されてからイーシャは部隊と行動を共にすることが多くなり、ほとんど公宮内にいることがなくなった。行動の邪魔になるからと髪を短く切り、女らしくないとそれを嗤われても気にしなかった。実際、姉たちが着ている煌びやかなドレスより、機能的な軍服の方が、やせ我慢でなく、好きだった。




 捕虜になったイーシャはリオネール共和国に連行されることになった。おそらく軍事裁判にかけられて処刑される。この処遇には理由があった。先ず、共和国軍の司令官である元首の三男ギゼはこのような小戦こいくさに派遣されたことに不満だった。最初から勝つことが決まっているような戦では派手な戦功を立てることも出来ないと考えたのだ。

 ところがイーシャの亜人部隊が足を引っ張り続けたせいで、予想外に手こずってしまった。ギゼも焦ったが本国にもそれほどの余裕はなかった。ラベルニク神聖連合やジェムシェンガ王国との関係がいよいよきな臭くなっていたからだ。最後にはしびれを切らした本国に、公国の亜人部隊の裏切りを促すという禁じ手まで使わせることになった。亜人部隊の裏切りでラクドミール公国はもろくも崩壊してしまった。

 公王家の人間達は最後まで武器を捨てず、全員が殺されていた。尤もこれには鬱憤晴らしのように降伏を認めなかったギゼの方針もあった。


 一人生き残ったイーシャ・ラクドミールは共和国主都に連行するように命じられていた。ギゼは不愉快な戦場を速く離れたくて、主軍を後に残して軍船に乗って帰ることにしたのだ。自分の取り巻き連中とイーシャを連れて。さすがに公国の都を海から閉鎖している艦隊の旗艦を使うことはできなかったが。

 どうせ戦勝パレードなどは行われない。同じ立場に長男であるカマルがいれば派手なパレードが催されただろうことはギゼにも分かっていた。長男と三男では立場が違う。将来国を統治する可能性が有る元首の長男であれば機会あるごとにその英邁さをアピールする必要がある。長男のスペアで、しかも2番目のスペアに過ぎないギゼにそんなことは必要ない。それがさらにギゼの鬱憤を募らせ、イーシャの扱いに影響を与えていた。



 乗船するときにも一悶着あった。カデラルは帆と櫂を併用する軍船だった。櫂は片側25で一つの櫂に二人の漕ぎ手が付く。共和国は漕ぎ手に亜人奴隷を使っていた。


 イーシャはそれを見とがめたのだ。 


「亜人奴隷を解放するのではなかったのか」

「何のことだ」


 イーシャの首枷の鎖を引っ張りながらギゼが応えた。


「亜人奴隷の解放を約束しただろう、公国を裏切る見返りに。神聖御璽まで押して」


 解放したのなら少なくとも足枷は外すはずだし、漕ぎ手の監督官が懲罰用の鞭を持っているのはおかしい。解放を約束してから間がないとはいえ、それくらいの事はすぐに出来るはずだ。


「へっ!」


 ギゼが嗤った。


「そうか、亜人に心を寄せるような奴らは知らないんだな。まあ、共和国の聖職者の間では有力な説だがな」


 ギゼは奴隷の監督官に合図した。監督官が鞭を振り上げて手近の奴隷を打った。棘を埋め込んだ鞭が鬼族の皮膚を抉った。打たれた鬼族の男は眉をしかめたが歯を食いしばって声を出さなかった。


「いいか,よく聞け。神聖御璽ってのはな、人間ヒト族と人間ヒト族の契約を裏打ちするのだ。亜人ごときとの契約には関与しない」


 人間至上主義の聖職者が最近言い出したことだった。神、創造神はヒト族として人間しか作らなかったという説だった。亜人に分類される種族は人間に隷属するために作られたのだと。共和国内の聖職者の間で力を持ち始めた説だった。


「なん、だと?」

「亜人に渡した信書に何が書いてあろうが、神聖御璽が押してあろうが共和国われわれは拘束されない」

「そんな……」


 言葉が続かない。共和国内の亜人の処遇が改善されるのなら、この敗戦にも、家族が全員殺されたことにも多少の意味はあったのだ、と無理矢理自分にいい聞かせてきた。それが全部嘘だったのだ。それまで何をされても表情一つ変えなかったイーシャの顔面が真っ赤になった。


「恥を知れ!」


 拘束されたまま飛びかかろうとして、護衛の兵に打ちのめされた。ギゼが愉快そうに笑い声を上げた。それまで人形のように無表情だったイーシャが顔色を変えて怒っているのが面白かったのだ。



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