第2話 亜人部隊

――かかった!!!


 小躍りしたいような気持ちでイーシャ・ラクドミールは遠くに見え始めた騎兵の隊列を見ていた。松明を掲げ、後ろに補給隊を従え続々と仕掛けた罠の中に入ってくる。共和国旗を先頭にした堂々たる隊列だった。

 湖と山に挟まれた街道を共和国軍が行軍してくる。山側に伏兵を配している。足場の悪い斜面だが、彼らなら苦にもせず駆け下りる。欺瞞情報を流し、損害を受けたように擬態して退却し、街道を抜けたところにある古い砦に逼塞していると思わせたのだ。欺瞞情報の中には、負傷して連れて行けず捕虜になるしかない味方に与えた情報もあった。彼らはそれを本当だと信じた。置いて行かれた憤懣もあって共和国軍にぶちまけたのだ。実際の損害も小さなものではなかったがそれでも街道沿いに長く伸びた共和国軍を横撃するくらいの戦力は残っていた。


――それにこちらは夜目も利く。2500騎に対する500人でも横から奇襲できれば十分に勝機はある。山側から奇襲をかけて湖に追い落としてやる――


 ラクドミール公国は追い詰められていた。これが最後の、乾坤一擲の勝負になるはずだった。


――これを潰せば少なくとも共和国の勢いは殺せる。侵攻軍の主力で共和国の虎の子の部隊だ。暫時といえ小康状態を得られるだろう。その先は父、公主の仕事だ。得られた時間をいかに使うか――


 懐から笛を取り出す。口に当てて攻撃の合図をしようとしたとき、後ろから首に冷たいものが当てられた。長剣の刃だった。


「どういうこと、ヴィラン?」


 副官のヴィランが長剣をイーシャの首に擬していた。首を動かさぬまま周囲の様子を探った。イーシャを取り囲む亜人部隊の幹部全員がヴィランの行動を肯定しているようだ。暗闇の中で亜人達の光る眼がイーシャとヴィランを見つめていた。ヴィランの行動をとがめようとする者もいない。


「手を後ろにお回しください、姫様」


 五分の状態から闘いを始めても勝てるとは限らない相手だ。この圧倒的に不利な状況から、しかも周りが全部敵に回った状況から、反抗の術はなかった。攻撃魔法の発動も間に合わない。

 後ろに回した手に手枷がかけられた。それから武装解除された。防具を脱がされ、長剣も短剣も、左の太ももに隠した細身のナイフも、襟に縫い込んだ毒針も取り上げられた。イーシャが16歳で亜人部隊の指揮を執るようになって2年、ずっと付いていた副官だった。手際よく全ての抵抗手段を取り上げられて、裸になったような気がした。ついさっきまでかいがいしくイーシャの世話をしていたヴィランの同じ手が、今はイーシャを拘束していた。


「どういうこと?」


 同じ疑問を発した。


「しかも、鬼族だけでなく、獣人族も、巨人族も」


 ヴィランは鬼族だが、亜人部隊の幹部全員が裏切っている。


「長老会の決定でございます」

「長老会が?獣人族も巨人族も?」


 それぞれの部族に長老会がある。それが揃ってラクドミール公国を裏切る決定をしたというのか。こちらが何も気づかぬうちに。イーシャからそっと目をそらす獣人族、巨人族の幹部もいる。怒ったような顔をして、しかしそれでもヴィランの行動を止めはしない。


「説明を聞く権利くらいあると思うけど」


「リオネール共和国から使者が参りました。信書を携えて」


 無言で先を促した。


「リオネール共和国内における亜人の扱いを、エルフ並みにするという内容でした。奴隷も公的機関に属する者は即時に解放すると。ラクドミール公国を見限ることを条件に」

「そんな戯言ざれごとを信用したというの?」


 リオネール共和国は亜人差別が激しい。国内の亜人の半分は奴隷だったし、残りの半分も二級、三級市民の扱いだった。公正な裁判も公平な税制も彼らには適用されなかった。だが亜人に分類される種族の中でもエルフは別扱いだった。大きな魔力をもつエルフを敵に回すのはリオネール共和国といえど得策とは考えられていなかったからだ。エルフ達が滅多に人里に降りてこないこともあり、彼らは準一級市民として扱われていた。理由もなく奴隷に落とされることもなく、亜人に課せられる人頭税も免除されていた。一部地域を除いて居住地も自由に定めることができた。それに対してラクドミール公国では亜人と人間ヒトの間に表向きの身分差はなかった。もちろん亜人には貧しいものが多く、公国の中枢にはほとんど亜人がいないという実情はあったが。それでも長老会の決定で亜人だけで部隊を作り、公国のために戦おうとするくらいには、亜人にとってラクドミール公国は貴重な存在であった。


 その、リオネール共和国が、全ての亜人をエルフ並みに扱うと!?


「そんな与太話を信用したの?長老会は」

「信書に神聖御璽が押してありました」


 イーシャは息をのんだ。神聖御璽は神話時代から伝わるものだ。神への誓約になる。人間は反することができない。


「御璽の魔力を確かめました。確かに神聖御璽と……」

「それでラクドミール公国われわれを裏切ったという訳ね」

「申し訳ございません、公国と共和国ではそれぞれの国内に居住する亜人の数の桁が違うのです。長老会は共和国を選びました」


 共和国との戦争はもうすぐ1年になる。元首が替わったとたん、それまでくすぶっていた国境紛争に強硬姿勢を取るようになった。公国はずいぶん譲歩した妥協案を出したがそれでも新元首ルガリオス2世を満足させることは出来なかった。

 国力に劣る公国が抵抗できているのは亜人部隊の存在が大きい。鬼族も、獣人族も、巨人族も個々の肉体的戦闘力は人間ヒト族を凌駕する。彼らの弱点は、魔法を扱う能力ちからがエルフと比べては勿論、人間ヒトと比べても弱いことと、数の少なさだった。近接戦闘に持ち込んだとき一対一では勝てても、一対二では危うい。一対三になると負ける。人間族は三人一組の集団戦闘を磨いて亜人族に対していた。奇襲されてばらばらに戦わなければならない場合を除いて、十分に準備された野戦で人間族が負けることは少なかった。数と魔法で圧倒し、近接戦闘の準備もしていたからだ。イーシャの率いる亜人部隊は奇襲を繰り返し、本隊よりも補給部隊を襲うことで共和国軍の足を引っ張り続けた。犠牲は少なくなかったが、当初の半分に減った亜人部隊でもラクドミール公国に残された有力部隊の一つといって良かった。


 リオネール共和国は北方の大国、ジェムシェンガ王国、ラベルニク神聖連合との軋轢も抱えており、開戦は時間の問題と言われていた。これもルガリオス2世の強硬姿勢によった。開戦までにしつこく絡みついてくる小国、ラクドミール公国を片付けてしまいたいというのが本音だろう。3ヶ月もあれば蹂躙できると考えていたのだ。それがもう1年も続いている。いい加減しびれを切らしたのだろう。


――だが、神聖御璽まで持ち出してくるのか?――


「本当に姫様には申し訳なく……」

「もう良い、謝るな。お前達を信じて戦っていた私が惨めになるだけだ」


 亜人とさげすまれている彼らを本当に対等に扱っている人間はラクドミール公国においても少なかった。支配層の中ではイーシャ一人と言っても良かったのだ。




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