第10話 外世界の少女(前)
俺のタクシーの依頼は、普通でないものばかりだ。
他のタクシー仲間とたまに、タバコを吸う時に仕事のことを話すことがあるが、誰もこんなタクシーはしていない。
変な客の話を聞くこともあるが、『行き先を言わずに寝てしまった』とか『どこぞの御曹司を乗せた』とか変、と言ってもその辺止まりだ。
幽霊を乗せたとか、竜神族を乗せたとか、金を払わない客はザラだとか、そんな突拍子もない話をするのは俺だけで、同業者には信じてさえもらえない。
なんというか、普通のタクシー屋に憧れる今日この頃だ。
そして、今日、また変な客が現れた。
月に一回ほど、俺は、ほぼ無償である少年を海の底にある人魚の街へ送迎している。
ある少年が、人魚の少女と仲睦まじい関係になったので、その時タクシーしたきっかけを元に、慣例的に行っているものだ。
ちなみに、報酬はすでにまとめてもらっている。
今日も、その人魚の街への送迎を終え、拠点に戻ろうとしている時のことだった。
海上から5mほど離れた空を走る俺のタクシー内で、俺は窓から風を感じつつ、海を見ていた。
青緑の海は、光を反射し、とても輝かしかった。
俺はそれを見て、束の間の休息としていた。
しかし、ふと、何か気配を感じ、助手席側へ視線を移すと、
現実離れしたものが、俺と並走していた。
それは、小さい少女を乗せた、『紙飛行機』だった。
その紙飛行機は、直径4mほどで、その真ん中に、まだ10歳ほどの少女がちょこんと座っていた。髪は、水色で、肌は白く、眼下にはそばかすが散らばっていた。
その小さい体には黄色いドレスを纏っており、ドレスは風を受け、バタバタとはためいていた。
紙飛行機はというと、どうも紙で出来ているわけではなく、頑丈な布のような素材で出来ているように見えた。
少女はその飛行機の上で、俺のタクシーを、もとい、俺をじっと、見つめていた。
この異世界には空を飛ぶフェアリーやら、ドラゴンがいるが、
俺は紙飛行機に乗った少女が飛んでいるのを見たことはなかった。
異世界でも、それは異様な光景だった。
「魔法、なんだろうな」
俺はその少女の光景を見て、そう思った。
少女の目には魔法を使っている形跡があるし、魔素も感じる。
それも強い魔素だ。
そこまで考えた時、俺はふと思った。
(あの歳で魔法が使えたっけ?)
その少女は、魔法を使うには幼過ぎる気がした。
咄嗟に、ぽんぽん、という音が、俺の助手席のフロントガラス、といってもガラスではなく風の膜だが、そこから聞こえた。
それは俺には完全に意識外のことだったので、俺はびくっと驚いた。
音の発信源を見ると、ピンク色のふわふわとした塊があった。
魔素を感じられたので、妖精の類なのだろう。
「兄さん、悪い。
ちょっと道を聞きたいんだ」
その妖精は、精霊魔法で俺に話しかけてきた。
それを聞いた俺は、妖精ではなく、精霊だったかと考えを改めた。
精霊魔法を使うのが精霊だからだ。そして精霊魔法を使うと、テレパシーのように言葉が通じない相手にも話しかけることができる。
しかし、ピンク色の精霊というのも、俺は見たことがなかった。
さっきから、全てが異様だった。
「おう、どうした。
精霊か?」
俺は普通に、その精霊に話しかけた。
こちらの声は精霊には、精霊魔法を介して、聞こえているはずだった。
「そう、光の精霊なんだ。
あの少女と旅をしているんだよ。
そんで、ちょっと悪いんだけど、どこかに止まって、話をしたいんだが、
いいか?」
どうやら、精霊と少女の二人組の旅行者のようだった。
それもまた、異様なものだ。
俺は『もしかして、精霊が保護者側、なのかな?』
と思いつつ、光の精霊に答えた。
「仕事中だから、長くならなければ、いいよ。
陸地まで1キロくらいだ。降りて話そうか。
俺の後をついてきてくれるかい?」
光の精霊からは、敵意や殺意を感じなかった。
少女からも同様だった。
魔物、ではないだろうと俺は、直感で感じた。魔王の手下であれば、何かしら悪意のようなものを感じるものだ。
そういったものがなかったので、俺は、一応だが、安心した。
しかし、両者とも、魔素があるのは確かだ。
異様な存在だが、話をするだけなら、まぁまずいことにはならないだろうと俺は思った。
「ありがとな。助かるぜ」
光の精霊はそう言うと、俺のタクシーのフロントガラスから少女のいる紙飛行機にふわっと浮いて、戻って行った。
そして、少女の肩に乗ると、少女と何やら会話しているようだった。
少女は、テレパシーで会話しているのか、一切口を開かなかった。
5分後、俺は海岸の草原にタクシーを着地させた。
少女の乗る紙飛行機も、俺の後をついてきており、俺がタクシーから降りて、タクシーを消すと、少女も紙飛行機をのそのそと降りた。
それから少女は、俺のところへとことこと近づいてくると、
俺をやはりじっと覗き見た。
そして、肩に乗っていたピンクのふわふわがしゃべった。
「信じてもらえないかもしれないが、俺達は、ここから200kmくらい離れた向こうの大陸から来たんだ。
この世界のことを知らないから、教えて欲しいんだ」
俺は精霊が話した内容を一瞬では飲み込めなかったので、一瞬固まってしまった。
紙飛行機に乗っているだけでも変だったが、目の前の二人は、別世界の住人ということらしかった。
俺はとりあえず、心の中で、警戒をした。
この世界、ユム大陸は、基本的に他の世界、つまり別大陸と友好関係にあるわけではない。
無関係、と言ってよかった。
他の大陸に何があるかなど、ユムではほぼ把握していないし、敵になるのか、味方になるのか、それすら謎なのだ。
しかし、過去において、他大陸から侵略者が来たこともあり、何年も戦争になったこともあった。
魔法を使わない文明が攻めてきたこともあった。しかし、大体の戦争において、ユムは魔力を駆使し、それらを撃退している。
「へえ。他の世界からかい!
ちなみに、何をしにきたんだい?」
俺はピンクの精霊にそう、答えていた。
ピンクの精霊からの質問への返答は、無視したままだ。
ここでピンクの精霊が侵略にきた意思などを示してきた場合、国同士のいざこざへ発展する可能性もあるのだ。
俺は『今日もなんか、変なのに絡まれちまったな』と心の中で毒を吐いた。
しかしもう、絡まれたことを取り下げることはできない。
何とか穏便に全て、済ませなければ俺の責任で世界同士の戦争にでもなったら、大変だ。
「俺達のいた世界では、物資が尽きたんだ。
食うものも、飲み水でさえ、ほとんどなくなった。
だから俺はこの少女と、世界を脱出してきたんだ。
他の住人は、死んじまった」
ピンクの精霊は、トーンの変わらない声で、俺の心にそう話しかけてきた。
その話を鵜呑みにする根拠はないが、本当だとすれば、何とも可哀そうな立場の二人だ。いや、一人と言った方がいいのかな。
こちらを見ている少女をじっと見つめ返すと、少女は身体は汚れており、風呂に入った形跡などもないように見えた。黄色いドレスと黄色いサンダルだけが、新品のように輝いていた。
光の精霊の話は尚も、続いた。
「俺はこいつと、ただ平穏に暮らしたいだけだ。
場所なんてどこでもいい。
とりあえず、この世界のことを教えて欲しいだけなんだ、あんたに危害は加えない。
ああちなみに、紹介してなかったが、俺はキラメだ。
こっちの少女は、メルメ。
メルメは、生まれつきの障害があって、しゃべれないんだ」
身体が汚れている少女や、見たこともない精霊や、紙飛行機に乗ってくるあたり、
この世界の住人ではないことは、信憑性が高そうだなと俺は考えていた。
もし、他世界から脱出してきたのであれば、身寄りもないだろう。
敵意もないようだが、普通の人なら、こんな変な連中に構うのは嫌だろう。
魔素はあるようだが、別世界の住人で、俺達の知らない魔法を使う可能性だってあるのだ。
何をされるのか、分かったものではないし、厄介事には、関わらないに越したことはない。
だが、俺の中には、ある人から植え付けられた呪縛があった。
それは、『困っているやつがいたら、助けろ』というものだ。
その人、というのがもうこの世にいないものだから、それこそ、厄介事だ。
「俺は、フウカだ。
この世界のことを教えるよ。というか、あんたら、物がないとこから来たんだろ?
腹減っただろ?飯でもおごってやるよ。この世界へ来たことの歓迎の証だ。
ちなみに、みんなが俺みたいにお人よしなやつばかりじゃないから、注意しなよ」
俺はそう言うと、魔ステを起動し、近くのレストランを検索した。
少女は俺が魔ステを起動すると、それはなんだと言わんばかりにまじまじと近づいて、俺の半透明な緑の球体である魔ステを見上げた。
「いや、兄さん、失礼かもしれないんだけど、
まだあんたが敵じゃないか分からないから、それはやめておきたい。
情報だけもらえたら、いいからさ」
「あぁ、いや、今ちょうど昼時だし、俺も飯にしようと思っていたんだよ。
俺もあんたらと同じものを食うから、いいだろ?
食いながら、この世界のことを教えるよ。
よければ、あんたらがどこで暮らせるかの相談も受けるよ。
もちろん、無償でいい」
俺がそう言うと、ピンクの精霊は何か、魔法を使うように魔素を練ったのが感じられた。おそらく何かの精霊魔法だと思われるが、俺自身に何も悪い変化は感じられなかったので、特に精霊を咎めることもないと俺は思った。
それから、少女が肩に乗っているピンクの精霊に目配せし、何か言いたそうにした。
そして2秒ほど、置いた後、ピンクの精霊から声が響いた。
「メルメがこっちの世界の食べ物のことも知りたいから、行きたいってさ。
俺はあんま乗り気じゃないけど、メルメがそう言うなら、行くか。
じゃあ、悪いけどおごられるよ。
何かお礼がしたいんだが、それは後でいいかい?」
俺は「お礼なんかいらんよ」と魔ステを見ながら言い、俺は近くでいいレストランを検索し終え、その場所までのナビを起動した。
「ここから1キロほどのところにあるレストラン、ああレストランてのは、飯を出す店のことだが、そこへ行くよ。
じゃあ、ついてきてもらえるかな?」
俺は心の中では、紙飛行機で行かせたくはないと思っていた。
それは目立つからだ。世界のどこを見ても、紙飛行機で移動する少女なんて見たいことがない。
しかし、向こうの2人からすると、俺は別世界の住人だ。
俺が2人を警戒するように、2人も俺を警戒するはずだったので、俺はタクシーに二人を乗せるのを諦めた。
「いいぜ」
ピンクの精霊がそう答えると、少女の目が光り、紙飛行機はまたふわっと浮いた。
そこに少女はのっそりと乗るのを目視で確認した俺は、ゆっくりとタクシーを発進させた。
レストランへは、3分ほどで着いた。
海沿いにあるレストランで、地球にするとおしゃれな海鮮料理でも出しそうな店だった。
一見、高そうなものを出しそうに思えるが、魔ステでの評価を見る限り、ランチは安く食えるようだった。
俺はタクシーを着地させ、右手を翳しそれを消した。
少女は俺の真後ろに紙飛行機を止めると、またのっそりと飛行機を降りた。
二人が俺の後を付いてくるのを確認しつつ、俺は店に入った。
ドアを開けると、カラカラと、乾いた鐘の音が鳴った。
小さな女性の声で「いらっしゃいませー」という声が響いた。
「テラス席って、空いてるかな?」
俺はそばにいた店員と思わせる女性にそう、尋ねた。
メルメ達のことを考えたら、できたら、外に近いところで食べたほうが、彼女達は安心する気がしたのだ。
店員の女性は、どうぞーというと、テラス席まで俺達を案内してくれた。
「ちなみに、俺が危ないやつだとか思ったり、
嫌になったら、いつでも立ち去ってもらっていいからな」
俺はテラス席へ座る2人、正確には、1人に言った。
それに対する回答は、1人ではなく、ピンクの精霊から返ってきた。
「あんたが、危ないやつじゃないってことは、俺が精霊魔法で心を読んでるから、さっきもう分かったよ。
これは自動的な力なんだ。悪いけど、ガマンしてくれ」
それを聞いた俺は、そういえば強い精霊魔法には、読心という力もあり、それを失念していたことを思いだした。
今まで、要らない気遣いをしたかなと思いつつ、心がちょっと気軽になった。
「なんだ、それなら良かった。
変に警戒されているかなと思っちまったよ。
んじゃあ、飯が来るまで、この世界のことを説明するか。
まあ、ざっくりかもしれないけどな」
それから俺は15分ほどかけて、この世界のことを説明した。
ユムが魔法でできた大陸であることや、大陸が7つの領域に分かれていること、国に登録すると魔ステという身分証明書や、通信手段を兼ねたサービスを受けることができること、働いていない者には不労保証があること、などなどだ。
その話を、少女はコップに入った水をたまに飲みながら、ちょっとだけ興味深そうに、聞いていた。
「ちなみに、メルメと言ったか。
あんた、親はいないんだろ?
これから、どうすんだ?一人で生活できるのか?」
俺は心の中に住むお邪魔虫が急かすので、2人の人生に深入りすることにした。
親でもないが、少女の今後について、質問してみる。
それに答えたのは、もちろん、ピンクの精霊だ
「実は俺は、物を生み出す力があるんだ。
だから、一度見た食い物なんかは、生み出すことができる。
魔力を使うけどな。
だから食っていくことは問題ないんだが、住むところが欲しいんだよ。
この世界で、追われることなく暮らせる場所はないものかね?」
物を生み出す力があると聞き、俺は失われた魔法のことを考えた。
この世界には、昔、『色魔法』という魔法があった。
それは無から有を生み出すという脅威的な魔法で、それを今、使えるものは俺の知る限りではいない。
目前の精霊は、おそらくそれを使うことができるのだろう。
別の大陸ではまだ、失われた魔法が息づいているのかもしれなかった。
とは言っても、先ほど聞いたところでは、住人は皆、死んでしまったようだったが。
「なるほどな。
ちなみに、その力のことは、安易に口に出すことはやめたほうがいい。
この世界では、その魔法は失われているんだ。国にバレたら、あんた、捕まっちまうかもしれないぞ。
あと、そうだな、住む場所なら、実は心あたりが無いことも無いんだが、
まずは、魔ステの登録だけでもした方がいいな。得なことが多い。
ただ、もちろん、他の世界から来たってのは隠したほうがいい。
バレて、いいことがないからな」
俺がそう話す横では、料理が運ばれてきていた。
名物のサモサステーキとパムチ、それにサラダのセットだ。
パムチというのは、地球でいうと、米と小麦を足して二度で割ったような炭水化物のことで、少し大きめな米のようなものだ。
なお、料理は精霊の分は、もちろんない。精霊は食事をしなくても生きていけるからだ。
俺はまず、二人に食べ物が安全であることを確認してもらうために、真っ先にステーキをがぶっと食い、それから物が入っているままの口で、話を続けた。
「ちなみに、メルメも、魔法が使えるのか?
こちらの世界では、魔法が使えるようになるのは、16歳から18歳の頃くらいだ。
そっちの世界では、子供の時から魔法が使えるのか?」
俺がそう言った時にはもう、メルメは俺を真似て、フォークを使い、ステーキとパムチをがぶがぶと食べていた。
この店の味はよかったところもあり、また、お気に召したのか、メルメは目の前の料理に夢中だった。俺の話には集中していないように、見えた。
だからというか、しゃべったのは光の精霊だった。
「こいつは特別なんだ。
うちらの世界では、みんな魔法は弱いんだよ。
まあ、ほとんど、死んじまったけどな。
でもこいつは、特別に強い。物を消しちまう力があるんだ。
俺が生んで、こいつが、消す。
ちょっと特殊なコンビだと思ってくれ」
それを聞いて俺は、やはり只者ではない二人だなと思った。物を消す魔法も、失われた『無魔法』と呼ばれる魔法の一つだ。
国に二人の存在がバレたら、実験研究対象になることは間違いないだろう。
秘密裏に暮らす場所を見繕ってやる必要があるな、と俺は思った。
俺は心の中で、「午後は、タクシー客が捕まらなかったことにするか」と高を括り、この二人の相手をすることに決めた。
日中はどのみち、あまりタクシー利用者は、いない。
「タダにしとくから、俺のタクシー、ああ、タクシーってのは俺の風で作る乗り物のことだが、魔ステの登録に連れてってやるよ。
後は、住む場所だが、その後、案内するよ」
そう言いつつ、俺はサラダをがばっと口に入れた。
サラダのドレッシングも美味い店だなと思った。
「俺達なんかが、住む場所があるのかねぇ?」
唯一食事をしていないピンクの精霊が不安そうに、言った。
不安そう、と俺は言ったが、顔色は変わっていなかった、ただ、心の中に流れてくる声がちょっと不安そうに聞こえたのだ。
「ああ、実は、俺も別の世界から来たんだよ。
だいぶ、昔だけどな。
その時、隠れ住んだ里があるんだ。
難民街ってとこだ。
俺の、出身地みたいなとこだよ」
俺はそう言いつつ、少女を見た。
少女はやはり、俺を完全に無視して、ステーキとパムチに向かっていた。
黄色いドレスには、ステーキソースがはねまくって、茶色いシミが数多くできていた。
俺はそれを見て、
(ああ、魔法を使えるってだけで、少女は、少女なんだな……)
と思った。
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