第9話 指折りの一人
「今日はお前を名指しの客だぞ。
お前にもファンができたのかな?良かったな。
一生、働いてファンに貢献しないとな!」
うちのタクシー社長は、大きな声でははは、と笑いながら、勝手に魔ステを切った。
それを俺はいつも通り、黙って、無表情で聞いていた。
「名指しで良い事なんかないだろ……」
俺の客は、最近じゃ、幽霊やら、外の世界から来た少女なんてのもいた。
ちゃんと金を払ってくれるだけ、まともな客なのだが、それも全体から見ると半分といったところだ。
俺は最近、真剣に転職を考えていた。
「他のタクシー会社は、どうなんだろうな?」
風の向くまま、他へ転職しているのも悪くないかもしれないな、と俺は思っていた。
ただ、俺の不愛想なところを受け入れてくれるものやら?と不安に思うところもある。
とりあえず、今日のところは、言われた通りの客の対応をすることにした。
空から見下ろした客は、まともそうであった。
聖国の魔法省に勤める、魔法使いのローブを着ていたからだ。
普通のサラリーマンは大歓迎だ。
と言っても、それと同じローブを着ていたが、自殺しそうになった客を乗せたこともある。
格好だけで判断するのは、油断対敵だ。
今回の客は、20代後半くらいの女性だった。
色黒で、何となく、隙が無い印象を受けた。
「来てもらって、悪いね。
とりあえず、西へ行ってもらおうかな。
行く場所は、乗りながら言うよ」
その女性は冷たい口調でそう言った。
いかにも、冷徹な魔法省に勤める役人という感じだ。
ただ、こういうタイプは、実戦型の魔法使いにも多い。
「了解。
荷物はないのかい?」
「無いよ」
俺は女性を後部座席へ乗せると、車を出した。
少し、妙だなとも感じた。
おそらく彼女は公務中なのだろうが、遠出するのに、荷物なしで出かける魔法省の役人はあまりいない。
さらには、手ぶらというのは、女性ではあまりないのだ。
俺は、荷物がない女性、にあまり出会ったことがなかった。
車が発進して、1分ほど経っても、
女性は何も言わないので、俺は逆に語りかけた。
「お客さん、どこへ行こうか?」
「ああ、そうだね。
どこでもいいんだ。まっすぐ西へ行ってもらおうか?」
「はあ?まあ、いいけどね。」
俺は先ほど、発進したら行く場所を教えると聞いたような気がしたのだが、気のせいだったかなと思った。
とりあえず、真っ直ぐ、西へ行くことにした。
一応、真西か分かるように、魔ステのナビを起動し、進路を固定する。
「まず、言っておくが、私はタクシー会社に行くことを同僚に言ってきている。
あんたに会うこともね」
「……ん?」
女性はさらに良く分からないことを言い始めた。
俺は後ろにいる女性が、自分の知っている人物だったろうか?と思い、
水鏡で後部座席の女性の顔をよく見てみるが、やはり見覚えがある顔ではなかった。
「お客さん。俺と会ったことがあったっけ?」
「ないよ」
そう聞いてやはり、初対面だと俺は納得した。
であれば、誰なのか、俺はもうアテが無かった。
まぁ、今はあまり気にしないで、運転しておくかと俺が思ったところ、
その後、俺がどうにも気にしなければいけない事態となった。
「こんなところに潜んでいたとはね。
風使いのカザカ」
それを聞いた俺の緊張感は、俺の中で倍増していた。
そして、俺はこの女性がなぜ、俺のところへ来たのか、大体のアテがついていた。
俺の『本名』を知っているからだ。
「はい?
俺はフウカ、だけど。
人違いじゃないか?」
俺がそう言うと、女性は、ふ、と笑みを浮かべて、言った。
「誤魔化すなよ。
芝居なんかして、めんどくさいだろう?
もう調べは済んでいるんだよ。
そう言うのは抜きにして、話をしようよ」
そういう彼女に俺は、黙るしかなかった。
とりあえず、ただ、聞くことにした。
こういう時は、しゃべるだけ損になることを俺は知っていた。
「私は魔法都市ホムンの魔導士だ。
ホムンで、魔王対策室にいる。
だからあんたをずっと探していたよ。
第10期、勇者パーティで、魔王の喉元から、唯一生還したあんたをね」
俺はそれに対して、何も言わなかった。
もう別人だと誤魔化す段階でもなかったし、肯定もしたくはなかったし、何をしゃべっても情報を与えるだけだと知っていたからだ。
なので、また彼女が話を続けることになった。
「第10期が、一番、いいとこまでいった、と言われているよ。
4本指を全員、倒したのは、そいつらくらいだ。
ただ、魔王には勝てなかったみたいだね。
みんな、やられちまったと思っていたよ。
最初はね。
その後、預言者の血を引いているやつが言ったんだ。
一人、生き残ったようだってな。
どいつが生き残ったかは、すぐに察しがついた。
4人の中で一番、魔素が強かったやつだよ。
魔法計測器で、4人中トップだった男だ。
お前だよ。カザカ。
お前のパーティが全滅したのは、お前は、自分のせいだと思っているんじゃないか?
それは、違う。
お前以外の3人が弱かったからだ。
魔王の実力を知っていたお前だけが、逃げられたんだ。
あそこから逃げられるってだけで、相当の実力者だ。
魔王城はダンジョンだ。
防壁も整っている。転移魔法だって、中で使うのは相当難しいはずだ。
お前じゃなきゃ、な」
そこまで話した女は、空間から無言で、お茶が入った筒を出現させると、
それを飲みながら、さらに話を続けた。
「あたしはね。敵じゃない。
あんたを探していたって言ったろ?
色々駆けずり回って、
魔王に太刀打ちできるやつを探しているんだ。
あんた、まだまだ現役だろ。こんだけ濃いタクシーを生めるんだからさ。
討伐パーティに入っておくれよ。
すぐってわけでも、ないからさ」
そう言うと、彼女はまたお茶に口を付けた。
そこで俺は久々に口を開いた。
「お客さん。
言いたいことは分かったけどさ。
その風使いのカザカ、だっけ?
そいつ、魔王を見て、逃げてきたんだろ?
俺がもし、そいつだとしたら、臆病者だろうさ。
もう一度、魔王の前に立ったらそりゃもう、おしっこちびって、終わりじゃないか?」
それを聞いた彼女は、はは、と笑って、答えた。
「最初から臆病者なら、勇者パーティなんて入ってないよ。
カザカは、逃げるべき相手から、逃げただけさ。
無謀に挑んで死んだ3人よりずっと、賢いよ。
それに唯一、この世界で魔王を見た男なんだ。
こちらは情報も、欲しいのさ。
ところで、あんたには見えてないかもしれないけど、
さっき話しつつさ、勝手に、魔法測定させてもらったよ」
彼女はそう言いつつ、右手に隠し持っていた魔法測定器を水鏡へ見えるようにかざした。
そこには、6700という数字が表れていた。
「ほら、6700もある!
さすがは、カザカだな!
この、あたしでも2400だよ」
それを聞いて俺は、俺の魔素隠しもまだまだだなと思った。
だいぶ抑えたつもりではあったのだが、4分の1も出てしまっていたようだ。
「とりあえず、観念してさ。
週末だけでもいいからホムンへ来て」
そう女性が言った時、彼女の魔ステがルルルとなった。
電話が入ったようだった。
「この話の続きは、後でね。
言っとくけど、あたしは諦めないよ」
そう言ったきり、女性は、魔ステで誰かと話をし始めた。
俺はそれを聞きつつ、やれやれという気分になっていた。
今日の仕事は、特にめんどうだなと思った。
おそらく、彼女は俺を捕まえるまで、何度でも来るだろう。
さっき考えてた、転職の話、マジになりそうだな、と俺は思い始めていた。
後部座席の女性は、3分ほどで会話を終えると、魔ステを閉じた。
そして俺に向き直って、言った。
「おい、カザカ。
この近くで、魔物が街に出現したらしいんだ。
ちょっと、片付けてくるから、タクシーで待っていてくれないか?
なに、5分で済む」
「お客さん、いいけど、とりあえず、長くなったら困るんで、
名前、教えてくれないか?
もし、あんたが魔物にやられたら、国に請求しなきゃならんしね」
「ははは、いいよ。
あたしはファリィだ。
もしあたしが死んだら、3倍の金額を請求していいよ」
それからファリィは、俺に向かう場所を指示した。
俺は西に向けていた車を少し南へ傾けた。
だいぶ先に見える街から、小さい黒い煙がいくつか上がっているのが見えた。
「ありゃ、大都市のクルードだ。
あんなとこに魔物が出たのかい?」
「そうらしいね。バカな魔物だよ。
田舎の村でも狙えばいいものを。
よほど、死にたいらしい」
俺がそれから、4分ほど運転した時のことだ。
俺は急に、車を空中で、停止させた。
急ブレーキ、というほどではないが、急停止したので、女性は少しだけ前のめりになった。
「おい、カザカ!
いきなり車を止め」
「ありゃ魔物じゃない……
魔物なんてもんじゃない」
まだその場所へは、3キロほどあったが、俺は魔素を探知し、街を襲う魔物の正体を掴んでいた。
それは魔物、というには、あまりにも巨大な魔力を放っていた。
「ファリィ、あんた、気づかないのか?」
「何だってんだ?まだこんな遠いんだ、分かるわけないだろ!」
「なら、行くのはやめろ。そして、ホムンへ連絡するんだ。
応援を寄こせってな」
「はあ!?何だってんだ一体?」
俺は一瞬、沈黙した後、ファリィに静かに言った。
「おそらく、4本指だよ。
1本だけのようだが」
それを聞いて、ファリィも、驚いた表情を浮かべたが、
すぐにニヤリと笑って、俺に言った。
「へえ!
いいじゃない。
4本指くらいなら、あたしでもやれるさ。
当時のあんたでもやれたんだ」
そう言いつつ、ファリィは、空間の狭間にお茶をしまうと
代わりに紫の球がついたロッドを取り出していた。
俺は、それを見て、血相を変えた。
「バカかお前は!
あれがどれぐらい強いのかも、分からないのか?」
「お前はここで待っていろ。
近づく気もないようだからな。
メーターは回したままで、いいぞ」
そう言うと、ファリィは、次の瞬間には、
転移魔法でタクシーの中から姿を消していた。
俺は、それを見て、バカやろうが、と心の中でなじっていた。
そして、魔素を完全に消すと、俺はタクシーを降りた。
クルードの時計台。
街の中央にある時計台の、その周囲には、すでにクレーターが幾つか作られ、
周囲の建物は、まるで溶けたように焼け落ちていた。
そして、時計台に座るように、赤い髪の女性が座っていた。
背丈は、まるで地球でいう中学生くらいだった。
しかし、この世界の学生でもないことが、コウモリのような翼と硬いウロコに覆われた皮膚、そして頭に2本生えた角から、分かった。
顔にはウロコはなく、人のようであった。
ただ、その赤い唇の間からは、タバコの煙のように、火炎を小さく吐いていた。
「ずいぶんと、退屈そうだな?」
いつの間にやら、出現していたファリィは、その彼女のほぼ、真下にいた。
時計台の下から見上げるように、ファリィはそう言った。
そのファリィを、赤い髪の女性は、ぎょろ、っと紫の瞳で睨み下ろすと、言った。
「せっかく来てやったのに、面白いやつがいないんだよね。
近所でもないんだよ?
ウチからはさぁ」
しゃべる度に、口からは小さい炎がぼっぼっと吐き出された。
赤髪の女性に、ファリィが答える。
「せっかく遠出したんだ。あたしが遊んでやるよ。
ただ、ウチに連絡しておかなくていいのか?
もう帰れなくなるってな」
それを聞いた赤い髪の女性はニヤリと笑って、言った。
「これから殺すやつとあまり、話すのは苦手でさ。
人は、口ばかりが達者だよね。
バカみたいに。
名前だけ、聞いておいてあげるよ。
ちなみに知ってるかもしれないけど、
あたしは、赤のリーツだ。」
「あたしは、ファリィだ。
あの世に言っても、覚えてろ。
自分を殺したやつの名前をな」
そう言うや否や、ファリィは、紫の電光をロッドの先から、放っていた。
詠唱もなく、一瞬にしてリーツの元へ届いたその電光は、リーツを黒焦げにすることはなかった。
リーツは一瞬にて、時計台の上から、向かいの家の屋上へ移動していた。
雷は、リーツがいた場所と、時計台を貫いて、過ぎた。
「詠唱なしでやるやつじゃなくてさ。
ちゃんとしたの、使ってよ。
待っててあげるから」
そう言ったリーツに、ファリィは、怒りを露わにした顔を見せた。
目を大きく見開いたファリィは言った。
「よほど、早く死にたいらしいね。
じゃあ、あたしの2番目に得意なやつで殺してやるよ」
そう言うと、ファリィは、呪文を詠唱し始めた。
リーツはそれを、家の屋根から、退屈そうに見下ろしていた。
回避するわけでも、障壁を張るわけでもなく、ただ、立っていた。
「黒き
白き
気高き
光莉よ
声に従い、集結せよ
全てを終わらせる終焉を
青天光(ラグナロック)」
次の瞬間、ファリィの差し出した両手からは、夥しい巨大な雷撃がまるで台風のように
吐き出され、それはリーツへ一瞬にして到達した。
その一撃は、空気を蒸発させ、リーツがいた家の上半分を蒸気へと変化させていた。
事が終わったその家の上には、すでにリーツはいなかった。
リーツがいたのは、ファリィの背後2m先であった。
ファリィが何が起こったのか気付けずに、目を泳がせる前に、
ファリィに突き付けられたのは、とてつもないショックであった。
それは、痛みであった。
ファリィの両腕は、根本から絶たれ、宙に舞っていた。
刹那、夥しい赤が周囲を染めた。
「あああああ!」
痛みとショックで、目を閉じ、ファリィは、片膝をついていた。
患部に手を添えたかったが、その手は2つとも、なくなっていた。
「首を落とすことも、できたんだよ?
でも、人は、口だけは達者だからね。
一番、得意なやつを見てからでも、遅くないかな、と思ったのよ」
リーツは振り向きながら、ファリィに言い放った。
ファリィは、すでに痛みから全身より脂汗を浮きだたせ、余裕は感じられなかった。
その口からは、うめき声しか吐き出せなかった。
しかし、事態が困窮していることを知るや、咄嗟に治癒魔法で、両腕の止血のみ行った。
彼女の顔は歪んでいたが、目はまだ怒りに燃えていた。
彼女はそれから、ゆっくりと、立った。
「殺さなかったことを
あの世で、悔やむんだな……!」
「ほら、また待ってやるから、早くしなよ。
あと、手がないんだから、ちゃんと狙うんだよ?
これ以上、街を壊したら、怒られるでしょ?
あ、いや、もう死ぬから、関係ないか……」
ファリィはそのリーツの言葉を無視して、呪文の詠唱に入った。
足はすでにがくがくと震えていたが、全神経を集中すると、彼女は目を閉じた。
「人が地が海が
血に堕ちる
闇に染まる空が
この世の終わりに
紅く染めった月を
遣わしてくれるだろう
隕石降臨(ライム ミーティム)」
ファリィの震える声がその詠唱を終える前に、空は黒く染まっていた。
黒く染まっていた空は半径2キロの街全体に及んでいた。
そして空気が震える。
「ちょっとは面白いものが見れそうだね」
リーツはそう言うと、空を仰いだ。
リーツが見上げた空には、目の前まで迫る石の塊があった。
その石の塊は、一呼吸前にはそこには存在しなかった。
ものすごいスピードで空から降臨したその隕石は、直径15mはあり、それはすでに避けようとしても避けられないほどの速度で、リーツに迫っていた。
正確に言えば、その石は、リーツの横2mへ向かっていたが、その余りある大きさ、そして余波はリーツに直撃せずとも、問題ないほどの威力を持っていた。
音速を超えるスピードで天から降ったその隕石は、衝撃波で街の中心にある建物の屋根を吹き飛ばし、小さい家などはすでに物陰すらなかった。
衝突地域一帯には、まるで地震が起きたかのような地の震えが起き、気温は熱く45度に達していた。
その中で、ただ一人、何の影響も受けていないファリィが言った。
その顔はまだ、苦痛で歪んでいた。
「死ね」
その声が終わる前に、隕石はリーツを含む一帯を深く抉っていた。
周囲に大きな光が満ち、衝撃で世界が震えた。
ファリィには、リーツの姿どころか、目の前の建物すら、見えなくなっていた。
事が終わると、ファリィの目の前には、巨大なクレーターができていた。
それは、そこが街の一部であることを忘れるほどの大きさであった。
クレーターの周囲にある家からは、火の手が上がり、煙が燻っていた。
ファリィは、クレーターの中心地から、転移魔法を使って、少し離れた場所へ転移した。
そして、すぐに、彼女は膝をついた。
もう、魔力が底をつきかけていた。
ファリィは、肩で息をしつつ、ゆっくりと言った。
「こりゃ。魔物が相手じゃなかったら、
大罪ものだな……」
「もう、大罪ものだろ?」
その声は、ファリィのほぼ、真横から聞こえていた。
ファリィはその声を聞き、戦慄し、恐怖し、動けなくなっていた。
その声はリーツのものであった。
「手の先から、血が出たよ。
跡が残ったらどうしてくれる?」
そう言ったリーツの姿はほぼ、形を変えていなかった。
顔も以前と同じように、ややにやけたようなそれであった。
ただ、両手の指の先がぶすぶすと焼け、青い血が垂れていたが、それも、微々たる出血であった。
リーツはぶすぶすと燻された右手をファリィにかざした。
その右手はすぐに、光った。
ファリィには、それを避ける体力も気力も、なかった。
ただ、恐怖から震え、前を向き、何もできなかった。
ファリィの頭にあったのは、これで自分の人生は終わるという、直感だけだった。
リーツの右手の先からは、もはや白に近い熱が放出され、それはファリィがいた一帯を光で包んだ。
地面すら溶け、あったものは全て、なくなっていた。
もちろん、ファリィの姿も、なかった。
「もう死んだと思うけど、まだ霊がいるなら、聞きな。
人にしちゃ、やるほうだったよ。
ヴァルハラで、自慢話にしな」
そのリーツに、上から声が降りた。
「まだいるよ。
ただ、霊じゃないけどな」
その声に、リーツの目が大きく見開かれた。
リーツの顔に初めて、動揺が浮かんだ。
すぐに声の方に顔を向けると、そこは、家の屋根の上だった。
リーツの両目が捉えたのは、膝をついたファリィと、ワイシャツを着た平凡そうな中年の男だった。
その目は、右だけが髪で隠れており、だるそうな表情を見せていた。
両手はズボンのポケットに入っていた。
「へえ。
魔素を感じなかった。
よほどの腕があるやつか、雑魚のどっちかだね。
たぶん、後者だろうけど。
バカじゃなかったら、今の間に、逃げてたでしょ」
見上げたリーツの目には、今までになかった悪意、憎しみの欠片が含まれていた。
計算になかったことが起きたので、リーツは少し苛立っていた。
何より、格下の『人』に予期しないことをされたことが、リーツの中に、まるで侮辱されたような感情を生んでいた。
「あいつの、言う通りだ。
なぜ、今、逃げなかったんだ……?」
フウカの隣にいるファリィがフウカに向かって言った。
それをフウカは聞きつつ、胸ポケットからタバコを一本、取り出した。
そして、ゆっくりと言った。その言葉は、ファリィに向けられたものではなく、リーツにであった。
「お前、今、俺達が逃げたら、街の外れにいる人を殺すだろ?
これでも考えて行動してんだよ」
その言葉を聞いて、リーツは、小さく、へえ、とつぶやいた。
そして続いて言葉を発した。
「人は、頭と口ばっかりで、うんざりだね。
ていうかさ、あんた、いつ詠唱したの?」
「俺の横にいるやつが、攻撃されている間だよ。
こいつには、悪いことしたけど、詠唱は済ませてある」
リーツはそれに対して、ふーんと言い、それから何も言わずにいきなり、
右手を家の屋根の上に向かって、振るった。
すぐさま、2人がいた家の屋根は白い業火に包まれた。
「ほんと、何しに来たのかわかんないね。
雑魚が雑魚を庇って、人ってのは、バカばっかり。
だから口ばっかりって」
そう言いかけた、リーツは言葉を失っていた。
リーツに唐突なショックが押し寄せていた。
リーツが振るった右腕、そして降ろしていた左腕は、
一瞬の内に、空を舞っていた。
「ぎゃああああ」
リーツは両腕があった部分を手で覆うとしたが、
その腕はもう、無かった。
片膝をつくリーツの背後2m先には、家の屋根の上にいたであろうフウカがいた。
ファリィはというと、家の屋根の上にまだ、存在していた。
その身体は緑色の球で覆われており、炎は彼女には触れてもいなかった。
「タバコに火をつけてもらって、悪いな」
フウカは振り向かずに言った。
その口に咥えられているタバコには、いつの間にか火がついていた。
「頭を飛ばしても良かったんだが、あいつを生かしてもらった礼だ。
腕に、しといたよ。
何かやりたいことがあるなら、残った口でやりな」
フウカは振り返ると、変わらない感情が籠っていない目でリーツを見ながら言った。
リーツは顔に水色の脂汗を滲ませた。身体はぶるぶると震えていた。
「お前、顔を覚えたからね。
今日はあたしももう、石ころを止めたりで、調子が悪いみたいだ。
また今度、殺しにきてやるわ……。
次は命が無いと思いな。寝込みを燃やしてやるから」
そう言ったリーツは、頭の上に青紫の魔法陣を描いた。
それは転移魔法の陣だった。
だが次の瞬間、発動するかと思った転移魔法は効果なく、陣は透明に消えた。
リーツは、転移せずに、その場に膝立ちしたままであった。
そのリーツの顔が驚愕に包まれた。
「な、なぜ!?」
「言ったろ。詠唱は済ませてあるって」
その言葉にはっとしたのは、リーツだけではなかった。
ファリィは見た。
リーツの周囲4mには水色膜がうっすらと張られていた。
それは、『結界』であった。
「逃げられても困るんでな。
んで、どうやら、言いたいこともないようだから、勝手に終わらせることにするよ」
そう言ったフウカの身体からは、うっすらと緑色の風が吹き出した。
浮いた髪が水色の右目を露わにする。
いつの間にか、左手には、魔法でできた、青い弓が握られていた。
「ま、待て。
あたしを殺すと」
「青高塔躰(ウインターフォール)」
リーツと、フウカの声が交叉した次の瞬間、
フウカの右手から放たれた青い直径8mほどの光は、結界ごとリーツを削っていた。
そして、その青く大きい光がとおり過ぎた後には、リーツと、そして地面の一部、
さらには、5m背後にあった2軒の家も綺麗さっぱり消していた。
次の瞬間には、場に静寂が戻っていた。
小さく家が燻るパチパチという音だけが、こだました。
一部始終を見ていたファリィは、がくがくと震えていた。
そして、言った。
「や、やったのか?
4本指を……!?」
「あんたさ」
フウカは、ファリィに応えるようにそう言うと、右手で口に添えられたタバコを取り、
口から白い息を吐き出すと、さらに言葉を紡いだ。
「悪いけど、あの家壊したの、あいつのせいにしちゃくれないか?
俺は安月給でさ、とても弁償しろって言われても、きついんだわ」
ファリィは、それに対し、すぐには、返事をしなかった。
そして3秒ほど、静止した後、震える口から言葉を吐いた。
「なぜ、そこまでの力があって、タクシーになんか、乗っている?
なぜ、力を隠す?」
「言っただろ」
そう言いつつ、フウカは、ゆっくりとファリィに近づくと、なくなった両腕に治癒魔法をかけた。
少し流れていた出血はそれで止まった。
そして、フウカは近くに置いてあったレンガの塊に、よいしょ、と座った。
そのレンガの塊は、破壊された家の一部であった。
「俺は、臆病だって。
勝てるかどうかわかんないやつには挑まないんだよ。
あんた、そんな目に遭ってもまだちょっとわかってないみたいだから、言うけど
まず、挑む相手の力量を計れるくらいじゃないと、話にならない。
魔王はあんなもんじゃないんだよ。
少なくとも俺と同じか、俺以上のやつを後、3人集めろ。
それからなら、有給を取って、パーティに入ってやる」
それを聞いたファリィは、初めて沈んだ表情を見せた。
そして、地面にどっかり座ると、フウカの方を向いた。
「あんた、悪いんだけど、ホムンの魔法省に連絡してくれるかい?
右手がないもんでさ、魔ステが使えないんだよ」
それを聞いたフウカは、あいよ、と言うと、魔ステを開き、ファリィに番号を聞くと魔法電話をかけた。
そして、ざっくりと起きたことを説明すると、1分ほどで切電した。
そのフウカにファリィは、こう言った。
「ちなみに、あたしは、ホムンでは5本指に入るくらいの魔法使いだ。
まだまだ、うちらは甘いみたいだね……」
「それが分かっただけ、めっけもんじゃないか?
生きてるしな。
まぁ、王都にはもっと、失礼だけど、ましなのがいるんだろ?」
フウカは、タバコを吸いながら、まるで世間話をするように言った。
ファリィは、やっと落ち着いた声を取り戻し、答えた。
「王都じゃ、最近稀に見るバケモンみたいなやつらが揃いつつあるらしい。
噂、だけどさ」
「あんたら、領域ごとで仲、悪いんだなぁ。
ちゃんと、情報共有した方がいいんじゃないの?
まぁ、王都にそんなんがいるなら、そいつらがダメだったら、俺がでばることにするか」
それを聞いたファリィは、静かに、そうだね、と言って項垂れた。
そして、フウカはというと、あることを思い出して、あれ、と疑問を浮かべていた。
『そういえば、タクシー代もらってないぞ……
こいつ、右手ないし、どうしよ』
フウカは、ファリィと一緒に、ホムンからの救援を待つしかない、と思いたった。
心の中で『あと、1時間は待ちぼうけだな』と計算した。
フウカは、それから、時間潰しに、手持ちのタバコで足りるか、を計算した。
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