第7話 水の都に歌う
「今日は暴風でどこもタクシーは混んでる。普通の客なんか乗せるなよ。
お前に、VIPな客がいるんだ。プロの歌手だ。ちゃんと守れよ」
社長からの電話を、俺はタクシーの中で聞いていた。
今日は、天候が雨だった。
この世界では雨のことを『雫』と呼ぶ。雫は、水の精霊の涙なのだそうだ。
その雨を、俺の風のタクシーは魔法の力で、全て弾いていた。
地球のようにワイパーが要らないので、この世界は経済的だ、色々なものが魔法で何とかなる。
ただし、魔法は多少なり、術者の精神力を使うので、疲れる。
「プロ歌手を護衛って、それ、タクシーのやることなのかよ。
地球ではボディガードがやるもんだと思うけどな」
うちのタクシー会社はどうしてこうも、風変わりな客がいるのだろう?と俺は疑問に思った。
タクシーなら何でも解決してくれる、と思っているのかもしれない。
それはとんだ買い被りだ。
どこかに、何でも解決してくれるタクシー乗りがいて噂になっているのかもしれないな、と思った。時に、俺はふとその可能性を考えた後、「まさか、俺か?」と独り言を言っていた。
今日の客は二人で、カクニウムの繁華街の裏路地で俺を待っていた。
一人は、背丈から、年齢的におそらく20そこらと思われる女性だった、ショートの髪は青かった。
おそらく、と俺が言ったのは、女性は目にはメガネをかけており、口にはマスクもして人相を隠しているからだ。女性、と断定したのは、スカートを履いているからに他ならない。
そばには唯一、こちらに詳細を知らされているマネージャーと見られる年齢40代くらいの男性が立っており、マネージャー自身はカッパを着て、歌手には傘を差していた。
「いきなりすみません。
実は今日、彼女のライブがあるのですが、この暴風雫のせいで、タクシーが全く捕まらないんです」
そう言って、マネージャーはタクシーの後部座席に歌手を乗せた。そして、自分も傘を畳むと、隣に乗り込んだ。
歌手はタクシーに乗っても、外に視線を向け、口を開かなかった。
そして、自分の魔ステを開くと、機械的に何か操作したりしていた。
「3時間後までに、30km離れた、ここに行ってもらえますか?」
マネージャーは俺に、魔ステを開いて場所を示した。
それを見て俺は「余裕だよ」と言い、タクシーを発進させた。
30kmなら、30分もあれば、十分間に合う距離だ。
クーロ、それは地球でいう電車のことだが、こちらの世界の列車、それは今日、暴風雨のため運行を停止していたので、空にはタクシーが点々としていて、いつもより多かった。
いつもなら日中、タクシーはほとんど見ないが、今日は別だ。
俺は他のタクシーと進路がかち合わないよう、高度をめいっぱいあげた。
「お二人さん、濡れてないか?
今、乾かすよ」
俺はさすがにこれからコンサートがあるだろう人に風邪でもひかれちゃまずいだろうと思い、少し気を遣うことにした。気を遣っても、給料は上がらないのが辛いところだ。
魔法で、温かい乾いた風を後部座席に強めに、送る。
「これは、ありがとうございます」
マネージャーはぺこぺこと俺に頭を下げた。
そして、それと同時に、隣の歌手はメガネをおでこに吊り上げ、マスクを顎に持っていく。
ミラーから見た彼女の顔は、綺麗な顔立ちをしていた。
左目の下には、泣き黒子が見えた。
「……タクシーの運転手さん?
ちょっと、聞いてもいい?」
俺が初めて聞いたその歌手の声は、すごく透き通っていた。
歌手は素の声でも、人を寄せ付けるのだな、と俺はちょっと感動した。
「ん、なんだい?」
俺はタクシー前方に注意しながら、運転していたので、視線を後ろには向けず、ちらと水鏡でできたミラーだけを見て、答えた。
「今、私は求めてもないのに、服、乾かしたでしょ?
なんで?」
彼女は、世間話というには、真剣さがある口調でそう、俺に尋ねた。
そう言われた俺は、ん、と考えざるを得なかった。
特に深く考えてした行動ではなかったからだ。
「いや、あまり深くは考えてなかったな。
タクシー乗りってのは、たまにはお客さんによって対応を変える必要があるんだ。
それの一環、かな」
それを聞いた彼女はそれを聞いて、さらにこう質問してきた。
「特に相手が求めていなそうでも、やることもある、ってこと?」
「まあ、そうだな。相手が求めていることなんて、分からないだろ?
独りよがりになることもあるよ」
俺の返事を聞いた彼女は、何か深く、考えこんでいる様子だった。
俺達のやり取りを横で聞いていたマネージャーは彼女の方を気にしている様子だったが、特にかけるべき声もないのか、黙ったままだった。
俺は、何か粗相なことやっちゃったかな、と思ったが、まあもし、やってしまったとしても社長に怒られるだけだろうし、まあいいか、と軽く考えることにした。
「こんなことタクシーの運転手さんに言ってもしょうがないんだけど、
ちょっと最近、悩んでて……」
「ミズノさん、ここではさすがに」
彼女はどうやら、ミズノ、という名前だったらしい。
ミズノの声を制止したマネージャーをミズノはそのまま無視し、話を続けた。
歌手にしては、あまり、元気のない声だった。
「私、ここんとこ、何のために歌っているか、分らなくなってきたの。
魔ステを開いて、自分の評判を調べると、いい事も、悪い事もたくさん出てくる。
私の歌が、誰それのパクリだとか、歌詞も変だとか、ひどい誹謗中傷もあったわ。
応援してるって声ももちろん、あるけど、もう、色々な声に振り回されて、疲れちゃって。
最近、作詞もできなくなっちゃった。
何もしたくなくなってきたの。
私は何のために、歌い始めたんだっけ」
最後のあたりは、もう俺にしゃべっていないような気もしたが、俺は、それを黙って聞いていた。
どうやら、聞く限り、ミズノは一種の、スランプなのだろうと俺は思った。
人前に立つ仕事は、そういうことが多いのだろう。
絶えず誰かにウワサされているはずだ。
だから、精神的に不安定にもなるのかもしれないな、と俺は思った。
「歌が嫌いになったのかい?」
俺は後部座席に、それだけ聞いた。
「別に、歌は嫌いじゃない。
でも、人前で歌うのが、怖いの。
この後、陰で何を言われるんだろう?って。
観客はみんな、私が歌う時は、笑ってる。
でも、最近はそれすら、ウソじゃないかって思えて、ライブ前はだいぶ、ナーバスになるの。
みんなの前で歌うのが、夢だったのに、なんで、
なんでこうなっちゃったんだろ」
そう言ったミズノはおでこにあった黒いメガネを目に落とした。
そして、視線をまた外へ向けた。雨以外何も見えないだろうに。
俺はそれにふん、と少し考えた後、答えた。
「たくさんの人に晒された人は、みんな同じように思うかもしれないな。
実は、昔、俺もあんたとは環境がだいぶ違うけど、人目に晒されたことがあった。
みんな俺達を見て、歓声を上げてたけど、この中の何人かは、きっと俺たちをバカにしているんじゃないかってな。
人目を、考えたら、たぶん、キリがないし、
行き着く先もないだろうな」
俺は気づかれないように、自分が勇者一行として魔王討伐に出発した時の話を織り交ぜた。
あの時の俺の心境に、今のミズノは近いと俺は感じていた。
賛同の陰には、必ず、批評もある。
気にしたらしょうがない、というのが、当時の俺の答えだった。
もちろん、魔王討伐に失敗した俺達には、批評のみが残っただろう。
そう言った俺の言葉に、ミズノは、そうだよね、とだけ言い、煮え切らない雰囲気を残していたので、俺はもう少し、ボランティアをやってみることにした。
しかし、ボランティアでは懐は満たされないので、仕事も兼ねることにした。
「マネージャーさん、まだまだ時間はあるだろ?15分くらい、遠回りしてもいいかい?」
いきなり自分に話しかけられると思っていなかったのか、マネージャーは、え、と少し驚いた後、いいですけど、と答えた。
「ミズノさんだったか。
あんたに見せたい、いや聴かせたいものがある」
俺はそう言うと、タクシーの進路を少し変えた。
その進路の少し先は、雨が降っていない景色が続いていた。
「何?」
姿勢も変えず、
あまり感情が乗っていない声で、ミズノは答えた。
「ライブだよ」
そう言った俺に、ミズノは、え?と俺を見て、少し驚いたような声を吐き出した。
俺は『見て』、と言ったが、ミズノがかけていたメガネのせいで、どこを見ているのかは分からなかった。
二人を乗せた俺のタクシーは、それから、ライブ会場とは違う方向の、森へ向かった。
俺にとっては、ちょっと馴染み深い森だ。
そこは森の精霊がたくさん住んでいる森で、『精霊の森』と呼ばれている。
「フウカさん、こんなとこでライブなんか、やってるんですか?」
ここに来るまでに自己紹介を終えた俺に、マネージャーは怪訝そうに尋ねた。
もちろん、皆、そう思うだろう。
普通のライブを想定していたら、そう思うに違いない。
「ああ、毎日のように、やってるよ。
雫でも、神木の下で、やってるんだ。
俺はよく、休みにそれを聴きに来るんでね」
ミズノも、マネージャーと同じ心境なのか、同じように怪訝な顔を浮かべつつ、
こう質問してきた。
「事前に、チケットなんか取らなくていいの?」
「ああ、大丈夫だよ。無料だから」
無料、という声に、ミズノとマネージャーはさらに怪訝な顔をした。
そう言っている内に、ライブ会場へ着いた俺は、上空からタクシーを降下させた。
そこはやはり、森の中だった。
マネージャーは「森ですけどね」と当然のことを言った。
俺はというと、いつもは車を降りて、どこか木の根元に腰かけてそれを聴くのだが、今日は客連れなので、このままタクシーで聴こうと思っていた。
俺は『邪魔にならないように』、タクシーを木の樹冠あたりの高度でゆっくりと進めた。
そうすると、どこからともなく、声が聴こえてきた。
それは歌声だった。
その歌を歌っている人物は、7mほど、先の地面に立っていた。
歌を歌っているのは、獣人だった。
獣人の女性だ。
黄色い髪をしたその獣人は、ミズノと同じくらいの年齢に見えた。
猫耳が生えていたり、腕などところどころに黄色の毛が生えている以外は、人と同じように見えた。
顔立ちは、まるで本物の精霊ではないかと言っていいほど、人離れした美しいものだった。
その女の子は、森の中で、少し草が剥げた広場で、楽しそうに歌っていた。
音源は、彼女自身の魔ステから流れる音だった。
周りには、誰もいなかった。
「あの子……」
ミズノは、その娘の声を聴いて、思うところがあるのか、それ以外、しばらく、何も言わなかった。
その目は、さっきまでの全てがどうでもいいような視線ではなく、大きく見開かれていた。
「あの娘、すごくうまいですね……
誰もいないのに、もったいない」
ミズノのマネージャーは歌を聴いて、そう言った。
俺が聞いても、その獣人の娘の歌はうまいと思えた。
しかしそれ以上に、感じるものが、彼女にはあった。
だから俺はよく聴きに来るのだ。
「なんでなの。
すごく、楽しそうに歌うの」
ミズノが、驚きを含んだ声で言った。
そう、ミズノが言う通り、その獣人の娘は、周りに誰もいないのに、とても楽しそうに笑いながら、歌って、踊っていた。
ミズノに似て、とても透き通った声であった。そして、独特なビブラートを利かせていて、技術的にも高いにも関わらず、観客は0であった。
「分かるかい。
彼女は、一人なのに、楽しそうに歌うだろ?」
獣人の声は、聴いているだけで、気分が幸せになるような楽しそうなものだった。
俺も彼女とはもともと、知り合いでもなんでもなかったが、よく歌を聴きに来ている。
彼女は、長い時は3時間近く、この広場で歌っているのだ。
「誰も聴いていないようで、一人だけ最初から聴いている客がいるんだ。
それは自分だよ。
歌なんて、誰でも最初は一人で歌い始める。
自分は歌っているようで、聴いてもいるんだ。
歌が好きな彼女は、誰もいなくても、自分で歌って、自分で聴いて、
それで笑うんだ。
それだけ歌が、好きなんだろうな」
ミズノは、目を閉じていた。
そして、そのまま、誰に言うでもないことを、言った。
「デビューする前の自分を思い出すよ。
最初は、私もそうだった。
聴いてる人が誰もいなくても、歌が好きだったから、自分で歌って、
自分の歌が好きだから、自分で聴いて楽しいって、感じてた。
魔ステに自分の曲を上げても、誰も再生しなくても、いいやって思った。
自分がいいと思う、自分の歌だったから。
いつからかな。
自分のために歌わなくなったの。
あの娘を見ると、昔の自分を思い出すね……」
そう言って、ミズノは閉じた目から、小さい水を一粒、こぼした。
しかし、その顔には笑みが溢れていた。
隣にいたマネージャーは、獣人を見て、「あんなにうまいのに、デビューしないのかな。もったいない」と言った。
俺はそのマネージャーの声を聞いて、
「デビューしてるよ。周り見てみなよ。いや、見えないかな」
と言った。
気付けば、周囲の森の枝や、木の葉には、森の精霊がたくさん、座っていた。
マネージャーには魔力がないのだろう、精霊の姿が見えないようで、「何かいるのですか?」とキョロキョロしていた。
精霊の観客は、50はいた。俺にとっては馴染みの顔も並んでいた。
飲んだくれ精霊のケイラなどもいた。
皆が、獣人の娘を見て、いや、聴いていた。
「聴いてくれる人が、一人でもいたら、
いいんじゃないか?
あ、ちなみに、あの娘のことは、森の精霊が魔ステに勝手に動画を上げているよ。再生数は結構なもんだ」
そこで、獣人の娘の曲は、曲といってもカバー曲だが、それが終わったので、
俺はその娘の上をタクシーでゆっくり旋回し、戻ることにした。
歌い手に、手を振りながら、
「アヤ、また休みに聴きにくるわ」
と言った俺に、獣人の娘は「またねー!」と明るく手を振ってくれた。
元のライブ会場へのコースに戻った俺に、ミズノは言った。
「あの娘の歌ってたの、私の曲だった。
別の人が歌うだけで、あんなに違う歌になるんだね」
俺は、ボランティアは終わったかなと思いつつも、彼女のマネージャーはあまり彼女をフォローしないので、仕方なく、俺がマネージャーになることにした。
「歌う人の心が違うから、違う歌になるんだろうよ。
俺には歌のことはよくわからんがな。
俺は、あんたの歌はまだ聴いたことが無いけど、
あんた自身が聴きたい曲を、自由に歌ってみたらどうだよ?」
俺のその言葉を聞いたミズノの目は、光っていた。
「フウカさん、だっけ?
私、まだリハビリ中だから、今日、聴いていって欲しいんだけど……
この後、仕事あるの?」
その彼女の言葉を聞いた俺は、ボランティアもマネージャーも終わったことを察した。
やっとタクシー運転手に戻れるな、と思った俺は、ミズノにこう答えた。
「この後は、タクシーの仕事だねぇ」
ただ、そう言った直後に、ミズノは魔ステを開いて、いきなりどこかに電話を始めた。
そして、3分後、俺に向き直って、言った。
「フウカさん、あなたの社長に電話しといたわ。
この後は、仕事は少し休んでいいって
いい席用意するから、ライブ見て行って」
それを聞いた俺は、「まじか」と答えていた。
芸能人の力は強いんだな、としみじみ、感じた。
そこで、仕事の合間の休憩に、タダでライブを楽しませてもらうことにした。
できれば、酒を飲みながら、見たいもんだな、と思っていたが、終わったらまた仕事が待っているから、飲めないのが悔やまれた。
ライブで帰る客で、タクシーを呼ぶ人もたくさんいるだろう。
「それじゃ、あんたの歌を聴かせてもらおうかな」
俺はにこやかに言った。俺はケチな男だ。
タダ、という言葉が好きなのだ。
俺のタクシーが会場へ着いたのは、開場前の2時間前だった。
会場についたミズノ達、いや、俺達には、さらなる試練が訪れた。
会場はすでに完成し、設備が整っているように見えたが、
スタッフ達は世話しなく走り回り、共通して顔には、皆、焦りの色が見えた。
「暴風雫で、機材が使えなくなっています
マイクだけじゃなく、音響機材は全部、ダメです」
それを聞いてマネージャーはええ、と大声で叫んだ。
「それじゃ、開場できないよ!
代わりの機材は無いんですか?」
マネージャーの言葉に、現地のスタッフは顔を横に振った。
ミズノの顔も再び、曇った。
「今日はもう中止にするしかないの?」
「そうするしか、ないかもしれません……。
お客さんも少ないし、天候が原因なら、痛手は少ないかもしれませんね」
マネージャーとミズノの会話を聞いて、
俺は自分の中のお邪魔虫が顔を出すのが分かった。
昔、ある魔法使いに言われたあることが原因で、その虫は俺の中に居ついていた。
『カザカ、あなたは本当は優しい人なんだから、
ちゃんと人を助けてあげないと』
その魔法使いは、もうこの世にはいないが、その言葉は呪いのように
俺をそれから厄介ごとに巻き込んでいっていた。
俺は心の中で「ちくしょうめ」と毒づくと、2人に、提案がある、と手を挙げた。
2時間後、
ライブ会場は人でごったがえした。
暴風雨もやや収まり、ぎりぎりでクーロが動き始めたのだ。
見込まれた人数くらいは、観客は集まっていた。
「フウカさん、お客さんの方にいさせてあげられなくて、ごめんねー」
本番前に、ミズノは、俺にそう言った。
俺はというと、舞台袖におり、全身は風を纏っていた。
右目も水色に光っていた。
「いや、いいよ。
ここでも聴こえるから」
俺はそう言いつつ、風を起こしていた。
会場の機材は使えなかったが、俺がその代わりをすることで、話はまとまっていた。
会場全体には、俺の緑の風が膜が包んでいた。
その膜は、雨も、弾いていた。
「ありがと。
んじゃ、よろしくね」
そう言って、ミズノは、ステージに上がった。
耳が張り裂けそうなほどの歓声が上がるのがすぐ近くで聴こえた。
それを聞いて、俺は右手に魔力を込めた。
右手が緑色に、ヴヴヴと唸ると、ミズノの声はマイクがなくても、その声を膨張させた。
声も、歌も、バンドの曲も、緑の風に乗って
開場全体へ広がっていく。
俺は少しだけ、疲労を感じてはいたが、
ミズノの歌声はそれを感じさせないほどの魅力的なものだった。
「労力に見合うくらいの、
いい歌じゃねえか」
それから2時間半。
俺はそのままの体勢でいたが、それほど疲れたとは感じなかった。
俺の目は、ほぼ閉じたままであったが、
耳はずっと、ミズノの歌を聴いていた。
ライブが終わると、ミズノはまず、俺のところへ走ってきた。
息使いも荒いまま、ミズノは、両手で俺の手を掴み
「今日はほんとにありがとうね!」
とにこやかに言った。
俺が
「いや、こちらこそ、楽しかったよ」
とお世辞抜きに言ったところで、俺の魔ステが鳴った。
俺は、少しそこから席を外し、送信者を確認すると、
それは社長だった。
「おう、終わったか?お疲れ。
ところでだが、ミズノさんの事務所から連絡があった。
お前を今から一月、専属の足として雇いたいそうだ。ボディーガードも兼ねて欲しいってよ。
何かあった時は、今日みたいに対処をして欲しいとさ。
報酬がいいから、受けておいたぞ。
お前も、ずっと歌を聴けて嬉しいな?
今日から、ミズノさんとこのスタッフと同じホテルに泊まれ。
金なら心配するな。
じゃあな」
社長は一方的にまくしたてると、
俺の返事もないまま、切った。
俺は頭がついていけず、雨を防ぐために張っていた魔法障壁も消え去った。
俺がただ立ち尽くしていると、
そばに傘を差したミズノが来て、
自分の魔ステを見ながら、やったねぇ!と言って、自分の身体をぴょんぴょんと、跳ばした。
「そういえば、私のフルネーム言ってなかったね。
下の名前はミヤだよ。ミヤって呼んでいいから。
私もフウカって呼んじゃっていいかな?」
そう言われた俺はまだ、真っ白な頭で、全てを受け入れられないでいた。
とりあえず、分かったことは、今日は帰れない、ということだ。
俺はミヤに返事もできずにいたが、ミヤはそんな俺を放置して、魔ステを見ていた。
「ホテルも同じだって。
フウカ、後で連絡先、交換してよ!」
俺は真っ白な頭のままだったが、
芸能人と連絡先を交換できるというちょっとしたアドバンテージだけが
俺の頭にぴたっとくっ付いた。
暗黒の中に、一筋、光が見えた気がした。
「夕飯、個室でバイキングだよ。
何食おうかなぁ」
ミヤはそう言いながら、走り去っていった。
まだ立ち尽くすこと以外できない俺に
水の都に降る雨は容赦なく打ち付けた。
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