第4話 人魚の棲む街(後)

人魚の血を飲むと、人魚と同じようになれる。




人魚と話せるようになり、人魚のようにエラで呼吸でき、人よりも早く泳げるようになる。

僕は、その緑色の血を飲むのが、あと1年半、早かったらどれだけ良かっただろう、と心の中で悔やみながら、その血を飲んだ。


その血は、苦い薬のような味がした。

顔が歪む。


しかし僕の気は逸った。

早いところ、人魚の街へ行き、彼女を探さねばという気持ちには何も勝てなかった。


フウカさんに言わせたら、間違った若さなのかもしれない。

でも今は、その若さのスピードで走っていたかった。




人魚の街は、サンゴの家でできていて、観葉植物のように、イソギンチャクが生え、とにかく色鮮やかだった。

しかし、それをゆっくり見ている気にはなれなかった。


僕は、とりあえず、通りすがる人魚達に聞いた。



「僕はある人魚を探しています。女性で、今、18歳くらいです。知りませんか?」



僕は初め、人魚が人間なんかに話しかけられたら、嫌な顔をするのではないかと思った。


こんな遠い街に、人間なんかが来るはずがないからだ。

人間を見たこともない人魚すらいるのでは?とも考えた。

人間というだけで敬遠されるのでは……そんな恐怖もあった。


しかし、街の人魚たちは、人間の僕に普通に接した。

僕の中のイメージは幻想に過ぎなかったようだ。



「18歳くらいの女性なら、もしかしたら、孤児場にいるかもしれないね。

それ以外で、私は見たことがない。違ったらごめんね」


50歳くらいの女性の人魚は、海藻で家の窓の掃除をしながら、言った。

僕は孤児場の場所を聞くと、その女性にありがとうございました、とお礼を言って、その場所へ向かった。


孤児場とは、大きな建物だった。

入り口と思われるドアも大きかった。

人でいうと、大きなお屋敷だ。


入り口を見渡しても、チャイムのようなものは見当たらなかった。

僕は、中に勝手に入っていいのか悩んだ。


しかし、僕はここに悩むために来たわけではない。

悩む時間はもう地上で終えたのだと、意を決した。


そして、こんにちはー、と言いながら、孤児場の大きいドアをぎいを開けると、

すぐそばには、40歳くらいのきりっとした顔立ちの女性人魚がいた。

その人魚は、背中に赤ん坊の人魚を背負い、目の前では、籠に入った幼魚を茶色と白の人形、いや魚形であやしていた。


その女性は、僕が入ってきたことに気付かなかったようなので、

もう少しだけ大きい声で、その女性に向かって、こんにちは、と言った。


するとその女性はやっと僕に気が付いたのか、こちらを見た。

しかし、忙しそうに、背中の赤ん坊と目の前の幼魚を交互に眺めていた。


「ん?どなただい?」

「勝手に入ってすみません。

僕は人で、ある女性の人魚を探してここまできました」


そこまで話したところで、背中の赤ん坊がヴァアアと泣き出した。

前の前の女性は、よしよしよしと言うと、僕に、


「分かった。人を探しているのはなんとなく。

でもちょっと悪いんだけど、手伝ってくれないかね?」

「え?」


女性は僕の返事を待たずに、僕に魚形を渡すと、

この子をあやして、と目の前の籠の子を指さした。


「この籠、車がついていて、動くからさ。

この場内だったら、どこ行ってもいいから、あやしながら探しなよ。

悪いねーちょっと、手が足りてなくてさ」


その女性の人魚は、背負っていた赤ん坊をよしよしとしつつ、別の場所へゆらゆらと泳いで行ってしまう。

残された僕はあっけに取られる始末だが、何はともあれ、幼魚をあやしながら探すしかなかった。

籠の幼魚を見ると、まだ人間と思しき顔つきはなく、ほとんど魚で、ただ、身体は人間の赤ん坊のようだった。

生まれたての人魚は、このようなものなのかと怪訝に思いつつ、ほらほらーと僕は幼魚をあやした。

幼魚は、んふふ、と嬉しいのか何なのか分からない反応をした。



幼魚と一緒に場内を巡る。


どこも、手一杯の女性ばかりだった。

しかし、心を鬼にして、ある50歳くらいの女性人魚に思い切って、話しかけた。


そしたら、その人魚は「あぁ、アクセちゃんの許嫁ね?もうきたの?」とだけ言った。

僕がぽかーんとしていると、その人魚もすぐに、せかせかと去ってしまった。


皆、話しても返事がきそうもないくらい、忙しそうだった。

僕はもう、18歳くらいの女性かどうかを顔と体つきだけで探すことにした。


1階を探し終え、2階へ行こうかと思った時だった。

僕の背後から、誰かが指でとんとん、と叩いた。


振り返った僕の前にあったのは、

探していた、あの彼女の顔だった。

驚きで、僕の心がどくんと鳴った。


彼女は、背中に、赤ん坊の人魚を背負っていた。



「びっくりした。

ここ、どうして分かったの?」



その人魚は、顔が赤くなっていた。

水の中にも関わらず、僕にはそう見えた。


僕は、彼女の声を聞いて、思わず、どきっとしてしまっていた。

話す言葉がうまく、出なかった。

翻訳がうまくいっていない、わけではなかった。

ずっと話せていなかった6か月間が走馬灯のように僕の頭を駆けた。



「君を探して、来てみたんだ」



まずは、それだけ言えただけで精一杯だった。


「嬉しい」


彼女はそれから、青い髪をゆらっと揺らして、満面の笑みを見せた。

今度は僕の顔が赤くなるのを自覚して、僕は、顔を地面に反らした。


それから、はっと僕は、そういえば自分の名前を言っていない!と気づき、



「遅くなったけど、僕はノートと言うんだ」



と初めて名乗った。

そしたら、彼女は、私はアクセだよ、と言って、その後、彼女は僕の足元をじろじろ見て、言った。


「人魚の涙、持ってこなかったの?」


僕は、人魚の涙を使ってここまで運んでもらったことを話し、人魚の血も飲ませてもらった話をした。



「血があれば、別にいっか!

とにかく、来てくれてありがと」



アクセはとにかく、笑顔が似合う女の子だと、僕は思った。


それから彼女は孤児場で色々、作業をしつつ、僕もそれを手伝った。

赤ん坊の世話や、掃除など、様々だ。

そしてその作業をしつつ、僕に話せなかった色々な話を聞かせてくれた。


自分は、両親を魔物に食われて亡くし、落ち込み、地上へ気晴らしに行っていたこと。

その時、自分と同じような顔をしている僕を見つけたこと。

ここの街の男の子とは気が合わなくて、友達にもなれていないこと。

彼女はここの孤児場で育ったが、すでにここの従業員になっていること。



「人魚は、とにかく子供をたくさん産むの。

親は面倒を見切れないから、みんな、子供をこの孤児場へ預けるのよ。

そして親は、この街を守ったり、食べ物を取ってくる。

大人になった人魚は、街を守るか、食べ物を作るか、この孤児場で働くか、のどれかを選ぶの」



そう言いつつ、アクセは赤ん坊にミルクをあげていた。

僕も隣で、同じように、別の赤ん坊にミルクをあげた。



「最初に、地上であなたを見た時は、たまに会う友達になるだけかと思ってた。

言葉も分からないし。

でもあなたはなぜか、私には優しかった。

この街の男の子は私には合わなかった……話も続かないし、仲良くなれなかった……

だから、あなたを選んだの」


アクセはそう言って、僕にまたキレイな笑顔を見せた。

僕はその笑顔を見るたびに、顔を背けてしまう。

あまりキレイなものを見たことが無かったからかもしれない。


「仕事を手伝ってくれて、ありがと

あなたなら、早く慣れそうね」


僕はそれを聞いて、慣れそうとはどういうことだろう?

と思ったが、それよりアクセが喜んでくれたことが嬉しかったので、いいんだよ、と言っただけにした。

そういえば、通りすがる人魚達も、あら、アクセちゃんに合いそうな人ねぇと同じようなことを言っていた。

もしかしたら、僕は何日か滞在してここで働くのかと思われているのかなと思った。



それから、30分ほど経った時。


その時、それは、僕がアクセに洗濯の仕方を教えてもらっていた時のことだ。

街全体が、まるで地震のようにいきなり揺れるのを感じた。


孤児場全体も建物が揺れ、女性の人魚は「なに?」とか「あらあ」などの悲鳴を上げていた。

赤ん坊で泣きだす子もいた。




アクセが何も言わず、緊迫感を抱いた表情で

赤ん坊を背負ったまま、外に飛び出すので、僕もそれに続いた。



「何か、きてる」



アクセは街の外の闇の中に目を凝らしつつ、言った。

僕も同じ方向を見たが、暗さで何も見えなかった。


その時、暗闇から、15mほどはあろうかというどでかい槍が3本、街に激突してくるのが見えた。

その槍は黒かった。


槍が激突すると、街はごっと、揺れた。

そして、街の外を覆う、紫色の膜の一部が、パリン、と割れるのが見えた。



「こないだきたやつだ」


アクセはそう言うなり、どこかへ駆けていくので、僕も困惑しながらそれを追った。



僕達は、10mくらい行ったところの広場に出た。

そこには人魚というにはゴツい、男性の人魚達が20人、いや、20匹ほど集まっていた。

皆、手に透明な3つ又の槍を持っている。



「町長」



ある男が建物から出てきたのを見計らい、アクセはその男に声をかけた。

呼ばれた男の顔は険しかった。周りの男たちも同じ顔つきをしていた。



「アクセか。早く、子供らを避難させろ。」

「こないだのやつなの?」

「ああ、アンデッド化した、クラーケンだ。

ダゴンの街を襲ったやつの、名残だな。

人間どもが、ちゃんと始末をつけんから、こうなる」

「やれるの……?」



アクセにそう言われた町長、という男は、少し押し黙った後、

やるしかないだろ、とだけ言い放ち、目の前の人魚達に手を翳した。


前にいた20匹の男たちは、持っている槍に空いている手で何かを込めたように見えた。

皆の槍はそれから、青く光りを発し始める。


町長は、それから僕達を振り返って、いや、僕を見て、言った。


「そいつが、許嫁か?

運が悪い日に、来ちまったな。

いざと言う時は、アクセを連れて、近くの海に逃げろよ」

「あの、許嫁って」


僕が町長の言葉に対する疑問は、空を切った。

町長もすぐに自分の槍に力を込めると、アクセに向き直り、行ってくるとだけ言った。


「気を付けて……」


アクセはそう答えるなり、僕に振り返った。

険しかった彼女の表情は、和らいでいた。

しかし、泣き笑いのように、どこかその顔には無理を湛えていた。


「こんな日に、ごめんね。

とりあえず、大事な話はまたにしよ。

今日は地上へ帰って」

「あれは、人間のせいで、ここに来たのか?」


僕はアクセの言葉を無視して、尋ねた。

それを聞いたアクセは、言いづらそうに、うん、と口ごもると、

一泊置いてから話し始めた。



「あれは、地上の街を襲ったクラーケンの成れの果て。

死んだクラーケンは、ちゃんと死体を処理しないと、悪霊が憑りついて、

ゾンビになるの。

そしたら、見境なく、そこら中を襲い始める。

前もあれは、この街に来たの。

でも私たちの魔法は水だから、あいつには、効かなかった。


まぁ、こないだみたいに何とかなるから。

ノートは、逃げて」


それを聞いた僕はデジャブを感じた。

そのデジャブの正体は、自分の経験だった。

1年前、何もしないでクラーケンから逃げた時を思い出していた。

あの時、僕は何もできなかった。


僕には何の力もなく、そしてそれは今もだ。


『生きていくには、力も要る』


タクシー乗りの男の言葉が僕の脳内で反芻した。



「みんなに伝えて、逃げよう。

じゃないと、あの人たちは戦えない」



僕はアクセにそう伝えると、アクセはうん、とだけ返事をして、来た道を戻っていく。

僕はそれを見送ると、町長が出てきた建物に入った。


そして、一番近くにいる人魚に声をかけた。


「槍を一本、貸してください」




街の外目掛けて、泳いでいく。

僕の槍には、他のみんなのような青白い光はなかった。


ゾンビになったクラーケンのでかさは、街の3分の1はあった。

僕は避難した建物の中で見たニュースでしか、クラーケンを見たことがなかった。

自分の家を奪った相手、なのにだ。


初めて、そのクラーケンを生で見た僕は、この世のものと思えないとさえ感じた。

化け物、というに相応しい大きさだった。



人魚達は、クラーケンに向かっていくが、

もはや、それは戦いというには相応しくないものだった。


人魚達の放った槍は、凄まじい速度でクラーケンに飛んでいくが、その肌には刺さらず、闇へ消えていった。


クラーケンは、黒い自分の身体に無数に生えている銛を街に突き刺していく。

その一撃は、すんでのところで、膜で弾かれるが、その膜も、僕が最初見た時よりだいぶ薄くなっているのが分かった。


僕は自分の無力さを感じていた。

勢いだけで、ここまで来てしまったが、やはり僕は何もできないのだと自分を詰った。


槍を投げたところで、皆よりも先に、海の底に落ちていくだけだろう。


僕は16歳だ。

ただのガキであることに悔しさを覚えた。

唇をがちっと噛んでみたが、それでどうなるものでもなかった。



『結局、また僕はあの子に何も

しれやれないのか……?』



頭の中で地団太を踏んだ。

そして、目の前の呪われたクラーケンを睨みつけた。


何かが欲しい、僕にも。

何かを守れるくらいのものが。




「それを、込めてみろ」




どこからともなく、声が反響するように、聞こえた。

誰の声かは分からなかった。

声は男とも女とも似つかない、機械的なものだった。



「お前にはできるよ。

分かっていないだけだ。

全てを貫く、空気をイメージしろ」



声はさらに続いた。

僕はその声が誰なのかを考えるのを、やめた。


槍を右手に構え、

目を閉じた。


左手で、その槍に僕の中でくすぶっているものを込めた。

それは緑色の切り裂くような風だった。


僕の心臓に何か、血液でないものが駆け巡るのを実感した。

それが何なのか、僕には分からなかったが、

それは、『今、使える』ものだということだけは、理解していた。



目を開けた僕の前には、

緑色に輝く、槍があった。



僕はその後、何をすべきなのかは、考えなくても分かった。

僕は街にトゲを突き刺し続けるクラーケンをもう一度、睨む。

黒い体についている、青白い目にポイントを定める。



それから僕は、思いっきり、槍を身体全体の力を使って、投げた。



槍の軌道は見えなかった。

水の中なのにだ。

水の中にも関わらず、槍は、音速のように速く飛び、30m先にいるクラーケンの目玉に深く突き刺さった。



クラーケンは声もなく、街から一歩、後ずさった。

しかし、やられたわけではなく、一瞬、ひるんだだけのようで、

再び、クラーケンは街を襲う体勢を作り始めた。


僕は、もう一度、槍を取りにいかないと、と

建物に戻ろうとクラーケンから、背を向けた。




そこで、背後からは人魚達のわあ、という歓声が上がるのを聞いた。

それを聞いた僕は、振り返った。


振り返った先には、身体が穴だらけになっているクラーケンが見えた。

穴からは大量の黒いものが吹き出し、頭と思われる部分は、もう穴どころか、なかった。



そして、そのクラーケンを横目に見つつ、

一人の男性がこちらにゆっくり、近づいてくるのが見えた。


戦っていた人魚達、そして、それを見守っていた街の人魚達はその男性が来ると、

皆、一様に頭を深く下げた。




その男性は僕が知っていた、タクシー運転手であった。


そのタクシー乗りは、僕を見かけると、周りをきょろきょろ見つつ、

ゆっくりと近づいてきた。




「この街の人魚は、


人間にずいぶんと優しいんだな」




フウカさんは、僕に静かに、そう言った。

人魚達は、まだ、彼に頭を下げ続けていた。




街の脅威が去ったことを分かると、

僕は皆が避難している大きな建物へ向かった。


そこには赤ん坊を庇う、アクセもいた。

アクセは僕を見るや、駆け出すように近づいてきた。



「どこにいってたの!

心配したのよ」



アクセはそう言いながら、僕の手に触れそうになったが、

何かためらうことがあったのか、自分の手を引っ込めた。



「握ってやれよ

昔も、そうしてたんだろ?」



そばにいたフウカさんが、僕にそう言った。

そう言われて、

僕はちょっと震える手で、アクセの手をぎゅっと握った。


昔は、言葉が通じない代わりに、僕は海水に浸かりつつ、

彼女の手を握っていたことを思い出した。


手を握ると、アクセは、昔のように、柔らかい顔を作った。

それを見て、僕は思っていたことを言った。



「あと、2年待って欲しい。


そしたら、僕は学校が終わるから、それから、ここに戻ってくるよ。

まぁ、それまでも、一週間に一回は、ここに泳いで来るけど」



アクセは黙って、うんうんと頷いていた。


それを見ていたフウカさんは、若いのにはついてけねえや、と言って、

建物の外に出ていった。




「若いやつの青春ってのは、見ると恥ずかしくなっちまうね」


外に出た俺は、横にいるシャンティにそう話した。

シャンティは、は、と俺を嘲笑するように言った。


「あんたがそう、誘導したんだろ?

というか、あんた、あの坊やに、言ってないだろ。

未成年の人魚の涙は、婚約指輪だってこと」

「なんでタクシー運転手がそこまで言わなきゃいけないんだよ」


俺は、タバコを吸いたくなって胸ポケに手を入れたが、

タバコがぐちょぐちょになっていることをまた、忘れていた。

ヒトの癖というのは、なかなか抜けないものだな、と俺は思った。


「人魚は、20歳になるまでに、ツガイを選ぶ。

アクセはこの街で、合う男には巡り合えなかった。

あたしは、別に結婚なんてしなくてもいいんじゃないかとアクセに言ったんだが、あの子は気にしい、だ。それに両親も死んで、尚更、気に病んだのだろうさ。

だから気が合った、あの坊やを選んだようだが、あの坊や……


これから大丈夫かねぇ?」


それを聞いた俺は、言った。


「知ったこっちゃないさ。

若いやつらは、勝手なことをすりゃいいんだよ。

あと2年後に、ノートがどうするかなんて、俺にはどうでもいい」


それを聞いたシャンティは、どうでもいい割に世話を焼いてる気がするけどね、と言ったのを俺は無視した。

また、タバコが吸いたくなってきたのを俺は感じた。


そこで、建物から、ノートが出てきた。

ノートは真っ直ぐ、意志の強い目で俺を見た。



「フウカさん、色々と、ありがとうございました。

あの、僕には、何か、力があるのでしょうか?

さっき、何かが心臓を駆け巡るのを感じました」


それを聞いた俺は、ああ、説明してなかったなと言い、

ノートに隠していたことを話すことにした。



「ノート、お前、界人だろ。

界人は、魔法が強い。

そして、理由は詳しく説明しないが、根暗なやつほど、強いんだ。


お前は最初から、魔法使いの才能があるんだよ。

だが、覚醒しないと、魔法は使えるようにはならない。

最初の一発は、初めて魔素を練るから、気合いが必要だ。


気合だけじゃどうにもならないこともあるけど、

どうしても、気合が必要な時もある。


覚えておけ。


ちなみに、お前は俺と同じ、風が得意だ。

俺の風タクシーの横にいたお前に、俺は気づかなかった。

お前の魔素は俺に似てるんだ。


風は、水の魔物と相性がいい。

火も水も土も、水の魔物にはイマイチだし、

雷は、水の中で使うと、自分も感電しちまう。


風魔法のマニュアルをメールで送ってやるから、後は自分で修行しとけ」



それを話す俺に、ノートは他の人魚のように深々と頭を下げた。


ゆっくりとありがとうございます、という彼の低くなった首に、

俺は『預かっていた』人魚の涙をネックレスに改造したものをかけた。



ノートの身体が瞬時に、うにょうにょと変化していき、

彼の「なんだこれ!」という叫びがこだまする。


一瞬の後、ノートの足は、人魚に変化していた。



「これはさっきまで俺も知らなかったんだが、

この人魚の涙は、肌に付けたまま海に入ると、人魚になれるんだ。


これがあったら、人魚とも話せるし、泳ぐスピードも、めちゃくちゃ速くなる。

お前一人でもここまで、余裕で来れるだろうよ。

それに、この街にいても、人魚として扱ってもらえる。

こいつは、餞別でお前にやるよ」


ノートはえ、それじゃ代金が、というと

俺は、それに返事をした。


「それは別に町長からもらってるから、大丈夫だ。

ところで、お前、明日、休みだろ?

今日はこの街に泊まっていくか?

明日、また迎えに来てやるよ」


そう言った俺に、ノートは、そこまでしてもらっていいんですか、と感嘆の言葉を漏らした。

俺の言葉に、横にいたシャンティは、ん、と何かを疑問に思うような声を漏らした。



話を終えると、ノートは、孤児場へ戻っていった。

彼がいなくなると、シャンティが、おい、と俺に声をかけてきた。


「あんた、なんか、らしくないじゃない。

あんた確か、ケチだよね?

気前が良すぎやしないか?」


その声に俺は、10年もすると、心が広くなるんだよ、とてきとうな返事をし、水中に、緑のタクシーを生んだ。

後ろからは、シャンティの、ウソくさいねぇという声が聞こえた、気がした。




俺はそれから、一人で地上へ出て、

タクシーで帰った。


社長に電話し、出先で当て逃げにあい、川へ落ちてずぶぬれになったんで、今日はこれで上がります、お客は無事です、と言った。

タクシーの代金は俺が代わりに払う旨を告げると、社長はびっくりしていた様子だった。


「なんだ、お前、頭でも打ったのか?

ちゃんと、医者へ行けよ……?」


社長は本気で俺を心配していた。

それを俺は、ハイ、とだけ言い、電話を切った。




フンフンと鼻歌を歌う俺の横、

助手席には、握りこぶし大の人魚の涙が転がっていた。

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