第3話 人魚の棲む街(前)

午前11時50分。




空には、赤の風が流れようとしていた。


風が、この世界の光源だ。

2時間置きに様々な色の風がユム大陸の果ての向こうから光を含み、吹いてくる。

風は、黄、緑、橙、赤、紫、青、藍の順で毎日、規則正しく吹く。

藍風が終わると、風は吹かなくなり、『無風帯』と呼ばれる。

地球でいう、19時が、無風帯の開始時間だ。


地球で例えると、俺はいつも懐かしさを感じる。

帰れない故郷を思う気持ちが蘇るのだ。

ちなみに、帰りたい、かどうかは、別の話だな。


悲しいかな、無風帯になっても、俺の仕事はもう少し、続く。

俺の中では、無風になると帰り時なのだが、仕事上、そうもいかないし、逆に稼ぎ時になる。

飲み会は、夜が定番だからだ。

タクシー運転手は、夜に稼ぐ。



赤の風は、ランチタイムの印だ。


寝ていた俺はそろそろ、昼飯にするかと頭を起こした。

今日も午前中は全く仕事がなかったが、朝早くよく通勤したと自分に讃歌を送った。


「いつものサンドイッチにするか」


と俺は重い腰を上げると、俺の風の車の横に、誰かが立っているのに気付いた。

起きながら見ると、その誰かは少年だった。

彼はひっそりと立って、俺の方を見ている。

俺は少年を見て、一体いつからいたのだろう?と思った。


少年はどこかよそよそしい表情をしているが、その目は間違いなく俺を見ていた。

少年は若く見えた、年の頃、15くらいではないだろうか?




「あの、今日は終わりでしたか?」



遠慮気味に、少年はそう言った。

俺の車を見て、タクシー業をやっていると思ったのだろう。

俺は、内心、タクシーを消してから寝ればよかったな、と思った。



「いや、大丈夫だよ。タクシーかい?」



俺はいつも通り、愛想がなく、抑揚のない声で話した。

それを聞くと、少年は、じゃあ、お願いします、と小さい声で言った。


少年は話し方も余所余所しく、やはり若さを感じた。

学生かな、と俺は思った。

しかし、俺はその少年に年齢を聞くことはしない。


客に年齢を聞くのは、タクシー業界では失礼にあたる。

個人の内情に踏み込み過ぎだし、人によっては、若く見える人もいるからだ。

女性相手に年齢を尋ねるのは、それはもう一層の事であった。



「後部座席を使ってくれ。

ちなみに、どこへ?」



俺は少年が荷物を持っていないことを確認すると、後ろの緑のドアを開けた。

少年は、慣れていなそうに風でできた座席に乗り込みながら、ええと、と答えた。



「あの、人魚の棲む街があるという話を聞いたのですが、行けますか?」



それを聞いた俺は、今日はまた変な客がきたなと思った。



「人魚の棲む街、ねぇ。ちなみに街の名前は分かる?」

「実は、分からないのです……」


普通なら、こんな客が来たら、名前も知らないわけのわからない街へは行けないから、よそをあたってくれと帰すだろう。

しかし、俺はどうにも悪運が強い。


俺はその人魚の街に心当たりがあってしまった。


「とある人魚の街だったら、知ってるけどな。

あんたの言う街と同じかは分からないよ」

「もし、違ってもいいので、そこへ行ってもらえませんか?」


少年が少し声高らかにそう訴えるので、俺もちょっとだけ気合を入れることにした。

何より、『人魚の街に行きたい』というその少年は、昔のある知り合いに似ていて、懐かしい気持ちになってしまった。

人が人を助けるきっかけなんて、いつの時も、そんなもんだと俺は思っている。


少年に、じゃあ、ちょっとだけ待ってろ、と言い、少年から少し離れた場所へ移動し、右手で魔ステを開いた。


そして、ある人物に電話を掛ける。

数秒の呼び出し音の後、その人物は電話に出た。



「あんた、何。11年ぶりじゃない。びっくりしたわ……」

「ああ、シャンフィ、いや、久しぶり。」

「久しぶりなんてもんじゃないわよ。あんた……生きてたの?あたしはてっきり」

「まあ、それはさ、近い内に話すよ、ちょっと聞きたいことあってね」

「相変わらず、会話が下手ね。それで何?挨拶回りでもしてんの?実は生きてましたーって」

「いや、仕事関係でさ。ちょっと聞きたいんだよ。シャンフィ、そこの街に行くかもしれないんだ。座標をさ、メールで送ってくれない?」

「あんたマジで挨拶回りでもしてるの?いや、いいけどさ。まだ冒険者してるの?今、何してんのよ?」

「もし、着いたら、話すから。とりあえず、送ってよ。急ぎなんだ」

「はいはい、本当にせっかちね。だからモテないのよあんた」

「ごめんごめん。じゃね」


電話を終えると、30秒ほど経ってから、俺の魔ステにメールでそこの座標が送られてきた。

人魚の街、の場所である。

俺はその場所をよく確認すると、少年の元へ戻った。


「待たせたな。ちなみに行きたい街は、サリン、というとこか?」

「ごめんなさい、街の名前も分からないんです」

「なるほどね。ちなみに、何しにいくんだ?」

「ある人魚に、会いにいきたいんです」


俺はタクシーを発進させず、後部座席の少年の話を聞くことにした。

全く見当違いの場所へ行くとしたら、少年は無駄足になる。

そして俺の懸念要素は、この少年が、ちゃんと代金を払ってくれるかどうか、だった。

幼い人をタクシーに乗せて、実は無賃乗車でした、代わりに親が来て払います、という話はないわけではない。


「思い出話になってしまいますが、1年半前のことです。

僕はすぐそこのダゴンの沿岸部の家で親と暮らしていました。


僕はいつも、内気で学校には友達もおらず、学校が終わるとすぐ家に帰ってきては、海を見ていました。

そうしたある日、海には、遠くから一人の女の子の人魚が僕の方を見ているのを見つけました。

僕が岸まで近づくと、その人魚もこちらへ近づいてきたんです。

もちろん人魚とは話はできません。

でも、毎日のように人魚は僕のところへ遊びにきて、僕と話も通じないのに、一緒にいました。

遊びなんて言ったけど、毎日、夕日を見て過ごしたり、僕が人魚の絵を描いて見せたりするだけでした。

でもそれでも人魚は明るい顔をしてくれるので、僕は嬉しくなりました。

その人魚がなぜ、僕のところへ来たのか、僕には今でも分かりません。

ただ、その人魚も僕が話しかけない時は、いつも、どこか寂し気にしていました。

もしかしたら、僕と同じような存在だったのかもしれないなと、思うのです。


でも、ご存じかもしれませんが、1年ほど前、ダゴンは発情期のクラーケンに襲われ、北側沿岸部がほぼ全壊しました。

僕の家もそれに巻き込まれました。


そして、僕は親とすぐに引っ越しました。

少し離れた沿岸部のガゼの街です。


僕は新しいことが色々始まり、あの人魚に向き合う時間すら取れませんでした。

でも最近になって、やっと生活が落ち着きました。


ダゴンの震災も落ち着いたので、僕は一人で、ダゴンの家があった場所へ戻って、一日過ごしてみました。

しかしもう、人魚の姿はありませんでした……。


僕は本当に、今更なのですが、あの人魚の事が気になってしようがなくなりました。

言葉は通じないかもしれない。

でもあれから人魚はどうしたんだろう、とそればかり気になるようになりました。


でも人魚のことは何も分かりません。

名前すら知らないし、住んでいる街も、何もかも知りません。


魔ステで検索しても、人魚については、曖昧な情報しか見つかりませんでした。

もちろん、人魚の棲む場所の情報なんて、載ってるはずがなかった。


だから、ダメ元でここに来てみたんです。

地元に詳しいタクシーさんなら、何か分かるかなって」


俺はそれをずっと、黙って聞いていた。

タバコが一本、吸い終わろうとしていた。


そして、少年の話が終わると、俺は、白い息を吐き、

やっと口を開いた。


「事情は分かった。

だが、俺は探偵じゃない。

タクシー運転手だ。わりいが、探し物なら、他をあたってくれ。


ただ、これは地元馴染みとは全く関係なく、俺はある人魚の棲む街を知っている。

そこがあんたが会っていた人魚のいるとこかは分からんが、そこでよければ乗せていくよ。


ちなみに時間にして、片道、40分。

帰りも含めると、3万ユムくらいかかるぞ?」


俺がそう言うと、少年は少しそわそわした様子で、それなのですが、と切り出した。


「実は、僕はまだ学生でそれほど、持ち合わせはないのです。

ただ、コレは代金に代わりにならないでしょうか?」


少年はそう言うと、ズボンのポケットから、半透明水色の丸い玉を取り出した。

それは、大きさにして、地球ならパチンコ玉くらいで、中はやはり水色なのだが、中心部分だけ、エメラルド色をしていた。

それを少年から受け取った俺は光にかざしたりして、観察した。


「これは?」


俺はそれをかつて見たことはあったが、何なのかは知らなかったので、聞いた。

少年は、

「人魚がある日、僕にくれたんです。何かは分かりませんが」

と言った。


俺も少年もそれの正体が分からなかったので、俺は、魔ステを開いて、検索してみた。

『人魚 青い 玉』で検索すると、面白いことが分かった。


「これは、人魚の涙、というらしいな」

「へえ、それは?」

「人魚が流した涙を自分の魔素で固定して、鉱石化したものだ。これは、タクシー代金として使えるよ」

「本当ですか!」


俺は、ああ、大丈夫だといい、少年ににこっと下手くそな笑みを見せた。

俺は内緒にしていたが、その人魚の涙のオークション価格は、砂粒程度でも、3万はくだらないものであった。

俺はタクシー代は俺が払い、この涙は俺の懐に入れておく、ことにした。


「少年。契約成立だ。君を海の街に連れていこう」

「はい、お願いします!」


俺のやる気はがぜん、増していた。

そして、車が発進するや、途中、サンドイッチ屋に寄っていい?と少年に尋ねた。

俺は少年のサンドイッチも、おごってやる予定だった。




それから、緑のタクシーは南へ進み、

海岸線を過ぎると、少しずつ、高度を下げていった。


そして、青い世界へどぶんと沈んでいく。



「帰りもタクシーを利用してもらえるということだから、俺の名前を言っておく。

フウカだ。

魔ステで、電話番号も登録しておいてくれ」


そう言った俺は左手で魔ステを開き、自分の電話番号を示した。

少年は、自分の魔ステを開くと、俺の連絡先を登録しつつ、言った。


「フウカさんは、なぜ人魚の街を知っているのですか?」


それに俺は、ん、と返事をすると、どこまで話してよいものか思案した。

そして、話して大丈夫だろう、というところまで言うことにした。

なんせ、タクシー業は、個人情報も扱う。

他人の情報はその個人の権利を侵害することにもなるため、できるだけ話すべきではない。


「人魚の街に、知り合いがいるんだよ。

もちろん人魚だが。

昔のツテってやつだ」

「へぇ、タクシー業はすごいんですね」


少年はその説明で納得してくれたようだ。

それから俺は逆にこちらから少年に、聞いておくべきことがあったので、それを尋ねる。


「ちなみに、あんた、昔、人魚から何かもらって、飲んだか?」

「え?どういうことです?」

「とりあえず、何か飲んだか聞きたいんだ」

「いや、飲んでないです」


そして、その会話のすぐ後に、少年は、ちなみに自分の名前は、ノートです、と言った。

俺は、おうそうか、と頷きながら、そういえば最後まで少年、でいこうとしている自分がいたことに気付いた。


タクシー業は、客と長く過ごすことはあまりない。

なので、お互い、名前を名乗ることもなく関係は終わってしまう。

しかし、俺は、2時間以上一緒にいそうな客には、名前を聞く、というマイルールを作っていた。


少年とは、行き帰り、共に40分ほどの仲だから名前は名乗らなくていいかと考えていたのだが、思えば2時間どころではなく長い付き合いになるかもしれないなと思った。




40分ほど海の底に向かっていくと、もはやあたりは一面、真っ暗だった。

だが、ゆっくりと、目的地とはっきりわかる青と緑と黄色の混ざった、色鮮やかな明るいドームが俺達の目前に現れた。

それは大きな都市くらいのでかさのドームだった。


それが見えると、少年もああ、と目を輝かせた。

普通の人間なら、一生見ることもなく終わるに違いない。


そこは人魚の棲む街だった。




俺は人魚の街の障壁ぎりぎりに車を止めると、

少年にちょっとここで待っていろと言った。


「ちょっと知り合いを待たせてある。少し車の中にいろ。

ちなみに、俺は外に出ても大丈夫だが、

あんたは、死ぬからな」


少年は、俺の言葉を聞いて、え、と困惑する顔をしていたが、俺はそれを無視して、

生身のまま、風の車の外に出た。


そして、泳いでドームに近づく。

服はもちろん、すぐずぶ濡れになった。

海水パンツなんか履いていないから、気持ちがいいわけはなかった。


ドームの中に入っても、空気があるわけではない。

それはただの3重の魔法障壁だ。

以前来た時は、2重だったが、すこし厳重になったようだな、と俺は思った。


ドームの中に入って少し待っていると、見慣れた、といってもだいぶ面影も薄くなったが、

待ち合わせをすることになっていた女性の人魚が泳いできた。


その人魚は、年齢にして、俺と近い確か、今28歳で、

黒い髪に、黄色い肌。締まった身体をしていた。

人魚は下着しか着てないので、身体の線が、よく見えた。

首からは、青くて丸い宝石のついたペンダントを下げていた。


その人魚は俺に近づくと、溜息にも似た、はあ、という声を漏らし、

大きめの声で言った。


「あんたさ、連絡寄こしなって」

「シャンフィ、悪いな。しばらく、何も考えられなかったんだ

色々、あって」


俺がそう言うと、その人魚は俺をがばっと、抱擁した。

俺もその人魚の背に手を回した。

海の中なのにも関わらず、人魚は小さい涙を流していた。


「ミルは、残念だったよ。あんた、大変だったね」

「ミルは、一瞬で黒焦げになった。苦しまなかっただろう。

火葬もしなくて済んだから、金もかからなくて済んだ」

「あんたはまた、そういう本心で話さないとこ、変わってないわね……」

「もっと前に、やめておくべきだった。誰も、助けられなかったんだ。結局、俺は一人で逃げただけだ」

「あんた一人でも生きてて、良かったよ。

それより、知ってる?ミルが、戻ったら結婚したいって言ってたこと」

「……ああ。でも、お前は知らなかっただろうが、グラスもミルが好きだったんだ。

アーチャーが勇者を押しのけて告白できるわけないだろ?

告白しないで、正解だったかもしれない」

「そう……」


昔話に花は咲かなかったが、俺達の挨拶はそれで終わった。


「それで、車に乗ってるあの子が、客なの?」

「ああ、まだ、飲んでないんだ。悪いけど、頼めるか?」

「ここまできて、ダメとは言えないでしょ。ちょっと待ってて」



それから俺は5分ほどで、小指の先ほどの、小さいビンを持ち、

風の車に戻った。


待たせたな、と言い、車の中に入ると、俺の運転席には、水がびしゃ、っと垂れた。

それから俺は運転席によいしょ、と腰を沈めると、ノートに振り返った。


「ノート、お前は若さだけでここまで来たが、人間、勢いだけではやっていけないんだ。

先を見て、考えないと生きていけん。

生きていくには、力も要る。

まず、人は、水の中では息ができない。

俺じゃないタクシーだったら、お前はここで、とんぼ返りだよ」

「すみません、そうですね……」


それから俺は、ノートにほら、と小さいビンを渡した。

それは、一口分の緑の黒い液体で満たされていた。


「これは、人魚の血だ。

これを飲むと、人でも、水の中で息ができるようになり、泳ぐのも速くなる。

それに、人魚と会話もできるようになる」

「ほ、本当ですか!」


ノートの顔がぱっと明るくなった。

あの人魚と話せるようになる、未来が見えたのだろう。


「ただ、これを飲むと、一生、そういう体質になる。

一応、それだけ覚悟してから」


と俺が言いかけている時に、ノートはもうビンを開け、緑の液体を飲んでいた。

うまくないのだろう、飲みながら、ノートは顔をしかめた。



「ノート、大人の話は、ちゃんと聞かないとだめだぞ」

「……すみません。いてもたっても居られなくて」


俺はそのノートを見て、若いってのは勢いがあるな、と再認識した。

なぜか、あまり怒る気にもなれなくなった。

逆に俺はふと笑ってしまう自分がいることに気付いた。


「じゃあ、まあ、俺はここらへんで待っているから、後は自分で何とかしろ。

中にお前の探している人魚がいるかは知らん。

街の人、いや人魚に聞きながら、何とかしろよ」

「本当に、何もかも、すみません。」


それが終わると、ノートは気が急くのだろう、すみません、と言ったあたりで、もう風のタクシーを出ていた。

彼が泳ぐ速さも、速かった。

地上なら、全力疾走にあたるくらいの速さだろうか、と俺は思った。




明るいドームへ入っていくノートを俺は暗い海の中で、シャンフィと見送っていた。

俺達は、横並びに風のタクシーを椅子代わりにして座っていた。


「いやぁ、女の子一人のために、ここまで来るなんて、青春だねぇ」

「昔のお前を思い出すだろ。あの時の再現ドラマみたいじゃないか?」

「だねぇ。いや、それはあんたも同じでしょ。あのくらい、熱かったよ、昔のあんたは」

「いやーそうだったっけ?」


そんな話を誤魔化すように俺はタバコを吸おうとした。

しかし、胸ポケットに入れていたタバコは全部、水で湿気っていた。


ああ、という俺の愕然とした声は、響かず、潮に流された。


(後編へ)

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