愛が重いネコ好きのお話

猫島 肇

今に至ってはネコは傍にいない

 生まれたときからネコと共にあった。


 私の人生はそのように位置付けられる。ただしその分別れも多く、ネコは私の傍からよく居なくなっていった。

 事故や病気など。ただしそれは人でも起こりうることで、できるだけ長生きを、と願ってもいずれはやってくるものだ。しようのないことである。


 だが、私の家族は――特に亡くなった父方の祖母はとてもお別れを悲しがっていた。だから、祖母の目の黒いうちはしばらく、私の実家ではネコは飼われなかった。

 母もそのことを気にしてか、共働きで家にいないことを気にしてか、特にアクションは起こさなかった。


 そんな折、三年前の十月。

 実家に子ネコがやってきた。


 聞けば、母方の祖母の家に迷い込んできたのだという。そちらの祖母も高齢なため、私の実家で面倒を見ようということになったらしかった。

 久しぶりのネコだ。私はワクワクした。


 だがそのとき私は都内で主人も子どももおり、いわゆる核家族化していたことと、例の新型コロナウイルスの蔓延があり実家に帰ることができなかった。

 ネコに会いたい。モフりたい。遊びたい。

 そのような欲ばかり募るようになっていった。


 なんたって新しいネコである。私だって面倒を見たいのである。


 逸る気持ちのなか、半年、一年、と時は過ぎていった。


 二〇二二年の十二月末。私は息子の誕生日も兼ねて実家に帰省することにした。初めて見るネコは。

 警戒していた。


 ショックだった。そりゃあそうだ。ネコにとってはテレビ電話でしか会ったことのない他人だ。そもそもネコにはテレビ電話という概念がない。

 実家で大切に大切に育てられた結果。人見知りのネコになっていた。


 それでもネコ好きはめげない。

 母に抱っこされたネコにちゅーるのまがい物を捧げていく。怒りながらも食べてくれた。

 びくびくしながらでも、仲良くなれると信じていた。


 しかし、仲を壊すのは息子だ。誕生日を迎えたとてまだ小さい。五歳になったばかりだ。ネコへの対応はまだ分からない。

 追いかけ回すと逃げていく。やがてネコは物陰に隠れて出て来なくなった。


 ショックだった。二度目のショックだ。もう会えないかもしれない。

 ようやく実家に帰ってこれたのに、相まみえた時間がほんの一瞬だなんて。


「ニャー」


 実家で食事をしようとしたそのときだ。どこからともなくネコのか細い声が聞こえる。寂しいのか、それともごはん時だしおなかが空いているのかもしれないと思い、私はネコを探しに行った。


 これはネコ好きには共感していただけると思うのだが、いつだって私の耳は良く、些細な「ニャー」でさえ聞き逃さない。


 私の勝手知ったる実家だ。ネコの鳴き声を頼りに探索を始めた。そうしてややあって、私は中二階の物置部屋でネコを見つけた。

 可愛い。怖いだろうとは思う。だけどネコの腹が空いているのならいけないことだ。瞳をギンギンに丸くして威嚇していた。ヴーヴー唸っている。先程の可愛い「ニャー」はどこへやら。確実にお前ではない、という雰囲気だった。


 それは私も知っている。無駄にストレスを与えてしまったと思った。心細いのか空腹で鳴いていないかと心配になっただけなのだが、容易に近づいてしまったことをいまでは反省している。


 ネコに手を伸ばした瞬間。


 めっためたに引っかかれた。

 流血沙汰だ。ちなみにその場合にはきちんと消毒してほしい。本当に危ないので。

 親と主人に呆れられて、包帯を用意する羽目になった。ネコは悪くない。私がちょっかいを出した結果である。


 私の右手首にはいまでも消えない痕が残っている。見る人が見れば怪しまれてしまうが、決してそのような痕ではないので安心してほしい。


 それでも愛そう。ネコゆえに。我らネコ好きは引っかかれた痕が勲章である。


 ちなみに現在当事者――ネコ――は、のほほんと、遠い実家で暮らしている。


 感動話ではない。

 ただのネコ好きが馬鹿を見た話である。

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愛が重いネコ好きのお話 猫島 肇 @NekojimaHajimu

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