第17話 事件


 教室には誰もいなかった。

 でもまだ、どこからか視線を感じる。その視線がやけに気持ち悪い。


 叶乃は鞄を背負うと、忘れ物が無いかだけ、机の中に手を入れ確認し、帰ろうとした――が。


 有紗の机の上の消しゴムのかすが気になって、それだけ捨てて、今度こそ教室を後にした。

 この時の叶乃はそのが後々、傷つく要因になるとは気づいていなかった。消しゴムのかすを拾っている時、「カシャ」というシャッター音が聞こえたが、気の所為という事にして割り切った。



 昇降口に着いた叶乃はそこで立ち止まり、有紗に連絡を取る。

 でももう、有紗からはメッセージが届いていた。


『友達と帰るから、ごめんね。明日は一緒に帰れると思うから。今日はありがとう』


「……有紗……」


 気づけば彼女の名を呟いていた。

 心がもやもやする。これが嫉妬というやつなのか。


(有紗は私よりその友達の方が大事なんですね)


『はい。こちらこそありがとうございます』


 そう顔文字付きで送った。本心とは裏腹に。


 一人の帰路はとてもとても寂しかった。



 家に着くと叶乃はベッドの上でうずくまっていた。


 陰口を言われるのは慣れている。嫌な視線だって睨まれるのだって、そんなのどうでもいい。


 ただ――有紗に嫌われるのだけは……耐えられない。有紗に避けられたら、きっと叶乃は死んでしまう。死ぬは大袈裟かもしれないが、学校に行けなくなるのは確かだ。

 有紗のいる、楽しい青春を知ってしまったから。


「んー、どうしよ」


 これは一人で解決出来る問題ではない。直面したのはだけど、前々からずるずる引きづっていた問題。


 噂は瞬く間に広がる事だろう。


 寂しいから有紗に連絡したかったけど、遠慮してしまった。


 有紗に相談する勇気も無いし、有紗は私より他の友達のことのほうが大事だろうから。これはただの叶乃の勘違いなのだが、今の彼女に違う見方をする余裕なんてない。


 一時間ほど、ベッドの上で過ごした後、叶乃はお風呂に入り、そのままベッドに潜り、寝た。


 明日が来るのは怖かった。けど、寝るしかなかった。



 ――翌日。雨。

 窓に打ち付ける雨音で目が覚める。外は白っぽい。


 有紗との待ち合わせ場所の最寄り駅に着くと、既に彼女はそこにいた。


「やっほー、かなの」


 大きく手を振る有紗。


 有紗はいつも通りの様子だ。


「おはようございます、西野さん」

「敬語を崩して、私のことを名前で呼んでくれる確率上がらないかなぁ……」

「……」


(名前で呼んだら、有紗は私のことを嫌いにならないのかな……?)


 そんなことを考える。だから、これからは名前で呼ぶようにしようと心がけることにした。


「有紗は私のこと、好きですか?」

「何言ってるの? 好きに決まってるじゃん!」


 彼女は叶乃にいきなり抱きつく。強い力で。繊細な叶乃の身体が壊れそうなくらいに。


 毎回のことだが、有紗の大きな胸は時に凶器だ。押しあてられると、息が苦しくなる。


「あ、りさ……く、苦しいです」

「ごめんごめん」


 有紗が叶乃から離れ、学校が見えてきた頃。

 ポツリ、と叶乃は言った。


「私は有紗とずっと一緒にいたいです。嫌われたくなんかないです。有紗のことが一番大好きです」

「……っ!」

「今日の叶乃はやけにデレが多いね!?」

「そうですか?」

「そうだよ。可愛い」


『可愛い』と言われ、自然と叶乃の頬は赤くなった。


 でも楽しい時間はこれで終わりだった――。



 教室に着くとみんな、叶乃を避けだす。ヒソヒソと小さな声が聞こえる。


「叶乃!」

「ありちゃんこっち」


 叶乃の席に行こうとした有紗を莉乃ちゃんが引き止める。


「え――」


 振り返った時の莉乃ちゃんの顔が怖くて、有紗は何も言えず、従うしかなかった。


「市原さん、ありちゃんのペンケース盗んだんだってー」

「ありちゃんを取るだけでも罪なのに物まで盗るとか」

「いくらありちゃんが好きでもありちゃんのペンケースは盗んじゃダメでしょ」

「市原さんって何考えてるのか分からないよね」

「これだから陰キャは――」


 叶乃の悪口合戦が始まる。

 叶乃は『有紗のペンケースを盗んだ』という冤罪をかけられていた。原因は莉乃ちゃんグループによる、叶乃が最近有紗と仲が良いことを理由にした嫉妬だった。

 取り敢えず窃盗の冤罪が晴れるまで、しばらく陰口は続くだろう。



 放課後。

 閑散とした階段の踊り場にて。

 叶乃は莉乃ちゃん率いる女子グループに囲まれていた。


 攻撃的な言葉が踊り場に響く。


「あのさ、調子乗らないでくれない?」

「何のことですか」

「こんなことしたら、有紗に嫌われるよ」


 という重い言葉が心にのしかかる。こんなこと、とは一体……?


 莉乃はスマートフォンの動画を叶乃に見せつける。見せられた動画に叶乃は目を大きく見開く。


 それは――昨日、教室で有紗のペンケースを叶乃が盗んでいる証拠動画だった。勿論、合成なのだが。でも合成でも、その動画が学園内で広まり、信じる生徒は多かった。


「私、そんなこと、してません」


 いくらそう言っても、信じる者はここにはいない。


「してるじゃん」


 莉乃の取り巻きの七海ななみが冷たくあしらう。


「うう……」

「お願いだから、もう有紗に近づかないで。約束ね?」

「……」

「そもそも何で、有紗と仲良くしてるの? いつ頃仲良くなったの?」

「友達だからです。今年の春頃ですかね」

「ふーん。友達、ね……。でもうちらだって、有紗の友達なんだけど? もっと前から、市原さんより、有紗と仲良いんだけど?」

「それは……」

「だから! 人の有紗を勝手に取らないで。分かった?」

「……はい」


 弱った叶乃に更に追い打ちをかける、三人。冷酷な言葉が彼女の心臓に深く突き刺さる。


「有紗にあんた、嫌われてるから。友達だと思ってるのは市原さんだけだから」

「そう……なの?」


 三人の拘束が解かれると、叶乃は泣きそうになりながら、階段を駆け下りた。


 誰もいない場所に早く行きたかった。声を出して、泣きたかった。苦しすぎて、呼吸が上手く出来なかった。


 誰も信じられなくなって、充電が1%のスマートフォンのような、最後の力で有紗にメッセージを送る。


『ごめんなさい』と。


 大好きな有紗ですら、怖いと思ってしまったのは何でだろう。








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