第2話 日常


 とある日の朝のHR前。

 叶乃は焦りながら、本を読んでいた。今日中に図書室に返さなければいけないのだ。その事実に昨夜気づいた。

 寝ずに読むのは身体に悪いので、夜は読まず、家を出る前と学校だけで読み終えてしまおう、と思った。

 だから、誰にも邪魔されたくないし、全神経を読書に集中させている。


 好きな本の存在を忘れて、ゲームに夢中になって、すっかり返却日が迫っている事実に気づかなかったのは、我ながら抜けている、と思った。

 やはり叶乃は頭が良いのか、天然なのか分からない。


 そんな叶乃の読書を邪魔する存在が不意に現れた。


「おっはよー、


 急に後ろから抱きついてきたのは、叶乃の友達の西野有紗だった。


 こういう時は鬱陶しく感じる友人だけど、いざというときに頼りになるから、簡単には捨てられない。


「おはようございます。ボディータッチは禁止です、セクハラです」


 以前よりは拒絶反応は減ったが、やはり少しのボディータッチもセクハラだと思っているらしい。男子がやったら、叶乃は本気で被害届を警察に提出するかもしれない。怖い怖い。


「そう言わずにさー。私達、友達でしょ?」

「……」


 有紗は彼女が本を読んでいることにすぐに気づく。


「何の本読んでるの?」

「内し――」

「あー! それ、いまアニメ化してる流行りの学園ラブコメだー」

「ちょっ! 静かにして下さい」


 叶乃は頬を赤らめ、視線を逸らす。照れている。


「何で学園ラブコメなんか読んでるの? 意外。男子嫌いじゃ無かったっけ?」

「ヒロインが、男子に告白された時のフリっぷりが爽快で読んでいて気持ちいいので読んでいるだけです。でも、最後に主人公と結ばれるらしい、というか結ばれたので、最後のページだけ破ってやりたいです」

「破らないでー」


 少しの間の後、有紗は続ける。


「わたし、図書委員だから返してきてあげよっか?」


 その問いに叶乃はムッとする。

 まだ読み終わってないのに……。


「まだ読み終わっていません。あと少しで読み終わるので急かさないで下さい」

「ごめんごめん。ごゆっくり」


 邪魔してごめんね、と有紗は自分の席へと戻ろうとする。


「行かないで」


 叶乃のか細い声は周りの喧騒で掻き消される。有紗が居たほうが安心するらしい。でも有紗にその思いは届かなかった。

 有紗は自分の席に着いてしまった。



 放課後。

 夕焼けが教室の窓からよく見える。

 クラスメイトの大半が教室から去っていく。

 残るは有紗と叶乃と数人。


 有紗が学生カバンを背負しょい、帰ろうとするのを叶乃は急いで引き止める。そして告げる。


「本返してきてくれませんか?」

「えっ!? ひょっとして甘えてる?」

「甘えてません。冗談はやめて下さい」

「……せっかくだから、二人で図書室に返しに行かない?」


 その問いに対し、叶乃はコクリと頷く。


 静かな廊下を二人で歩く。


 少しの間だけ静寂が漂う。

 口火を切ったのは叶乃。


「女の子が男子を気持ちよくハッキリと振るオススメの本、ありませんか? 最近そういうジャンルにハマっているんです」


 告白をズバッと振るだけのジャンルとは?


「んー、詳しくないなー。てか、市原さんはざまぁを読むべきじゃない?」

「ざまぁってなんですか」

「説明がムズい。簡単に言うと、悪者が痛い目に遭うジャンルかな」

「つまり、男子が女子に嫌がらせを受けるジャンルなんですね、ざまぁって。読みたいです」

「市原さんは前世で母親を知らない男に寝取られでもしたの?」

「仰っている意味が分かりません」


 そんな話をしているうちに図書室に着いた。

 図書室は閑散としていた。


「さ、返そっか」


 カウンターで返却処理をする叶乃。

 それを見守る有紗。


 終わると彼女は有紗の元へと帰ってくる。


「次、なに借りましょうか」

「それならオススメあるよ!」


 持ってきたのは女の子同士の恋愛をテーマにした、学園漫画。ちなみに男子はモブしか出てこない。全5巻。


 表紙は少女二人が互いに背を向けて、花を手に持っている絵。男子は右端に小さく描かれている。


「これは何ですか?」

「面白い漫画だよ」

「抽象的過ぎますね」


 叶乃はパラパラとページをめくる。

 そして難しい顔をする。


「本当に面白いんですか?」

「面白いよ」

「西野さんは読んだこと、あるんですか?」

「無いよ」

「男子はどこですか?」

「ここ」


 有紗は右端をトントン、と叩く。

 更に叶乃の表情が変になった。


「やめます」

「ちょっ! 面白いから読んでみて! 絶対面白いから!」


 強引に有紗は叶乃の手から例の漫画を奪って、カウンターに持っていった。そして、貸出処理を華麗に終わらせてしまった。


「強引ですね」

「まあ、これくらいやらないとね」

「何で読んでもいないのに、その漫画を勧めるのですか?」


 少しの間の後、有紗は目を伏せつつ、ボソッと言葉を口にする。


「――女の子同士の恋愛にも興味を持って欲しいから」

「え?」

「何でもない、帰ろっか」


 有紗は手を繋ごうとしたが、躊躇った。まだそんな間柄じゃないから。


 階段へと歩を進める叶乃に対し、有紗は教室のほうへと向かおうとしていた。当然、道は別れてしまう。


 不審に思った叶乃はこう告げる。


「帰らないのですか?」

「ちょっと教室寄らない? 話があるの」

「えっ、誰もいないですし、もうすぐ学校閉まりますよ?」

「誰もいないからいいの」

「んー、分かりました」


 二人は誰もいない、放課後の教室に入った。

 何の話をするのだろうか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る