デブスニート

 帰宅したのはまだ陽があるうちだった。


 パーティーの食事だけでは志帆には足りなかろうと、帰りにもどこか外食に連れて行かされることを想定していた。

 ところが普段はおしゃべりな志帆が「帰る」と言ったきり、だんまりを決め込む。女性には怒ると黙ってしまう人が多いが、志帆は怒りを抑え込むことなくその場で全て爆発させるタイプなので、こんなことは珍しい。


「志帆、何を怒ってるんだ」

「……」

「歌、大盛況だっただろ? 行って良かったじゃないか」

「……パパがイケメンにパワハラしなきゃね。しかも私をダシに。勘弁してよ」

「パワハラって?」

「私と連絡先交換させることだよ。パパ、イケメンには意思確認したの?」

「いや、彼女募集中って言ってたから……」

「あんなイケメンが私なんかと知り合いたい訳ないじゃん。パパの方が偉いんだから、こんな豚冗談じゃねえよなんて言えないでしょ。本当はそう思ってるのに、パパの手前無理して笑ってるの見て私がどんだけ惨めだったと思う?」

「そんなことはないぞ。あの後、志帆に渡してほしいって北沢くんから名刺預かったんだ。ほら――」

「そんなの、パパに媚びるために決まってるじゃん!『常務~デブスなお嬢さんでも差別しない僕をどうか可愛がってくださいね? 常務の言うこと何でも聞きますからぁ』ってアピールに決まってんじゃん。私じゃなくてパパに媚びてるの!」


 そのクネクネした物真似は何なのか。北沢くんがそんなことを言ってきたら、さすがに美男子でも気持ち悪い。


「パパには分からないんだよ、私の市場価値の低さが」

「市場価値ってなんだ、志帆は可愛いよ……」

「私には、パパみたいな涙袋も無いしさ」

「な、涙袋ってなに……?」


 志帆は私の目の、すぐ下の膨らみを指差す。私はそれに倣って同じところを指差して尋ねる。


「これか……あった方がいいの? 老けて見えない?」

「何言ってんのパパ、涙袋と目袋はぜんっぜん違うから……ていうか話そらさないで」


 バレている。正直私には、志帆が何故そこまで自分の容姿を卑下するのかがわからない。志帆は一旦こうなると、自分を貶すことを止められなくなってしまう。

 それは父親として見ていて辛く、何よりもあの時のように、取り返しのつかない事態になるのではないかと怖い。


「何で私だけブスに産まれたの……パパもママもくっきり二重なのになんで私だけ一重なの……何で私だけ鼻がでかいの……何で私だけ顔が長いの……なんで……」


 志帆は段々涙声になってきて、頭を抱えながら言う。

 せっかく美容院で整えた髪も自分でぐちゃぐちゃにしてしまって、私はどうしていいかわからない。「そんなことないよ」と否定したところで聞き入れないからだ。


「……でも、手術して綺麗になったじゃないか」

「してやっと普通か、普通よりちょい悪い、だよ。して良かったとは思うけど、そもそも整形しなきゃいけない顔に産まれたことがおかしいじゃん」


 やはり私の選択は、間違っていたのだろうか。美容整形の資金は私が出した。


「志帆。趣味に夢中なのも良いけど、少し現実を見てほしかったんだよ……」

「現実って何⁈ 私がデブスニートってこと? 歌ってみた動画に7万件低評価がついたこと? SNSで『ブスは歌うな』って叩かれまくったこと? 女で不細工に生まれることがどれほどハードモードか、パパにはわからないでしょ? それに日本では女だけ30過ぎたらゴミ扱いなんだよ。女だけだよ? 男は30過ぎてもおじさんじゃないのに、女は30どころか25過ぎからおばさんって言われ始める。私だって若いうちに頑張ったよ、整形だってめちゃくちゃ痛かったけど耐えてさ、それでもブスって言われるんだよ!そうやってる間に30過ぎちゃって、頑張った意味ないじゃん……もう、女としてジャッジされる場所に出たくないの!」

「……志帆は視野が狭くなってるだけだ、大人の女性が好きな男もいるよ」

「知ってるよ……でも少ないよ。パパが思ってる以上に男は若い女が好きだし、女でブスに生まれちゃったらもうアウトなんだよ……ねえパパさ、二重とか、瞼の上のたった一本の線なんだよ。生まれつき二重のパパにはわからないでしょ? ほんのちょっとの差なんだよ。たったこれだけ、たった数ミリの差が女ってだけでどれだけ不利だと思う?」


 志帆は泣きながら、小鼻の横に残った美容整形の痕を指差す。痕は言われなければわからない程度だが、本人が言うには元々の小鼻よりも横に2ミリほど小さくなったらしい。


 苦しんでいる娘に、それも「パパやママみたいな顔だったら良かった」と泣く娘に「親にもらった顔に傷をつけるなんて」とは言えなかった。

 手術したことを後悔はしていないようだが、娘は未だ苦しみから解放されていない。


 では私はどうすれば良かったのか。どうしてあげれば良かったんだ。


「だからずっと結婚もしないで、就職もしないでいる気なのか」

「……わかってるよ、デブスニートで申し訳ないと思ってるよ……でも頑張っても、他の人と同じようにできないんだよ……何やっても、どこ行ってもすぐに人から嫌われるし」

「わ、悪かった……すぐに結婚しろとか就職しろとか、言ってないだろう。誰もそんな、志帆のことを嫌ったりしてないよ」

「パパこそ現実を見てよ。娘だから可愛いって思ってもらえることには感謝してるよ。でも他人は、パパと同じようには見てくれないんだよ……」


 志帆は傍らにあったティッシュを数枚取って、思い切り鼻をかむ。足りないのか十枚以上使ってから立ち上がった。自室への階段を上がる前に、ぼそりと呟くように私に言う。


「『しほりん』で検索してみたら。私が他人から、どう見られてるかわかるよ」

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