宇宙飛行士

「パパって初体験いくつの時? ちなみに、私はまだだよ!」

「親にそんなこと聞くもんじゃないよ……」


 志帆は性に対して奔放ではなさそうだが、やたらとオープンである。

 よく雅子とも平気でこういう類の話をするし、その度私はいたたまれなくなる。何故「私はまだだよ」という部分がどこか誇らしげなのか。かと言って、何歳でだよというのも父親として聞かされたくはないが。


 志帆はリビングに居た私が答えないとわかると、すぐに飽きて冷蔵庫を漁りに行った。暑いのか珍しく髪を結んでいる。志帆の後ろを雅子が通って、何やら驚いた声を上げた。


「志帆、ちょっと……そのうなじありえないわ。何とかしなさい」

「うなじ? だって自分じゃ見えないし」


 雅子はスマホで志帆の首を後ろから撮り、本人に見せる。

「このうなじにキスしてくれる男の人はいるかな?」

「うっわ、毛生え過ぎわろた……いるわけない!」


 志帆は雅子のスマホを見ながら爆笑している。ガハハハじゃないだろう。いいのかそれで。


 来月、我が社の創立九十周年を記念したパーティーがある。

 取引先を招待するパーティーとは別に日が設定され、従業員やその家族に向けたものだ。昼の開催なので雅子は仕事でパスしたが、志帆は二つ返事で行きたいとのことだった。


 もちろん彼女の目的が食事であることは明らかだが、これは志帆に、出会いの場を持たせるチャンスなのではないか。我が社の人間かその家族なら、父親としても安心できる。

 そうだ、北沢くんなんかどうだろう? 彼のような好青年が娘婿になってくれたなら、私も嬉しいのだが。


 旧い価値観かもしれないが、娘が三十二歳になっても結婚せずにいるのは、やはり心配だ。

 父なら山ほど縁談を持ってきて見合いでもさせたのだろうが、志帆が二十代の頃、私は仕事の忙しさにかまけてそういったことにタッチしなかった。

 そうこうしている間に志帆は三十歳を過ぎ、ニートになってしまった。これは私の責任だ。


 私自身は、結婚は心から好きな相手とするべきだと思っている。志帆が「この人」と決めた青年を連れてきた時、本当に志帆を幸せにしてくれそうな男なら、多少のことには目を瞑るつもりだってあった。(今のところ、志帆が私に紹介してきた男は全て架空のキャラクターであるが)。


 相手を決めてしまうのではなく、出会いの背中を押すくらいならいいだろう。志帆の場合、本人の自主性に任せるのは「バーチャル執事のナオキ」に夢中で難しそうであるし……


「志帆、来月のパーティーのことだけど」

「うん。楽しみだな~何出るかな? 人が多いところは怖いけど、パパの会社のパーティーとか、絶対ご飯美味しそうだし行くよ」

「たまにはパパやママ以外とも話してみたら、いい機会だよ」

「でもさ人の多いとこに行くと『みんなお前のこと嫌ってるよ』とか『笑ってるよ』とかさ、心の中で声が聞こえない? あ、パパは無いか。イケメンだったもんね」

 被害妄想もそこまで来ると、本気で心配になる。


「何度も言うけど、パパは兄さんと違ってイケメンとは言われてなかったよ」

「なんで? 顔同じじゃん」

「なんと言うか……まあそれはいいよ。それより志帆、パーティーでちょっとした出し物とかをやろうって話になったんだけど」


 取引先を招待するパーティーは課長以上が仕切るので、家族向けの方を任された総務の中村くんは張り切っていた。社内で余興なんかを募集していたが、真野副社長以外に手を挙げる人がいない。結婚式じゃあるまいし、上役の前でそういうことをするのは、日本人にはハードルが高かろうとは思っていた。


 中村くんの帰国子女らしい発想は良いと思うが、このまま名乗り出る人がいないと本当に真野さんのオンステージになってしまう。


「みんなシャイでなかなか、参加者が集まらなくてね。志帆はどう?例えば創立記念のお祝いに一曲とか――」

「やる」


 即答。

 会場で人と話すのは怖いのに、大勢の前で歌うのはいいのか。不思議な子だなあ。


「でも歌うなら尚のこと、ちゃんとした服着て行かないとだめだぞ。持ってる?」

「持ってたけど全部入んなくなった」


 志帆は今日も、いや今日に限らずいつでも、鮮やかなターコイズブルーの服を着ている。それも一部ではなく全身。靴下もいつも同色だ。

 よほどこの色が好きなのか、服だけでなく持ち物やベッド、自室の家具やカーテンに至るまで全てがターコイズブルーに統一されている。一人暮らしをしていた間は、なんと髪までこの色だった。


 南国の海のような綺麗な色だが、ファッションのことなどよくわからない私から見ても、全身同じ色というのはやや異質な感じがする。形もだらしないものばかりで、これではドレスコードのある場所には連れて行けない。まずは服装からなんとかしなくては。


「せっかくだからドレスとか買ってあげようか」

「えっ、いいよ。要らない。ならそのお金で新しい液タブが欲しい」

「そんなこと言わないでドレスを買いに行こう。な? 髪の毛も、美容院でやってもらいなさい。女性は結婚式に呼ばれた時とかに行くんだろう?」

「そうなの? 友達いないから、大人になってから結婚式行ったことないや」


 正直な告白を受けて泣きそうになるも、ここでめげてはけない。

 今回ばかりは父親として、やらねばならない気がした。


「……そうか、じゃあ体験してみるといい」

「美容院のセットを? いいよ別に……雑誌でこの髪型が良いって選んだら『顔がちげえよ』みたいにプークスクスされるんでしょ? この髪型はこのモデルが小顔だから似合うのであって、お前じゃオカマだよって心の中では笑いながら『お客様にはこちらの髪型の方が』とか五十代のモデルの写真見せてくるんでしょ。そんなの耐えらんないし。あとドレスとか、今の私じゃ入るサイズがないよ」

 この子はどうして、悪いことにはここまで詳細に想像力が働くのか。しかし私はめげない。


「じゃあ、オーダーメイドなんてどうだ?」

「え、そんなのお金もったいないじゃん。だったら液タブ買ってよ」

「液タブとやらが欲しければ、パパの言うことを聞きなさい」

「わかったよ……でもお店行って、入るの無くても知らないよ」


 服を買ってあげると言われて、こんなに嬉しくなさそうにする女性もいるものなのか。まあ、雅子も「自分のものは自分で買います」という女性だったが……私たちが出逢ったのはバブルの真っただ中で、当時そんな女性は珍しかった。


「雅人さん」

 雅子に後ろから呼びかけられる。雅子は先程からソファーに寝そべっている志帆と、だらりと座っている私の前や後ろを、フローリングワイパーを持って忙しく動き回っていた。

 共働きなので私も家事をするが(一番やらなければならないのは志帆だが、彼女に水仕事以外をさせると後で大変なのは私たちだ)雅子はどうも自分のやり方を崩されるのが嫌なようで、彼女が自主的にやるところには手を出さないようにしている。


 雅子が通った後には僅かに、爽やかなレモンのような香りがする。ヴァーベナというハーブのフレグランスらしい。ヴァーベナは美女桜ともいって、まさに彼女にピッタリな香りだ。


「私今日も勉強会だから、遅くなります」

「ああ、うん。もう行くの?」


 雅子は仕事が休みの日も忙しい。勤務先の産婦人科では不妊治療に漢方を取り入れているそうで、元々自然派の雅子とは相性が良かったようだ。

「生殖医療における中医学を用いた多角的アプローチ」なんていうシンポジウムに精力的に出席したり、医療従事者向けの中医学講座を受けたりもしている。


 医師免許を取るだけでも大変なことなのに、彼女は今も学び続けているのだ。私は大学受験だけで、座学はもう懲り懲りだ。


「ここ綺麗にしたらね。志帆、足どけなさい邪魔」

「うぇーい」


 志帆は寝そべったまま、たくましい両脚を上げる。

 その時テレビから、久々に日本でも宇宙飛行士を募集するというニュースが流れてきた。


 志帆は好きなアニメや映画はパソコンで観ているようで、普段テレビが点いていてもあまり興味を示さないが、何故か飛び起きて近付いていく。

 テレビはソファーから離れた位置に置いているので、かなり横幅があるはずだが、志帆が近付くと三分の一くらいが塞がって見えない。


「宇宙飛行士……超かっこいい……」


 食い入るように見ている割に、小学生の男の子みたいな感想だ。


「ニートから宇宙飛行士、ワンチャンないかなあ」

 それはちょっと難しいんじゃないかな。


「志帆は宇宙とか行きたい? パパはちょっといいかな、怖いし」

「宇宙行ってみたいのもあるけど、宇宙飛行士になればパパとママの自慢の娘になれたじゃん」

「そんな悲しいこと言うなよ……」

「なんで? 宇宙飛行士の娘なら誰にでも自慢できるよ。パパも他のお父さんに娘マウントとれるよ? というか宇宙飛行士とか、一家に一人出たら末代まで語り継がれるじゃん」

「それはそうかもしれないけど、他のお父さんにマウントをとりたいとは思わないかなぁ」


 志帆と私が下らない話をしている間に、掃除を終えたらしい雅子が顔を出す。

「じゃあそろそろ行くね」

「ねえママも、こんなニートの娘なんかより宇宙飛行士の娘が良かったよね?」

「宇宙飛行士? 別に何とも思わないけど」


 雅子は本当に興味が無さそうに答える。志帆は「え~」と不満げな反応だが、流石はあらゆるものに興味関心が薄い雅子だ。世間一般で「すごい」とされるものほど、彼女にとっては興味の対象から外れていくのである。


「私は志帆がニートでも、宇宙飛行士でもどっちでもいいわ。健康でいてくれればそれでいい」


 テレビの方に向いたまま、背を向けていた志帆が振り返った。


「ただ、膝やられるからもうちょっと痩せなさいね」


 志帆は少し涙ぐんでいる。妻には勝てないと思った。

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