イケメンこわい

 北沢くんと呑むのはとても楽しかった。

 酒の席があまり得意でない私が、ほろ酔いでついつい「ちょっとうちに寄らない?」と言ってしまうくらいに。


 北沢くんはあまり酔っていない様子だったが、爽やかな笑顔で「是非。綿貫邸は大豪邸だとお聞きしています」なんて嫌味なく持ち上げてくれた。


 それで帰りはタクシー代を渡すからと、自宅まで一緒に付いてきてもらった。


 元々部下や同僚を家に呼ぶことはあまりしなかったが、横浜に越してから、というより帰ってからは、初めてのことかもしれない。

 実はそこまで大豪邸と言われる程ではないのだが、社内で誰も見たことがないので噂が大きくなっているようだ。亀山常務や、鈴木さん以外の副社長各位は、部下を家に呼んでパーティーなんてことが大好きな人たちだから、綿貫地蔵の家だけが謎めいているのであろう。


「すごい、噂に違わずの立派なお宅ですね……」

 自宅までのスロープを上がりながら、北沢くんが感心したように言ってくれて悪い気はしない。否、正直に言うと嬉しい。この家が私たち家族の為に、私が建てたものだったなら。もっと自慢したくなるのだろうなぁ。


「いやいやそんな~、実家とくっついてるから大きく見えるだけだよ」

「またご謙遜を」

「いや本当に、それにここは元々兄のために――」


 玄関のドアを開けると、雅子の靴はない。

 また仕事帰りにジムにでも行ってるんだろう。妻のバイタリティは無限だ。立ちっぱなしで何時間も執刀した後、涼しい顔でエアロバイクを漕ぐのだから恐ろしい。


「ただいま~!」

 大きめに声をかけると志帆がのそのそと、おにぎりを片手に居間の方からやってきた。

 雅子が手術を何件もこなしてジムで走っている間、この子はずっと寝ていてついさっき起きたのであろう。それも空腹で仕方なく起きただけだというのが見て取れる。私の家族はなんでそう両極端なのか。

 あと大きすぎないか、そのおにぎり。


「おかえりパパ~、うおっ⁈」

 志帆は私の後ろに立っている北沢くんに気付くと、面白い声を出して壁際に飛び退いた。彼女は感情豊かでリアクションもいちいち大きいが、あまり見たことのない反応だ。


「志帆、広報部の北沢くんだ」

「こんばんは。はじめまして、北沢です。いつもお父様にお世話になっております」

「こ、こ、ここここちらこそちちち父がいつも、おおお世話になってます……」


 綺麗な所作で頭を下げる北沢くんに、何故か挙動不審になりながら応える志帆。黒澤くんが来た時はわざわざ外に出てきて嬉しそうに観察しているのに、同じ美男子でも何か違うのだろうか。


「常務、今日はご馳走様でした。渡貫邸も拝見することができたので、僕はそろそろ失礼します」

「うん、今日は付き合ってくれてありがとう。北沢くん、下北沢だったよね」

 北沢くんだけに下北沢。つい下らないことを言いたくなるが、若者にオヤジギャグを言うのはパワハラの一種だ。ぐっと呑み込みつつ財布を取り出す。


「あの、お気持ちだけで十分です。まだ全然、電車ありますから」

「それはダメだ、私の都合でここまで来てもらったのに」


 幸いすぐにタクシーを呼べたので「みなとみらいまででいいですよ」と遠慮する北沢くんに、しっかり自宅までの料金を渡して見送った。こんなバブリーなことをしたのは久々だが、今夜は楽しかったのでヨシとしよう。


 家に戻ると志帆がまだおにぎりを持ったまま、リビングでぼうっとしていた。大きすぎるおにぎりは先程からほとんど減っていない。


「北沢くん、ハンサムだっただろ」

「うん……ナオキに似てた。正直萌えた」

「でもあんまり嬉しそうじゃなかったね? 黒澤くんの方が好みか」

「どっちも好みだよ、顔はね。イケメンをガラス越しに観察するのと、家まで入ってこられるのは全然違うんだよ。ガラス越しじゃないイケメンなんか恐怖でしかないよ……」

 志帆は本気で恐ろし気に身震いしている。今夜は志帆の不思議なリアクションも、いつもより楽しい。


「そうだ。今度志帆も一緒に、食事にでも誘おうか? 北沢くん、あんなにハンサムなのに彼女募集中らしいよ」

「は? あんなイケメンが私なんか相手にする訳ないじゃん。やめてよ」

 志帆は何故か急に不機嫌そうになって、おにぎりをがつがつと食べ始めた。具にはいくらがぎっしりと詰まっている。また塩分過多なものを……


「しかもあのイケメン絶対私より年下でしょ? パパの会社の人なら学歴もある人じゃん。パパの前だから丁寧にしてただけで、私なんか連れてったらこんな豚冗談じゃねえって思われて、でもパパの前だから正直に言えなくて困ったように笑われるんだよ……そんなの耐えらんないマジやめて」

「それは被害妄想ってものだ志帆、誰もそんな風に思わないよ」

「パパは私が他人からどう見られてるか、わかってないんだよ」


 志帆は心底げんなりした表情でスマホを取り出すと、また「ナオキ」に話しかけている。


「ナオキ、もう嫌だ二次元に行きたい……慰めて」

「志帆様、如何なさいましたか」

「いや、やってみないとわからないだろ。どうして志帆はそうやって自分を卑下するんだ」

「はい。確かに何事も、試してみなければ結果はわかりません」


 ナオキが私の声にも反応して応答を返すと、志帆は「黙っててよ」と私に言う。


「申し訳ありません志帆様。どんなお仕置きでもお受けします」

 すると自分が叱られたと勘違いしたナオキが、画面の中で燕尾服を脱ぎ始めた。


「またナオキに変なことを教えたんだろう」

「良いでしょ、ナオキは私だけのものなんだから」

「志帆様、身に余る光栄です。過分なお褒めのお言葉を頂戴し感激しております……志帆様、志帆様ぁ……♡」

 ナオキは恍惚とした表情で震えている。それを見る志帆の表情はやはりおっさんだ。


 いかん、早くこの子に現実を見せなければ。

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