第5話 白骨死体
迫田刑事が、何度目になるのか、例の、
「老夫婦強盗殺人事件」
という未解決事件を気にしていた時のことだった。
県警本部から、
「白骨死体発見」
という通報が入ってきて、ちょうど、K警察署管轄だったこともあって、鑑識とともに、発見現場に向かった。
そこは、元々小学校があったところで、近くに大きなショッピングセンターができ、そこに大きな小学校ができるということで、いわゆる、
「合併」
ということになったのだ。
近くの3つくらいの学校が廃校になり、今度できるマンモス小学校に吸収されることになった。
実際に、
「少子高齢化」
ということもあって、小学生になる数を考えると、
「一つくらい、廃校にしないと」
という話は実際にあったのだ。
そんなところに持ってきて、
「大型ショッピングセンターができる」
という話が巻き起こった。
そこには、
「市役所、消防署、警察署、学校」
などというものを併設する。
ということだったのだ。
それを聞いた市の教育委員会が、
「だったら、その小学校を大きくしてもらって、三つの過疎化が予想される学校を一つにすればいいのではないか?」
ということになったのだ。
実際に、試算してみると、
「一学年、250人くらい」
という、そんなにマンモスでもない学校ができるということで、それぞれの学校は廃校という風に決まったのは、今から5年前くらいであった。
その跡地をどうするか?
ということは、正直決まっていなかったが、そのうちの一つの学校から、歴史的な史跡が出てきたということであった。
というのも、
「南北朝時代から、戦国時代にかけての間、交通の要衝として栄えた近くの町の支城が形成されていて、歴史書に書かれていた、
「古戦場」
というものを証明する貴重な発見だということになったのだ。
だから、ここは市の環境課が文化財として、まずは接収し、近くの大学の発掘チームの人たちに、発掘を任せるということになったのだ。
ただ、この遺跡は、想像以上に重要文化財としても重要で、
「下手をすると、歴史の通説をひっくり返すくらいの大発見があるかも知れない」
と言われるようになったのだった。
「そんなに、すごい発見なんですか?」
と言われ、
「ええ、歴史を知らない人であっても、本能寺の変であったり、坂本龍馬暗殺事件というのが、歴史のミステリーと言われているのは、大体知っていると思うのですが、ただ、歴史を知っている人の間でも、学校では習わないような、歴史のミステリーがあるというもので、その数は果てしないと思うんですよ。ここの発掘はその一つであって、歴史ファンには、大注目のことなんですよ」
ということであった。
これは、地元民放のインタビューに答えた、地元国立大学の歴史教授の話であったが、
「中世のこの時代の発見は、考古学と違って、武将個人のことがある程度分かっている今であるから、ちょっとした発見であっても、通説をひっくり返すだけの発見ということに繋がるんです」
ということであった。
そんな状態において、見つかった遺跡を調べていた大学教授は、次第に興奮するようになって、
「大学の仕事よりも、発掘の方に集中し始めた」
ということであった。
だが、大学の方としても、すでに、
「名誉教授」
といってもいいくらいの実績があるので、大学の方でも、
「ええ、教授が好きなようにしてください。我々も、できる限り応援させていただきます」
ということであった。
そもそも、
「この教授がいる」
というだけで、大学の日本史科では、応募学生が多いのだ。
正直、それだけでも大学に貢献している。
さらに、この教授は、いろいろなテレビにも引っ張りだこで、歴史に造詣の深い人で、
「この教授を知らなければモグリだ」
と言われるほどであった。
そもそも、これだけの大きなショッピングセンターを作るだけの土地があるわけだから、「掘っているうちに、何か出てきても、別に驚かない」
といってもいいだろう。
特に城址というのは、ちょっとでも掘れば出てくるというもので、
「何しろ、昔の城の数というもので、一番多かった時期というのは、全国で、三万はあったと言われている」
ということであった。
その数は、コンビニの数よりも、数倍多いという。
何社のしのぎを削っているコンビニのその数よりもかなりあるというのだから、相当なものだろう。
一つの小学校では、完全に発掘場所として、今では、県の指定の発掘場所ということになっている。
教授の話では、
「もし、文献にあるようなことが事実であれば、この発掘で、国宝級のものが出てくるかも知れない」
と言っている。
これが、普通の大学教授であれば、あまり気になることではないが、言っているのが、第一人者の教授ということで、その注目度は大きかったのだ。
そんな小学校が3つのうちの一つにあったわけなので、他の小学校も、
「もしかして」
ということで、まずは、この発掘を先行させて、
「他の二つは、様子見で掘り起こしていこう」
という風に決まったようだ。
「下手に重機などを使って、せっかくの遺跡を壊すようなことをしてはいけない」
というのが、教授の意見であった。
だから、しばらくは、何もしなかった小学校の解体であったが、
「向こうも一段落ついたので、こっちの小学校に取り掛かろう」
ということで、2番目に指定されたところが、発掘対象になったのだった。
発掘における、
「何か遺構がある」
するならば、大体このあたりということが、教授くらいになると分かるようで、そのあたりを探ってみる限り、
「何も発見されない」
ということであった。
「それじゃあ、念には念を入れて、注意して作業に入ってくださいね」
という釘を刺しておいて、この小学校は、解体作業に入ったのだ。
しかし、
「歴史的な大発見はなかった」
が、
「センシティブで衝撃的なものが見つかった」
ということだったのだ。
それが、今回の、
「白骨発見」
という通報だったのだ。
桜井刑事を始め、迫田刑事も一緒に、鑑識を連れて発見現場にやってきた。
さすがに白骨死体ということで、殺害現場の生々しさはなかったが、さすがに、現場作業員は、相当ビックリしたことだろう。
「一体どうしたんだ?」
と現場監督が発見者の近くに近寄ると、ブルブルと震えているではないか。
少なくとも、作業員というと、
「少々のことでは驚かない。それこそ、死体を発見したりしたら驚くだろうけど」
ということだったが、まさか、それが死体というか、白骨だということであれば、頭の中が混乱するというのも分からなくもない。
「白骨死体を発見するなど、人生のうちであるかないかではないか?」
ということであり、きっと、腰を抜かす寸前だったことは想像がつく。
しかし、これが生々しい、例えば、ナイフが突き刺さっているような死体であれば、
「気を失っていてもおかしくない」
と言えるかも知れないが、それは、想定外ということであるならば、
「生々しい死体であっても、白骨であっても、レベルとしては、最高レベルをぶち抜けているわけなので、ほとんど変わらない」
といってもいいのではないだろうか?
そんなことを考えていると、白骨が出てきた時の緊張は、かなりのものだっただろう。
「皆で一緒に発見したのだから、衝撃は人数分で割ることになるので、そんなにはないだろう」
と思うかも知れないが、そんな単純なものではない。
実際に発見した皆が、腰を抜かしていたようで、ある意味、
「皆で発見した方が衝撃が大きい」
といってもいいだろう。
なぜなら、
「感じる衝撃に対しても、人に気を遣っている」
と言えるからなのかも知れない。
彼らのような、現場の人間というと、おおざっぱな性格だと思われるかも知れないが、
確かに、
「自分の世界を持っている」
ということでは、ありなのだろうが、
「寂しさや孤独」
というものを兼ね備えているという意味では、ある意味繊細なのかも知れない。
「寂しさや孤独」
というものに対しての意識が他の人とは違っていて、その感覚を、いかに自分で納得できるかということではないだろうか?
だから、人には人一倍気を遣うのだ。
「自分がこういうことをされると嫌だ」
ということを、普通の人は、普通に考えるのが当たり前だと思っているが、それも、最終的には、
「自分が一番だと思い、自分ファーストという考えに至るのが一般人であろう」
しかし、
「彼らは、その繊細な意識で、最後にも、相手のことを考えている」
という発想があるのであった。
なぜなら、
「繊細な意識が、相手のことを考えることで、自分のことを顧みることができる」
ということを認識しているので、自然と、相手のことを考えることができるからなのであろう。
今回のように、まわりも一緒に驚いている時は、
「皆、同じレベルでの驚き」
をいう感覚になるのだ。
一人でも、ショックが大きかったりすると、その人が今度は目立ってしまい、下手をすると、
「仲間内からはみ出してしまう」
ということになりかねないといえるのではないだろうか?
とにかく、普段は、豪傑そうに見える人であっても、話をしてみたりすると、実際に、
「繊細であり、まわりに必要以上に気を遣っている人たちだ」
と言えるのではないだろうか。
だから、今回は、皆で、助け合うようにして、
「警察に連絡」
ということになったので、混乱などはまったく起こることはなかった。
一人一人のショックなことは分からなくもないが、警察への連絡であったり、親請けの会社に連絡を取るなど、現場監督がてきぱきとできたのは、
「ショックの割には、皆がしっかりしていたからだ」
と言えるのではないだろうか?
白骨死体発見の情報が、110番に寄せられ、まず考えるのは、
「何かの事件だろうか?」
ということであった。
白骨死体というと、その正体は、相当幅が広いといってもいいだろう。
それこそ、歴史上の人物の骨だって、ちゃんと残っている場合もあるわけなので、まだ見てはいないが、その白骨の完成度が、どの程度かということで、その想像もできるということであろう。
実際に行ってみると、きれいな頭蓋骨であった。いわゆる、
「しゃれこうべ」
と言われるもので、その付近を掘っていると、どの部分かはハッキリとはしない骨がいくつも出土していた。
「警察です」
といって、敬礼しながら現場に行くと、作業員は、一様に心細そうな顔をしていた。
「ご苦労様です」
と代表していう人がいたので、
「この人が現場監督なんだろうな?」
と感じた。
なるほど、まわりを監督するにふさわしい顔つきをしている。
「やはり、警察であろうがなかろうが、中心に立つ人というのは、それなりの貫禄を持った人でなければ、できないということか?」
と感じたのであった。
鑑識の人もつれてきているので、それなりの人数が固まっていることになるのであったが、警察としては、まず発見した時のことを聞いておく必要があったのだ。
この街のショッピングセンター開発のあたりからの説明が行われ、
「マンモス小学校建設と、廃校になる3つの小学校」
という話がまず最初にあった。
警察関係の人で、半分くらいの人は、分かっているようであり、
「なるほど、分かりました」
と、事情は最初から分かっていたという桜井刑事が、この場を仕切るというのは、ある意味当たり前のことだったようだ。
「じゃあ、2番目として、ここを解体しようとしているところで白骨が見つかったというわけですね?」
ということであった。
「そうなんですよ、でも、ここは最初に、大学の、偉い先生が、発掘作業ができるかどうかということで、見ていたところではあったはずなんですけどね」
というのであった。
このことは、迫田刑事と、桜井刑事の二人には、
「気になることとして意識される」
ということであったが、他の人たちは、あまり意識して聴いていたわけではないようだった。
まず、桜井刑事から、
「いつから、ここで作業を始めたんですか?」
と聞かれた監督さんは、
「3日前くらいですね」
というと、今度は迫田刑事が追い打ちをかけるようにして、
「じゃあ、大学の先生たちの下調べが終わったのは?」
と聞いたので、
「そうですね、我々は詳しいことは知りませんけど、たぶん、二週間くらい前だったあと思います」
という。
「じゃあ、その間というのは、ここは?」
と言われて、
「一応、立ち入り禁止区域とはしておいて、誰も入った人はいないはずだと思います。一応、引き渡しを受ける前までは、研究チームというか、県の方での公共施設扱いのようになっているので、我々も、許可が出なければ何もできません。立ち入りすら禁止ですからね」
ということであった。
「じゃあ、ここには、誰か入ってこようと思えば入れたわけですかね?」
という桜井刑事が聴いたが、この質問は、迫田刑事も聞きたい話だったのだ。
「ええ、ここでは、本来なら防犯カメラのようなものがいるのでしょうが、今のところ、遺跡が発見されたということでもなかったので、そんなものはつけていませんので、入ろうと思えば入れたはずですよ」
と、現場監督の人はいうのだった。
それを聴いて、
「なるほど、それはそうかも知れませんね」
と桜井刑事が言ったのを聴いて、監督はキョトンとしていることから、桜井刑事が何を言いたかったのかということを分かっていないようだ。
それは、他の人も同じで、実際警察関係者でも、ピンと来ていない人もいるようだった。
しかし、迫田刑事には桜井刑事が気にしていることが分かった。
要するに、
「今回発見された白骨が、実は他にあったものをこちらに移動させたのではないか?」
ということであろう。
しかし、この発想はあまりにも突飛な発想でもあるだろう。
というのも、
「桜井刑事だから思いついたようなもので、他の人には、想像もつかないことであろう」
ということであった。
なぜなら、この小学校が、取り壊されるのは分かっていることであって、ここに隠したとすれば、すぐに発見されるのは当然だといえるだろう。
それは、
「犯人が、白骨死体を隠したかった」
と思い込むから、そういう発想になるのであって、
「最初から隠す気持ちなどなく、むしろ、早く、あるいは、ちょうどのタイミングで発見させようと思うと、その場所が、この小学校だった」
ということであるとすれば、理屈に合うことである。
要するに、
「入らなければ出られない」
という言葉のミステリー小説のキーワードがあった。
というのは、あの話は、
「バラバラ殺人」
というのが、殺され方だったのだが、
「よほど恨みを買っているから、そんなことになったのだろう?」
と言われていたが、実はそうではなく、計算されたことであった。
というのは、
「バラバラ殺人で、胴体だけが消えていた」
というものだったのだが、アリバイトリックと、密室トリックが噛んでいたのだが、この場合の話は、
「実は、犯行は別の場所で行われていて、身体を切断することで、胴体を持っていったと思わせ、そこで、アリバイと密室のトリックと作ったのだが、実際には、他の場所で殺して、胴体以外を持っていったということであった。つまり、胴体以外は、密室でも入れることができるというもので、胴体を中から出すことが不可能だと思われたので、密室だったのだ」
さらに。
「密室トリックとして使われた機械トリックでは、水道を流し続けることによる水圧を利用したものであったが、それ以外に、水を流すということに、大きな意味があったのだ。というのが、他で殺したのであれば、血液が少なすぎるということが分かってしまう、だから水を流すことで、犯行現場をこの浴槽にしておくということに成功するのだということだった」
要するに、一つの見方を変えるだけで、いくつもの、犯人が行いたいトリックをすべて見抜くことができる。
つまり、
「見る方向さえ変えれば、事件を解決することは、それほど難しいことではない」
ということである。
それだけ、
「人間の頭というのは、一つのことを思ってしまうと、なかなかそこから離すことは、難しいということであろう」
と言えるのではないだろうか?
だから、
「事件というのは、なかなか一足飛びに解決するものでない」
と言えるし、犯罪者側から見て、
「完全犯罪などというのは、起こりっこない」
というものである。
事件というのは、
「犯人が考えたものであり、それは、いろいろなパーツを組み重ねることで、警察の捜査を煙に巻く」
というものである。
だから、解決に導こうとする、クイズ番組であれば、回答者側である警察というのは、
「まず、その内容をすべて、理解することから始めようとする。つまりは全体から少しずつ、目線を狭めて行って、取捨選択することで、まるで、森の中にある木を見つけようとするのであないだろうか?」
と考える。
つまりは、減算法の考え方なのである。
目の前にあるものを一つ一つ不要なものを省いていくことで。真相に辿り着く。百から、どんどん減らしていくことで、正解を見つける。それこそ、ウソを隠す時の話に出てくる、
「木を隠すには森の中」
という言葉の、
「森の中から、いかに木を見つけるか?」
ということをしないといけないわけである。
「犯罪を完成させる犯人側のやり方の逆を行くことで、真相に辿り着かなければ、事件は解決しない」
ということであれば、
「事件を解決させるためには、警察側が事件解決のために用意することとして、百となる事実を見つけ出すことである」
と言えるだろう。
そういう意味では、その時点で、
「警察側が圧倒的に不利だといえるだろう」
ということである。
犯罪者側というのは、自分の何かの目的達成のために、犯罪を犯す。
もちろん、犯罪など犯したくないにも関わらず、何らかの理由で、犯さなければならないわけで、
「借金が溜まって、変なところから借りたために、首が回らなくなった」
であったり、
「自分の大切な人が、理不尽な形で、命を奪われたことによって、自分の人生も狂ってしまったということによる復讐」
などと言った、本当に、
「やむを得ない」
という場合がそうであろう。
中には昔の探偵小説に出てきたような、
「猟奇犯罪」
に憧れている人、さらには、美というものを追求することで、犯罪を美に結び付けてしまうという、
「耽美主義的な犯罪」
などというのもあるかも知れないが、普通ではありえない。
だから、犯人は、
「絶対に捕まりたくない」
という考えから、
「完全犯罪」
というものを目指すのである。
だが、
「完全犯罪なんて起こりっこない」
と言われるではないか。
どんなに計画された犯罪であっても、必ず解決されてしまう。もっとも、小説のように、
「解決」
ということが、絶対的命題である以上、完全犯罪が起こってしまうと、その時点で、違うジャンルの小説にならないといけないのではないか?
と思えるのだった。
それが、
「探偵小説の限界」
というものではないだろうか?
犯罪を考えるというのは、犯罪者側が、
「加算法」
であり、すべてが、
「ゼロから始まる」
ということがまず、大前提となる。
しかし、犯罪というのは、今までにもたくさんあり、探偵小説などで、いろいろパターンが出てきて、
「もう、すでに、パターンは出尽くしていて、これからは、バリエーションの時代だ」
ということは、日本における、
「探偵小説黎明期」
と言われた、戦前から言われていたことであった。
それだけに、どうしても犯罪を計画する人は、その、
「出尽くした」
と言われるものから、組み立てようとするのだろう。
確かに、完全犯罪のようなものもできるかも知れない。しかし、探偵小説の中でも、逆に、
「完全犯罪などというのは、起こりえない」
ということから出発している話だってあるではないか。
たとえば、密室殺人(実際には自殺だったのだが)を考えた時、
「雪の上に足跡を残さずに、凶器を表に出す」
ということを、機械トリックで証明した作品があったのだが、
「密室を作りにくいと言われた日本家屋においての、密室」
ということで、話題を巻き起こしたのだが、実際はそこが焦点ではなかったのだ。
「機械トリックというのは、ある意味で、小手先のトリックだ」
といっている作家がいたが、まさにそうであろう。
その小説の一番の問題というのは、
「密室になってしまった」
ということだったのだ。
探偵小説なのでは、
「密室トリックの謎を解く」
というのが、テーマだというのだろうが、もし、これがリアルな殺人事件であれば、犯人側からすれば、
「密室トリックを完成させる」
ということが、目的ではない。
犯人側からすれば、
「自分が犯人だと分からないようにする」
ということが目的であり、それを、
「完全犯罪」
と呼ぶのである。
つまり、犯人の目的は、
「完全犯罪を成功させること」
なのだ。
だから、確かに密室の謎で捜査を混乱させることはできるだろうが、本来であれば、密室にするよりも、
「犯人が他にいて、その人に殺されたかのように偽装する方が、よほど犯人が考えることであろう」
と言えるのではないだろうか。
だから、この場合の密室が、
「予期せぬ密室だった」
ということが、この事件の本当の醍醐味だったということだ。
つまり、
「天候などによって、完全犯罪をもくろんでいても、それがうまくいかなくなり、仕方なく、この事件のような密室が出来上がったことで、逆の意味で、捜査が混乱するということになったのだ」
という。
それが、
「完全犯罪」
の難しさであり、不可能ならしめるゆえんではないだろうか?
つまり、いろいろ犯罪に策を弄するということは、必ず、今まで発見されたいくつかのトリックのパターンに抵触しているということになるのではないだろうか?
「密室トリック」
「アリバイトリック」
「死体損壊トリック」
「一人二役トリック」
など、いろいろあるが、その中でも、いくつかの法則があったりする。
もちろん、それはあ探偵小説の中でのお話になるのだが、
「最初から分かってしまっては立ち行かないトリック」
あるいは、
「最初からそのトリックだということを、示さないと始まらないトリック」
という二つのパターンである。
そちらにしても、必ず、そのどれかに当て嵌まるというものだ。
しかも、今の時代は昔と違い、
「完全犯罪などありえない」
というほどになってきている。
なぜならば、
「それだけ科学が発展してきて、かなり前から科学捜査によって、いくつかの犯罪が不可能と言われるようになってきた」
ともいえるからであった。
何といっても、DNA鑑定ができるようになってから、死体損壊トリックなどが、難しくなってきているだろう。
いわゆる、
「顔のない死体のトリック」
と言われるもので、探偵小説などでは、
「首なし死体」
「バラバラ死体」
などと言われるもので、顔や、指紋がなく、身体の特徴のある部分を傷つけることで、
「死体が誰か分からない」
という状態にするというものであった。
この場合の公式として、一般的に言われているのが、
「被害者と加害者が入れ替わる」
というものであった。
つまり、被害者だと思われている人が実は加害者であれば、
「自分は死んだことになっているので、誰かに発見されさえしなければ、捕まることはない」
ということであった。
もちろん、昔は時効は15年ということだったので、その15年、捕まらなければ時効が成立するので、そこで自分に戻ってもいいということである。
ただ、15年というのは、相当の長さであり、その間捕まらないようにするというのはかなり無理があるだろう。そういう意味でも、あまり実際には難しく、
「探偵小説の中だけのこと」
と言われるのではないだろうか。
しかも、今の時代では、
「DNA鑑定」
なるものがあるおかげで、
「いくら死体を損壊させたところで、身体の皮膚の一部からでも、被害者を特定することができる」
ということで、犯人が意図したような、
「誰が被害者なのか分からない」
ということはないであろう。
また、今の時代では、なかなか犯罪トリックとして難しくなってきたものとして、
「アリバイトリック」
というものがあるのではないだろうか?
昔であれば、時刻表を使った、
「トラベルミステリー」
などというものもあったが、今の時代はそれ以前に、
「街全体の至るところに、防犯カメラが設置してある」
ということで、いくらアリバイ工作をしようとも、犯行現場であったり、アリバイ工作をした場所に、自分が写っていないなどということが発覚すれば、いくら、アリバイ工作をしようとも難しいであろう。
今の時代は、いろいろな犯罪防止の観点はもちろんのこと、ネットの普及などもあり、個人の位置情報から、ライブカメラなどによる、
「サービス」
という観点からも、ライブカメラが乱立している。
それだけではなく、最近問題になっている。
「あおり運転」
あるいは、
「キレたドライバー」
「タクシーなどによる、キレた客」
というものが増えたことで、車の中に、ドライブレコーダーをほとんど皆が設置している。
防犯カメラだけを意識しても、偶然近くの車に設置してあるドライブレコーダーに映っていないとも限らない。走っている車も、停車している車にも言えることなので、そのすべてを犯行時、まったく遮断するということは、実質的に不可能だといってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、最近の犯罪は、昔からいわれている、
「犯罪のパターン」
を不可能ならしめるものがたくさん出てきているということである。
だから、
「ますます完全犯罪などありえない」
と言われるようになったのだ。
前述の密室トリックにしてもそうなのだが、
「策を弄すれば弄するほど、トリックとしては、事件を混乱させることはできるだろうが、あくまでも、それは探偵小説の世界においてだけのことで、実際の犯罪としての、完全犯罪というものを精巧ならしめることは、不可能だと分かってくるのだろう」
ということになるのだった。
「探偵小説で謎解きされるくらいなのだから、実際の事件ともなると、生身の人間が、考えることなので、プレッシャーもあれば、感情も出てくるというものだ。そんな状態において、考えれば考えるほど、ボロが出てくるというものであり、加算法であるはずなのに、いつの間にか減算法になってしまうことで、完全犯罪が不可能となる、完全という言葉は読んで字のごとしで、100%以外は、0でしかないのだ」
と言えるのだった。
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