第4話 暗躍
怪情報を元に捜査をしたが、やはり何も出てくることはなかったわけだが、そのわりに、何か釈然としないこともあった。
一番大きな感覚は、
「なぜ、情報がこの時に出てきたのだろう?」
ということであった。
指名手配的なものは、前から行っていた。そもそも、その結果が出ない限り、捜査の打ち切りなどできるはずもなく、指名手配をしてから、しばらくの間、事件に対して動ける人間を一定数確保しておかなければ、指名手配をした根拠もないということだ。
それを分かっているから、捜査員も、
「お宮入りが近づいたから、公開捜査に踏み切ったんだろうか?」
ということであった。
元々、
「容疑者は海外逃亡した」
と言われていて、実際に、得られる情報もなく、
「警察の捜査力にも限界がある」
ということになったにも関わらず、何もせずにお宮入りは、ここまで捜査してきて完全に犯人に対しての敗北だったからである。
だから、警察としては、
「最後の手段」
ということで、公開捜査を行い、指名手配をすることで、何か一つでも、情報を得られればという、苦肉の策だったということであった。
そんな中、やっと出てきた唯一の情報だったのだ。
指名手配に踏み切った捜査本部では、
「踏み切った甲斐があった」
と思ったのだろうが、捜査員たちは、果たして、そう思ったのだろうか?
どちらかというと、
「今まで何も情報がなかったのだから、容疑者は海外にいて、我々警察には手出しができないんだ」
ということで、憤りを感じる事件であるが、
「それが現実だ」
と自分たちがそれぞれ、思い切ることで、憤った気持ちをいかに発散させるかということの方が大変だったことだろう。
そういう意味でも、最初に方は、この凶悪事件を、
「何とか解決に導きたい」
といって、士気も盛んだったのだろうが、次第に事件の情報も得られず、容疑者は、海外にいるということが分かってくると、
「日本の警察では手出しができない」
ということで。何もできない自分たちがどうしようもないことに気づかされるのであった。
だから、すでに今は、捜査本部と、実際の捜査員との間での確執は、結構なものだったのではないだろうか?
そういう意味で、
「お宮入りになる」
と言った時、正直、捜査員のほとんどは、ホッとしていたのではないだろうか。
ただ、警察の面目や、検挙率を気にしている人たちにとって、捜査の打ち切りは、
「無念」
以外の何物でもなかったに違いない。
警察力の、自ずとその限界を、捜査本部の幹部が一番よく分かっているはずなのだが、それでも、できる限りのことをやって、それでも、味わうのが、その限界だということを分かっているだけに、実につらかったことだろう。
だだ、ここでの、
「最初で最後の情報」
といってもいいタレコミに、一縷の望みを賭けたというのも、無理もないことだったであろう。
「一縷の望み」
で何とか、一矢を報いたいと思っている捜査本部。
そして、
「どうせガセネタに違いない」
と思い、最初から情報を信じていない、士気もまったくといっていいほど感じられない捜査員との間の温度差は相当なものだったことだろう。
小学校の頃の学芸会などを思い出す。
一年に一度、父兄を招いて、生徒の練習の成果を見せるというような、演奏会のようなものがあった。
どこの小学校でもあったことだろうが、クラスごとに課題曲があり、皆それぞれ全員が何かのパートを担当し、一大オーケストラを形成しているのである。
もちろん、日ごろからピアノなどを習っていて、その実力は、
「お墨付き」
という人もいるだろう。
しかし、ほとんどの生徒は、授業だからということで、
「好きでもないのにやらされている」
というのが、音楽の授業の実態ではないだろうか?
当然、音楽会というものへの取り組み方は、本当に人それぞれで、温度差も高いだろう。
少なくとも、
「イヤイヤやらされている」
と思っている人間は、
「よし、いっちょうやってやるか」
などと考えている人はいないだろう。
ただ、中には、普段から引っ込み思案の人は、こういう機会でもないと、自分が目立てないと考えていれば、少しは気概もあるということだろう。
だが、そういう人が自分から感情を表に出すことはないだろうから、その気持ちを分かる人もいない。
目立たない人は、どうやっても、目立たないのだ。それは、自分から、表に出ようという考えを持っていないからに相違ない。
では、
「日ごろから習いものなどをしている生徒であろうか?」
ということになるが、意外とそういう連中も覚めていたりする。
というのも、日ごろの成果は、ちゃんとしたコンクールのようなものがあり、そこで、専門家の先生が評価するという、緊張の場面で、しかも、
「一世一代の舞台」
というものを目指している子供にとって、学校での音楽会などというのは、
「おままごと」
の世界のように思うことだろう。
では、
「音楽会というところで、自分の力を見せつけようと、意気揚々としている人はいないことになるではないか?」
と思えるのだが、実はそうでもない。
習い事はしているは、コンクールに選抜されること上手ではなく、習い事にいってはいるが、その結果は。
「散々なもので、本当は習い事を辞めてしまいたい」
と思うようになっているのだろう。
それを考えると、一応中途半端とはいえ、まわりの素人連中に比べれば、上手な自分が目立てるとすれば、
「この時をおいてはないだろう」
と考えたのだ。
まわりが皆白けているのが分かっているだけに、
「目立つチャンスだ」
ということで、それまでになかった、
「前に出る」
という性格が表に出てくるのであった。
これには、さすがに先生も、他の生ともビックリである。
先生としても、
「やる気がいる子がいてくれるだけでも、盛り上がりは全然違う」
ということで、その生徒を中心にしようと思う。
そして、他の生徒からしても、
「俺たちは目立たず端の方にいればいい」
と思っていただけに、目立ちたがりがいることは、ありがたかったのだ。
そういう意味で、
「その士気の高さには、
「天と地ほどの差がある」
ということであったが、形は、最後に何とかなるというのは、少しでもやる気のある生徒がいたからに違いない。
しかし、ほとんどの生徒が白けているのは、間違いのないことで、いくら、士気が強い子がいて、うまく成功させてくれたことは有難いというべきであろうが、それだけに、余計にやる気のない人間にとっては、
「時間のムダ」
でしかないのだ。
しかも、
「やりたくもない人間を動員して、いくらやる気のある生徒数名を前面に出したとしても、あれだけのやる気のない生徒のマイナスオーラが出ているのであれば、まったく絵にもならない」
というのが、現状であろう。
それは皆にも分かっていることであって、
「だったら、何でこんなバカバカしいことをしなければいけないだ?」
ということである。
「やりたいやつだけでやればいいんだ」
とも思うが、よくよく考えると、
「やりたい人間だけの有志を募る」
ということにしてしまうと、まったく人が集まることはないだろう。
なぜかというと、
「目立ちたいと思っている連中は、そもそも、輪の中に入れないから、普段は表に出られないのだ。だから、そんな連中だけでオーケストラを組むなどということは、最初からできるはずもないことだ」
と言えるのではないか。
もう一つは。
「他のやる気が出ない人がいるから、自分たちが目立つ」
と思っているのだ。
「上手な人が引っ張っていってくれなければ」
そして、
「へたくそな連中がいることで、自分たちが目立つことができる」
ということであった。
だから、自分たちだけでの音楽会など、最初からなしなのだった。
そう考えると、全員参加の音楽会を、本当に楽しみにしていて、
「これがあるからよかった」
と思っている人はいないと思うのだった。
目立ちたいと思っている子供でも、あくまで、
「音楽会があるから、だったら、自分たちが目立とう」
と思っているだけで、ないならないでもまったく困ることはない。
むしろ、
「その時間、他のことができるはずだ」
と思うもので、
「遊ぶ時間を削ってまで目立ちたいなどと思わけもない」
というものである。
先生だってそうだ。
日ごろの授業、テストの採点、生徒指導から、家庭訪問などでの父兄との交流など、やることはいっぱいなのだ。
秋になると、音楽会や運動会、遠足などといったイベントが目白押しで、
「正直、ウンザリだ」
と思っている先生もいるだろう。
これが仕事なので、文句も言えないし、そもそも、
「先生になりたい」
と思って、ずっと勉強してきて、やっとなった職業ではないか。
国は、教育委員会、さらにPTAなどと、面倒臭いものがひしめいている中で、人間関係がドロドロしている、
「大人の世界」
は、日ごろ子供たちを見ているので、さらに、ドロドロとしたものに感じられるというのは、実に厄介な感覚であっただろう。
父兄の方としても、同じかも知れない。
最近は、どうか分からないが、以前の恰好行事というと、
「他の親に負けないような恰好で行かないといけない」
と思っていたことだろう。
口では、
「子供に恥を掻かせられない」
と言いながら、結局、自分たちの品評会のようなものではないか。
プライドをかけたものであり、親同士のそんなバトルを、子供は冷めた目で見ているか? それとも、自分たちが出しに使われているということが分かっているので、
「いい加減にしてくれ」
と思っているかということであろう。
そう考えると、親の、バチバチのプライドも疲れるばかりで、親の中には、そんなバトルの真ん中にいながら、
「ないならないでいいんだ」
と思っているに違いない。
ということになると、
「誰が、学校行事を好き好んでやっているというのか?」
ということにあるだろう。
しかし、これは昔から決まっていることであり、小学校としての、
「伝統」
というものだ。
しかも、小学校は、義務教育である。そのカリキュラムはしっかりと、文科省が管理することになるので、一つの学校だけが、
「やりたくない」
という理由で辞めてしまうわけにはいかないのだ。
もっとも、本当に、辞めるだけの大義名分があれば、
「許されないわけにはいかない」
ということになるのだろうが、そんな理由がどこを探して出てくるというのか、結果、しなければならないということになるのである。
そんな状態において、
「誰もしたくない」
と心の底では思っていることを、
「どうしてもしなければならない」
という理不尽さがまかり通っているこの世の中では、どうしても、ムダなことであっても、一応はしなければいけないということになるのであった。
警察の捜査というのも、その一つであり、
「今回のガセネタ」
というのを、
「どうせ無駄足になるに決まっている」
と思いながらも、そう思ってしまうと、恐ろしいのは、
「オオカミ少年」
の話のようになってしまうのではないか?
ということであった。
イソップ童話に出てくる、
「オオカミ少年」
という話であるが、
「村に住んでいる男の子が、退屈しのぎに、オオカミが来たと騒いで回ると、皆が自分の言葉に踊らされて慌てふためく様子に快感を覚えるようになると、その子は何度も、同じことを繰り返すのであった。しかし、そのうちに、皆が、その少年のいうことはウソなんだと思うようになり、結果、皆食い殺されてしまった」
というようなお話であった。
この話は、いろいろな見方がある。
一番の教訓としては、
「何度も繰り返していると、信憑性がなくなってくるが、最後には本当のことがあるかも知れないので、信じ続けなければいけない」
ということになるのだろう。
ただ、ウソが繰り返されると、信じられなくなるという考えも無理もないことで、それこそ、人間の本能のようなものだといってもいい。それだけ、学習能力があるということなのであろう。
しかし、人間はそのことを無意識に感じている場合がある。それだけ、
「ウソに塗れた世の中に行きている」
ということになるのであろうか。
そして、もう一つは、
「木を隠すなら森の中」
ということわざがある。
保護色のようなもので、
「真実を隠そうとする場合も、たくさんのウソの中に混ぜてしまうといい」
ともいわれる。
この考え方は、
「真実とウソは紙一重、裏返しである」
ともいえるだろう。
しかし、この考え方は。
「長所と短所」
というものに似ている。
つまり、
「正反対に見えるが、見方によっては、紙一重でもある」
ということで、よく野球などで言われることとして、
「苦手なコースは、得意なコースのすぐ横にある」
などというのを、プロ野球の解説者から聞くことがあるだろう。
何と言っても、解説者は、元選手である。実体験からの言葉なのだ。
もちろん、現役時代には、誰にも言ってはいけない情報で、それこそ、自滅を招くことになるといっても過言ではないだろう。
引退してから解説者になったのだから、自分が損をすることはない、しかも、実体験からの話は、視聴者にとってもありがたいことだし、放送局側も、そういう体験談はありがたいので、
「どんどん話してもらいたい」
と思っているに違いない。
そんな、
「オオカミ少年」
の話というのは、警察の捜査で考えると、
「何度も無駄足を踏まされているのに、それでも、いつ何時本当のことがあるか分からないから、ちゃんと捜査をする」
という、大峡少年の教訓にもよるのだろう。
そして、もう一つは、
「警察への信用問題」
ということである。
せっかく善良な市民からの貴重な情報提供をむげにしてしまうと、警察を市民が信用してくれなくなる。
つまり、市民の協力は、ネタ提供というだけではなく、普通の目撃証言などにおいても言えることだ。
第一発見者になった人間が、警察を嫌いで、見たものを、
「見ていない」
といってみたり、逆に、見ていないものを、
「見た」
といってみたりするのも、同じことではないだろうか。
そうなってくると、警察の捜査は混乱し、犯人でもない人を逮捕してしまい、冤罪を作り出してしまうかも知れない。
もちろん、警察が嫌いな人でも、
「冤罪を作り出す」
ということには、賛成できるわけはないだろう。
だが、警察への、
「非協力的な態度」
というのは、結果、
「冤罪を引き起こしかねない」
ということになるのだ。
そのことが分かっているのか、第一発見者は、あまりウソは言わない。
ただ、推理小説などでは、
「第一発見者を疑え」
という言葉があったりする。
それを思えば、いくら警察を憎んでいると言っても、下手なことを言えば、自分が犯人にされてしまうという懸念があることから、余計なことはできないのである。
そんな中において、証言者の、
「オオカミ少年」
というのは、なかなかいないというのも、法律を知っているからであろう。
「偽証罪」
つまり、明らかなウソを行って、誰かを陥れたり、事件を混乱せしめたりした場合などは、
「偽証罪」
ということで罪に問われるのだ。
特に、誰かを陥れる行為は、それだけでも、大いに犯罪として形成されるものだ。
人の命を直接奪うわけではなくとも、その人の、
「ウソの証言」
のせいで、人生が狂ってしまい、そこで、
「人生が終わった」
ということになる人もいるだろう。
特に偽証罪となるわけではなく、一種の人助けをしたはずのものが、実際には、
「人の罪を確定させることになってしまう」
ということは往々にしてあるというものだ。
特に、痴漢の目撃者などは、そうではないだろうか。
「この人痴漢です」
といって、手を掴んで、そのまま警察に突き出す場合など、たまにあるというではないか。
現行犯であれば、一般市民も、その人の身柄を確保することはできるというもので、そのまま警察に突き出せば、
「現行犯ということで、動かぬ証拠だ」
ということになるだろう。
しかも。他の乗客皆が証人ということになる。気が弱い人は、つい、やってもいないことを認めてしまうという人もいるだろう。
だが、そうなると人生が終わってしまう可能性だってある。
会社あ首、家族にもバレてしまって、奥さんからは離婚され、人生がメチャクチャになるだろう。
しかも、犯罪者として裁判を受け、たぶん、県の条例違反程度なので、罰金系ということになるだろう。
しかし、前科がついてしまうのは否めない。何もやっていないのに、そうなるのだ。
せめて、裁判というものが法廷で行われないというだけが、救いということか、
「いや、そんな問題ではない。前科がついて、生活が崩壊してしまった自分は、自白した時点で、終わってしまった」
といってもいいだろう。
また、さらにひどいこととして、目撃者のふりをして、男を脅かす連中もいる。
「警察に突き出されたくなかったら、金を出せ」
というやつである。
もちろん、女もグルであり、一種の、
「美人局」
というものであろう。
やつらは、定期券や免許証などを接収し、それで脅してくる。個人情報などないに等しいので、逆らえば、会社や家族に知られることになるに違いない。
そうなると従わなければならなくなるのだが、やつらが一度で終わると思うと大間違いというものだ。
「やつらは、死ぬまで、骨の髄までしゃぶってくる」
ということになる。
そうなると、
「このままいけば、あいつらを殺さない限り、俺が自由になれることはないんだ」
ということで、新たな殺意が生まれかねないということである。
これこそ、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
ということで、犯人グループにとって、自分たちの身が危ないということなど思ってもいないだろう。
完全に、自分たちに相手は逆らえないと思い込んでいるわけで、それこそ、
「油断大敵」
であり、
「やる方はやられることを考えない」
と言えるであろう。
そんな捜査をやっている中で。やはり気になったのが、
「なぜ、今なのか?」
ということであった。
確かに、まもなく、
「お宮入り」
となるはずの事件ではあるが、
「なぜ、このタイミングで?」
と思ったのは、迫田刑事だけだっただろうか?
しかし、結局、
「お宮入り」
ということになったが、
「この事件のことを、迫田刑事が気にしている」
ということは、関係者であれば、分かっていることであった。
これが若手の刑事とかであれば、
「今起こっている事件に集中しろ」
とか言って怒られるのが関の山なのだろうが、迫田刑事というと、そろそろベテランとなりかかっていることもあって、上からも下からも、
「一目置かれている」
ということで、誰からも何も言われることはなかった。
時々、桜井刑事からは、
「どうだい? 何か気になることでもあったかい?」
と聞かれることもある。
「未解決事件」
ということであっても、それこそ、
「時効を迎えた」
というわけではない。
「容疑者を見つけたり、何か証拠が出てくれば、そこから、また新たに事件の捜査が始まる」
ということだってあるのだ。
捜査本部が解散したというだけのことであって、未解決事件を専門に扱う部署があるというようなドラマを見たことがあるので、実際に、そんなところがある警察署があってもいいのではないだろうか?
だから、今回の事件でも、
「ガセネタっぽい、目撃証言があった」
ということで、解散の決まった捜査本部が、延長されるということはないだろう。ただ、未解決事件としてファイルに閉じられ、警察署の書庫のようなところに眠らされているということであった。
迫田刑事は、この事件で何か、胸騒ぎのようなものがあった。
というのは、やはり、
「捜査本部が解散する」
という話が出たそのタイミングで、ガセネタタレコミがあったというのは、あまりにもタイミングがよすぎるというものだ。
それを考えると、突飛な発想ではあるが、
「何かの暗躍が感じられる」
というものであった。
しかも、その暗躍というのが、
「警察内部ではないか?」
ということが引っかかっていて、迫田刑事がこの事件を気にしている理由には、もちろん、自分が刑事になってから、比較的早い時期の未解決事件ということもあったからではあるが、それ以上に、
「暗躍」
という言葉と、
「警察内部」
という言葉が引っかかっていて、どうしても、このまま、
「お宮入り」
にしたくはないということであった。
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