第9話 ハンニバルを釈放する

 『薬師村』。薬草や薬を研究するその村は、島内でも未開域とされる大密林の入り口付近にある。

 夕闇が一日の終わりを告げ始める時間帯。

 モナが騎手を勤める“麒麟”の引く荷台はガラガラと『薬師村』へ向かっていた。

 その荷台に乗る、ラシル、ミカ、リタは無言だった。

 目的地はナギの告げた『時の塔』。場所は『薬師村』在中の魔女キャスが知ってる。


 しかし、この場にいる魔女全員が、その塔の事は初耳である。『ミステリス』内を毎年くまなく回るモナでさえも『薬師村』へは何度も立ち寄ったが、『時の塔』など見たことも聞いたことも無かった。


 だが、【番人】ナギが在ると言ったのだ。そして、そこには敵の侵攻を覆す罪人――ハンニバルが投獄されている。


「……これでよし。次はミカ、貴女の番よ」


 ラシルは握っていた青い石をミカへ渡す。

 記憶石。それは所持者が握り、魔力を流す事で自分の見た記憶を写す事が出来る。

 主に秘術の管理などに使われ、特別な魔法陣を刻む事で他には見られない様にする事も出来る。


 交易拠点から新品の記憶石を貰い、ナギの助言で自分達の経験した戦いの記憶を全員で共有する事にしたのだ。


「……ラシル様。なんと……ご立派に戦いなされた」


 ラシルと艦隊の戦いを見て、ミカは称賛する。


「……私は民を護れなかった。戦うだけじゃダメなのよ。後、敬語は良いわ。敬称もね。気軽に“ラシル”って呼んでちょうだい。今となっては……序列なんて関係ないもの」


 今の『ミステリス』で最も求められるモノは序列なんかじゃない。敵を追い払う戦力だ。

 思考回路の切り替えが早いラシルは、12歳ながらも泣きじゃくる事は今するべき事ではないと割り切っている。

 ラシルは記憶を写したミカの戦いも見る。


「……ミカ、辛かったわね」

「私は……絶対に奴らを許さない。必ず……必ず! 報いを受けさせてやる!」


 思わず“バルバトス”が形を成そうとする。圧倒的な様を見せつけられても尚、折れない気迫は今度も頼もしいと感じさせた。


「リタ、貴女も」


 ラシルはリタに記憶石を差し出す。


「……私は……」


 リタは記憶石を握る事を躊躇った。


「そっか……ごめんね。貴女の様子を見れば解るわ。思い出したくないものね」


 記憶石へ記憶を写すには当時の事を思い返さねばならない。敵に対する強い敵意があるラシルとミカは躊躇い無く握ったが、リタは難しい様だ。


「気が変わったら言ってね」

「……うん。ごめんなさい」


 リタの“イフリート”はかなりの汎用性がある。ラシルは現時点で、もし敵と出会った時の戦い方を考えていた。


 もし、戦いになったらミカと“バルバトス”で牽制しつつ、“イフリート”で周りに火を着けてもらって視界を確保しないと“スプリガン”は戦力にならない。

 今は夕闇の森を“麒麟”の発光を頼りに進んでいる状況だ。ほぼ視界はゼロ。敵との交戦は可能限り避けなければ。


「ラシルちゃん、何か臭わない?」


 既に敬語を止めたモナからの呼び名にラシルは微笑むと改めて焦げる臭いを感じ取る。


「……モナ、“麒麟”は後どれくらい維持出来るの?」


 “麒麟”は顕現維持に魔力消費が少なく、持続力の高い使い魔である。しかし、流石に本日はそろそろ限界であるとラシルは見ていた。


「そうね。後、30分ほどしか」


 元より『時の塔』を目指し、今日はそこで一夜を過ごす予定だった。しかし、そこに敵が居るのなら、消耗した自分達で戦い抜く事が出来るのか……


「この先にある薬師村が襲撃されてる可能が高いわね」


 ナギの情報から敵の襲撃はブルームだけではなく、『ミステリス』の沿岸部地域へ波状に行われていた。しかし、地図でみる限り、薬師村は比較的に内陸の方にある。思った以上に敵の侵攻が早い。


「敵が居るかもしれない。モナ、“麒麟”を引っ込めて。ここからは徒歩で行きましょう」


 敵がどこに居るのかわからない以上、ここからは慎重に動かなくては。






「止まってください。【番人】ナギ様」


 ナギは『宮殿』にて、【国母】の部屋の前にて止められた。

 彼女を止めたのは序列6位【古鉄】アルトである。


「【国母】様へ報告がある。通して貰うぞアルト」

「【国母】様はもうお休みになられます。要件は明日に」

「ハンニバルを釈放する」


 ナギは先に自分がラシル達に出した命令をその場に告げる。しかし、


「ハンニバル? 何の事を言っているのですか?」


 アルトは首を傾げる。

 ハンニバルによる、10人の魔女を扇動して起こった『【国母】殺害未遂事件』は、未来において『ミステリス』の根幹を揺るがすと判断されて記録は残されていなかった。

 当時の裁判に立ち会い、現在も生きている三人の魔女の記憶以外は。


「アルト。今、島内で何が起こっているのか知っているか?」

「伝達者から。なにやら外海から賊がやってきたとか。たまにある小事です」

「小事などではない。沿岸部の村や集落、『港街ブルーム』『鉄鋼街』は既に敵によって制圧されている」

「制圧……随分と過激な言葉を選びますね。より詳しい報告はいずれ届き、その後に【国母】様が指示を出されるでしょう」


 それでは遅い。と言いたいが、仕方の無い事だ。

 つい昨日まで、平和な日常を過ごし、ここ200年間、何事もない日常が繰り返されて来たのだから。


“この国は居心地が良すぎる。外様にあっさり踏み潰されちまうぜ?”


「解っている。だからこそ、ハンニバルを解放するのだ」

「さっきから、ハンニバル、ハンニバルと。何者ですか?」


 その時、ナギの背後に“騎士”が現れた。

 その“騎士”に対してアルトとナギは跪き、頭を垂れる。


『何事ですか? 騒がしい』

「【国母】様……」


 現れた【国母】の“使い魔”を前にナギは告げる。


「ハンニバルを解放したします」

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