第51話 報告

 日が落ちてしばらくした約束時間きっかりに、事務所のドアが開き、ふわっと春風が吹き込んだ。

 そこから颯爽と現れた美波は、相変わらず美しい。

 長い黒髪がまとめ上げられているせいか、きりっとした目元と女優のようなオーラに、磨きがかかっているように見えた。

 美波は、事務所に入ってくると、すぐさま気品さえ漂わせるようなお辞儀をしていた。

 

「誠一さん、きっちり依頼をこなしてくれて、ありがとう」

 顔を上げる美波は、より一層眩しい笑顔を放っている。

 こんな美しい彼女へ笑顔くらい向けてあげればいいものを、灰本といえば、デスクのパソコンからちらっと美波へ視線をよこして「あぁ」というだけ。しかし、美波はいつものことというように、気に留めることなく、私にも丁寧に頭を下げ来てくれた。

「柴田さんも、ありがとう」

 灰本へ向けていた笑顔を私にも見せてくれるけれど、昨日の会見は決して気分のいいものじゃなかったはずだ。私の視線は静かに落ちていた。

「昨日の学校側の会見、あんな感じで……思い通りの結果を出せず、私は悔しかったです」

 昨晩灰本の胸を借りて、散々泣いた。全身の水分を使い切って、しまいには頭が痛くなった。そのおかげで、沈んでいた気分が元の位置に戻ってくれたと思っていたが、ここでもポロリと本音が零れてしまう。

 終わり良ければ総て良しとしたかったが、勢いがよったのは最初だけで、結局はこのあり様だ。

 下唇を噛んでいると、美波はそんな私のどす黒い悔しさに光を当てて、消し去るように言った。


「確かに、昨日の会見は、本当に最低なクソジジイ共って思ったわ」

 でもねと、続ける美波は、やっぱり曇りのない笑顔だった。

「今回の事件について、国会議員の間で盛り上がってるの」

 議員? 学校からいきなり国会にまで話が飛んで、政治に関して興味のない私は、面を食らってしまう。一方、美波の目は、輝いていた。

「あんなにはっきりとした証拠や大人を馬鹿にしたような発言があるにも関わらず、叱責だけの処分でいいのか。学校側の対応も不十分ではないか。そんな生ぬるい対応で、生徒の更正は見込めるのかって、みんな言い始めていてね。議員を支持している人たちからも、どうにかしろって、ひっきりなしに連絡が入っているみたいで。議員も、動かないわけにはいかなくなってきているわけ。まぁ、どの程度踏み込んでいくのかは、未知数ではあるけれどね。でも、近いうちに翼君の高校にも調査が入ると思う。石のように動かなかった国が重い腰を上げて、動き始めようとしている。これって、本当にすごいことなのよ? 二人は、期待以上のことをやってくれた。この流れを作ってくれたのは、柴田さんのお影なんだから」

 話が大きすぎて、いまいち実感は沸かないが、ともかく国をも動かすような事態になっているということなのだろう。学校側は動かせなくてもその上が動けば、何か変わるかもしれない。ふと、希望の光が見え始めると、視線を感じて、そちらをみやる。

 腕組みをして話の内容を吟味している灰本の細められた瞳とぶつかった。その眼は、緩やかな光をたたえて、語りかけてくる。

 突き進み続けたお前は、決して間違ってなんかいなかった。そして、その通りになったなと。

 その口角が上がっていた。

 じわっと胸が熱くなって、鼻の奥がツンとしてくる。だけど、今日は絶対に泣きたくない。

 事務所の年季の入った木目の天井を見上げて、どうにかして重力に逆らうことに、精一杯になっていた。

 灰本は、そんな私から美波へ視線を戻していく。

「そこまで、動き始めたら学校側もただじゃすまないな。校長の風当たりはさらに強くなる。盾がいなくなれば、当然後ろにいた富永たちも、ニヤニヤ笑っていられなくなる」

「そう! これまで通り守られる存在ではいられなくなる。叱責だけで何のお咎めなしなんて、すまなくなる」

 興奮気味に語る美波に対して、口元を引き締め涼しい顔に戻った灰本は、パソコンを閉じていた。デスクの椅子の背もたれに、体を預ける。椅子がギシっと軋んだ。

 

「国の方は、美波に任せるが、翼の様子は? 全部話したのか?」

 灰本から飛んできた質問に、美波の晴れ渡った顔は、一気に曇っていた。上向いていた視線も、足元へゆっくりと落とされていく。

 美波がずっと立ちっぱなしだったことに気づいて、私は灰本の机の前にあるソファ席へと座るように、促した。ゆっくり腰を下ろす。その間に、私はコップに冷たい緑茶を入れて、美波の前へ出した。

 美波は、一口喉へ水分を通すと、ふうっと息を吐いていった。

「……樹里さんから、連絡が来た。退院して落ち着いたらちゃんと話そうと思っていたんだけど、これだけ騒がれてしまっているし、どうせ耳に入ることだから、全部話して聞かせたって。さすがに、ショックは大きかったみたい……。落ち込み方、激しかったって。そりゃあ、そうよね。庵野青と河井樹は、ともかく……ずっと仲良かった富永君が、海へ呼び出そうって言いだして、裏で糸を引いていたんだから」

 重い沈黙から、昨日見た青のスマホのデータを思い出す。

 

 残されていたメッセージのやり取りには、すべての記録が残っていた。

 翼をいじめたトークメンバーは、同じ高校のクラスメイトである河井樹と庵野青、青の弟の翔太。最初は、その三人だけで翼について、情報共有をしていたのだが、途中もう一名加わっていた。その名前は、富永本人。


 私の前に、翔太を寄こそうと発案したのも、富永だった。

 当時のやり取りも、そこにあった。

『やっと、僕の書き込みに食いついてきたな。こんなに時間がかかるとは、思っていなかったぜ。そこで、翔太。いいことを思いついたんだ。僕の名を使って、柴田という記者の前へ出てくれないか? 翔太は背が高いから、うちの高校の制服を着てしまえば、完全にうちの生徒にしか見えない。それに、翔太は中学生で十三歳なんだから、僕らよりも更に強固に法の下で守られる。何も怖いことなんかないだろう。それ以上に、記者がどんなおもしろい反応をみせるのか、興味ないか?』

 それに対して、全員が同意。そして、まんまと私が引っ掛かったときは、一層盛り上がっていた。

『このまま、騙されて翔太は冤罪を被せられるかもな。そしたら、訴えてやろうぜ』

 一通り、盛り上がったあと、富永はこう付け加えていた。

『僕に辿り着く可能性は、ゼロに近いだろうな。でも、念には念を。もしものために保険をかけるために、凛に僕の学生証がなくなったって、いっておく』

 富永の用意周到さに気づくはずもなく、凛は騙され、富永の作り話を私と灰本へ証言。そして、何も知らない凛は、富永を呼び出した。その時のメッセージもある。

『さすがに気付いたみたいだ。呼び出されたから行ってくるけど、演技には自信があるから心配無用』

 そして、堂々と灰本と私の前に富永は現れた。

 確かに、あの時の富永は見事だったと思う。あの灰本の目さえも、欺いたのだ。

『やっぱり、大人ってバカだな。こんな面白いゲームだったら、いつまでも、続けていられるぜ』

 一仕事を終えた富永たちのテンションは上がり、私たちをバカにした言葉が並んでいた。

 これまでにも、そういった発言は節々にあったから驚きや憤りは、それほどなかったのだが。


 そこから更に遡った会話の一端の方が、衝撃は大きかった。

 富永がこのメンバー加入した時期に、富永が翼を守る側ではなく、攻撃する側へ回った理由が、そこに書かれていたのだ。

 

 美波は、お茶をまた一口飲むと声を落としていった。

「富永が凜さんへずっと思いを寄せていたこと、翼君も凜さんも、知らなかったみたい。でも、だからって、こんな酷いこと……」

 美波は、顔を歪める。

 富永はずっと凛のことが好きだった。だが、凛は富永ではなく、翼へ思いを寄せていた。そして、翼も凛を。

「富永の秘めた思いなど気付かない二人。その鈍感さを目の前に、富永は嫉妬を増幅させた。そして、普段から翼をいじめていた青たちに富永は、接触し加担。そして、提案した」

 翼を海へ突き落としてやろうぜ、と。

「そんな理由でと、思うかもしれないが、それは殺人の動機としては、メジャーだ。そして、富永は嫉妬と殺意に、大人への挑発を加え、ゲームに仕立てあげた」

 灰本が、淡々という。

 灰本が調べた情報によると、青たちと同様に富永もまた、一見は幸せな家庭だった。

 両親は共に医者をしていて、裕福。

 しかし、そんな環境で生まれた息子は、当然のようにその道を強要されていた。そのプレッシャーは、相当なものだったようだ。

 富永宅から怒号や物が壊されるような激しい物音を耳にし、近所住民から警察を呼ばれたこともあったそうだ。泣いている富永も、度々目撃されている。

 たまりにたまったストレス。その捌け口として、今回の事件につながっていった。よくある犯行に至った背景は、きっとこうだろう。同情すべき家庭環境があったのだと。

 でも、と私は声を大にしていいたい。

 大人顔負けの悪いことを考えられる頭を持って、自らの意思を持って行った。だとしたら、もう守られるべきではない存在ではないはずだ。年齢で、区切るのは間違っている。

 大人と同じ頭をもっているのならば、それ相応の罰を受けるべきだと、私は強く思わずにはいられない。

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