第50話 繰り返される過去
画面いっぱいに移されているのは、学校関係者と思われる男二人の仏頂面。
会議室の中央正面に設置された長い机の前に、校長と教頭の札が立っている。二人が、決められた台本通り、同時に立ち上がった。写真のフラッシュが一斉に焚かれ、顔は真っ白になっていた。
『この度、本校の男子生徒の事故について、皆様をお騒がせ申し訳ございませんでした』
校長という札の前にいた男が、決められた文句を述べると、教頭も頭を下げた。
『この件について、我々は警察からも事件性はないと判断されておりました』
続いた冒頭から、学校からどうしようもない言い訳が出ていた。
あの事件は、学校側ではなく警察のせいだと、いいたいらしい。ずっと凍り付いていた感情を取り戻すように、頭がカッと熱くなって痛くなってくる。
『そのため、本校はそれ以上の調査は必要ないと考えておりましたました。しかし、このような動画が出回ってしまいました。本校としては、この事実に困惑している次第です。今度、詳しく聞き取り調査を行い、実態解明に努めてまいりたいと思います』
出回ってしまいました。その言い方は、嫌味で、余計なことをしてくれたなと、言わんばかりだ。
『この度は、本当に申し訳ございませんでした』
校長がもう話すことはないとうように、マイクを置いて、一礼する。
あぁ、まただ、と思う。
ぎゅっと膝の上で握った拳の中に記憶の卵が潜んでいたように、割れて流れ込んでくる。
陽菜の時もそうだった。実家へ一度だけ、陽菜が通っていた学校の校長、教頭、担任が、やってきたことがあった。
「学校でこのような事故が起こり、申し訳なかった」と。口先の謝罪を述べていたが、そこからはっきりと滲む本音は「よくも、面倒ごとをこしてくれたな」だった。
声の裏側の声が聞こえたとき、全身震えが止まらなかった。両親も確実に聞き取れたはずなのに、目を伏せて聞こえないふりをして、頭を下げていった。こちらこそ、ご迷惑おかけしました、と。
その言葉は、私にとって信じがたいものだった。学校側も加害者側の立場。どうして謝るのか。
下手にでる両親の態度に、校長たちは図に乗っていた。
そうです。いじめなんてなかった。俺たちは関係ない。むしろ、学校も被害者なんですよ。そんなことんを、言いたそうな顔をしていた。
画面に映っている黒い頭。顔を上げれば、きっと同じ類いの表情をしているのだろう。あの日の憤りと重なって、画面を見つめる。
そして、それは案の定だった。
校長たちが顔を上げると、もう面倒ごとは終わったと言わんばかりに、校長と教頭は顔を見合わせ頷き合っていた。これでもう、俺たちの責任は果たした。他人事になったと、安堵の笑みさえも浮かべている。あの時とまた、同じ光景だ。
だが、その後に取った行動は、それ以上に酷いもので、目を疑った。
校長たちは、そのまま一列に並んで、談笑しながら立ち去ろうと歩き出していたのだ。
「これ以上、学校側が話せば、ぼろが出てしまうから、逃げ帰るってことですか?」
集まっている記者たちからも怒号じみた声が響いていた。
「学校側は、いじめを把握していたのに、放置していたということで、いいんですね?」
記者たちの皮肉めいた質問。立ち去ろうとしていた校長が、苛っとした顔を作る。教頭が止めようとしていたが、それを振り切って、逆切れした校長は来た道を戻って、マイクを手にしていた。
「いじめは一切把握しておりません。担任にも聞き取りをしましたが、そのような気配は一切なかったと聞いております」
「それは本当でしょうか? 以前から度々この被害生徒が、加害者から暴行や嫌がらせを受けていたのを目撃していたと、情報提供してくれた人がいます。その方は、担任にも訴えたけれど「ただのじゃれ合いだろう」と言われて、取り合ってくれなかったといっていましたが?」
「そのような報告は、なかったと聞いております」
「では、この訴えをした人物の方が、嘘をついているということですか?」
追いつめられると、苦虫をつぶしたような顔をして、マイクを切る。隣に戻ってきた教頭とこそこそ話し、終えると面倒くさそうな顔をしていった。
「その頃、担任は業務に追われていたようだったので、適当に聞き流してしまったのかもしれませんね」
「その結果、このような重大事件につながってしまいましたが、それに関してどう思われますか?」
「それは、残念です」
「人一人の命が危うかったのに、ずいぶんと他人事ですね」
それについては、無言だ。反論するのも面倒になったらしい。
「加害者側の生徒には、どのような対応をお考えですか?」
「対象の生徒には、指導を行い十分な反省を促す所存です」
その言葉は、凶器となって思い切り頭をガツンと殴られた衝撃だった。意識がぼんやりとして、目の前の世界が狭窄していくような感覚に陥っていく。
私は間違っていたのかもしれない。画面の向こう側の世界が受け入れられるべき現実。私の方が異端者で、弾かれる側。それも、あの時と変わらなくて。身を削ってやって来たことは、全部無意味だと、はっきりと告げられているような気がした。細く息を吐くと、どんどん暗い方へ引きずり込まれていく。
「生徒は、意気消沈して猛省している様子です。これ以上の二次被害が起こらないよう、全力でサポートしていこうと思います」
言葉が重ねられるほど、どうしようもない虚無感が身体を押し潰しにかかってくる。テレビでは相変わらずの熱量で、記者の尖った声が、ぶつけられていた。
「加害者側へのということですか?」
「両者ともに大事な生徒です」
校長は、当然だろうと顎を付き出していた。
笑うのはやっぱり加害者側。その構図も、数年前と全く同じ。これはもう、いくら時間が経とうが不変といってもいいのかもしれない。
どんなに確実な証拠を突きつけても、血を滲ませて必死になっても、結局何も変えることはできない。こちら側は、足を捕まれて、地面の中へ引きずり込まれていくだけだ。
あの笑みが忘れられない。虫酸が走るような悪魔の顔。頭の中に流れる映像は、陽菜がいなくなった真っ黒に塗り潰されたあの日と重なって、混濁していく。
子供だという理由だけで、守られてしまった加害者。あんな、大人を小馬鹿にできる巧妙な悪事を考えられる頭をもっていても、無条件に頑丈な盾の奥へ逃げてしまえる。固く目を閉じてしまった陽菜は、もう二度と還ってきてはくれないというのに。
さんざん陽菜と重ね合わせて、同じ過ちは繰り返さないと誓っても。あの時、晴らせなかった思いは、どうやっても晴らすことはできないんだ。どう足掻いても、相手に傷ひとつつけられない。私の無力さを痛感することしかできない。だとしたら、全て諦めて黙った親の選択は、正解だったのかもしれない。
その時。
「柴田!」
声と共に肩を強く揺さぶられた。沈んだ身体が急に引き上げられていく。失っていた感覚が、取り戻されて、自分がじっと見つめていた先の画面は、すでに真っ暗になっていることに、初めて気づいた。肩にのっている手から腕へと辿っていくと、一人分空けて座っていたはずの灰本と距離がほとんどなくなっていた。至近距離にある端正な顔立ちの真ん中に、深い深い溝ができている。その瞳が不安定に瞳を揺れていて、私はきょとんと見返す。
「……あぁ……すみません」
何の言葉も見つからず、ただなんとなく謝ってみると、灰本の切迫した表情が和らぐのと引き換えに、その目が見開かれていた。そして、灰本の顔がぐにゃぐにゃに歪んでいく。
どうしたんですか?
そう言おうとしたのに、喉がぎゅうぎゅうに絞められたように声がでなくなっていた。
あれ、何で。
自分の変化の方に驚いてしまう。
ぐにゃぐにゃだった灰本の顔も、鮮明になったかと思いきや、また歪んでを繰り返している。不思議な現象に困惑していると、ポタリと握りしめた手の甲に水が落ちていた。
あぁ、そういうことか。私はどうやら泣いているらしい。だから、灰本さんの顔が酷く歪んでみえたんだ。
他人事のように、なるほどと、思っていると、ふわっと右手を引かれていた。力なく傾く身体は、灰本の腕の中に納まっていた。
どうして、そんなことするのかという疑問よりも早く、冷たかった身体が腕のぬくもりで、温かくなっていた。
少しずつ自分の体温を取り戻すのと比例して、凍ってしまった感情がとけだしていく。
やっぱり、私は許せない。
雪崩のように感情が舞い戻っていく。
あそこにいた大人たちは、のらりくらりと守ろうとするけれど、私は絶対に許せない。一生憎んでやる。強く思えば思うほど、失望と悔しさの反動は激しく私に襲いかかって、切りつけてくる。
「私……何を、期待していたんだろう……」
痛みに耐えるように、ぎゅっと、灰本のシャツを握りしめると、更なる痛みに耐えきれなくなる。こんな結果しかでなかった。望んでいたものとは、全く違う。
ただ、私は無力で。嗚咽することしかできないなんて。声を上げて泣く自分が、本当に不甲斐なくて、情けない。
「ちゃんと突き進み続けたお前は、決して間違ってなんかいなかった。胸を張っていい」
それを全部受け止めようとしてくれる灰本の優しさが、全身を突き刺してくるようにチクチク痛い。
「ただ何もせず黙っているよりは、ずっといい。前に柴田がいっただろう? 俺も、そう思う」
私の痛みを和らげるように、優しく包み込むようにそういうから、余計に涙が止まらなくなる。
「現実と過去を重ねても、後悔しても、死者はもう帰ってきてはくれない。いくら本人に、言いたいことがあっても、もう伝えることはできない。残された俺たちは、死んでいったものたちが生きていた頃の思い出を汚さないように、大事にしながら、正しく真っ直ぐ、ただ突き進んでいくしかない。その結果が、いくら芳しくなくてもな。死んだ者へ恥じない生き方を、俺たちはこの先も続けよう」
お前は一人じゃないんだから。
前にも言ってくれた言葉を静かに続けてくる。それが、じわっと心に染み渡って、また水が貯まっていく。
灰本さんは、狡い。
泣きたくないのに、背中をゆっくりと擦られる手が、それを許してくれないのだから。
自分自身ずっと強いと思っていたし、みんなからもお墨付きを貰っていたくらいだった。
それなのに、灰本さんの前だと、信じられないほど、弱くなる。
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