第43話 家族
何日間か灰本のところに滞在できるように、荷物をまとめ終えて、タクシーに乗り込む。
その最中、狭い通りの曲がり角に人影が、見えた気がした。灰本が後から続いて、車に乗り込んで運転手に行き先を告げている間、私は窓からじっと、その方向を見る。
こんな閑静な住宅街で、わざわざ身を隠すようにして立ち止まっている影。私が運転手と話している灰本のスーツの裾を引っ張ると、灰本は会話を中断させてこちらへ顔を向けてきて、視線で指し示した。
「あそこに、いるみたいです。どうせなら、今捕まえませんか?」
窓の外を睨み付ける。灰本も、そちらへ黒目だけ動かしていたが、すぐに正面を向いていた。
「発車してください」
私の提案をさらりと、却下していた。車が動き始めて、人影が遠くなっていく暗闇の中に消えていってしまう。
「せっかく捕まえられる、好機だったのに」
口を尖らせるしかなかったが、灰本は淡々という。
「車に一旦乗りこんでしまった以上、追いかけても逃げられるだけだ。それに、俺たちが相手に勘づいていると、まだ知られたくない」
「まだ、相手を油断させておいた方がいいってことですか?」
灰本は頷く。
「相手の目的は、翼から柴田に移り始めたが、俺たちの本来の目的は、変わっていない」
そうだろう? と、冷静な瞳の色を寄こしてくる。
その瞳の真ん中から、私たちの目的を確認する。翼君を突き落とした犯人達を見つけ出し、晒すこと。心の中で反芻して、頷くと、灰本はそうだと頷く。
「依頼を確実にさせるための証拠は、絶対必要になる。つまり、喫茶店で柴田が見せられた動画は、必要不可欠なものだ」
「一発で、相手を追い詰めることができる唯一の最大の証拠ですもんね」
「その通り。相手の承認欲求が強さ故に、周囲に見せびらかしはすれど、根本の動画を誰かの手に渡すことは、絶対に避けたいはずだ。回りまわって、大人の目に入ると困るからな。だとしたら、それなりにガードは高くなる。ネットに上げることも、しないはずだ。そうなると、俺たちがその動画を手に入れるためには、本人と接触して直接手に入れるしかなくなり、チャンスもそう簡単には巡ってはこないという事態に陥る……しかし」
灰本は、先ほどポケットにしまい込んだ銀色のコインを取り出してみせる。私の位置を把握するために仕込まれていたGPS。
ちょうど信号待ちで止まった車窓から、白い街灯の光が、銀色のコインを照らしていた。
キラリと、光る。その横で灰本も、口角を上げていた。
「今は、これがある」
自信たっぷりにいう灰本の顔も、街灯の明かりではっきりと見えた。
「それを逆手にして、相手を誘き出すってことですね」
「その通り」
自分の失態がチャンスに変わったのだと知った瞬間、並々ならぬやる気が漲る。
タクシーが到着して、灰本の部屋の前に到着。
灰本は、部屋のカギを開けて入っていく。その後に続いていく。
私がここにやってきたのは、つい先日のことで、その時もずかずか部屋乗り込んでいった。もっと遡ってみれば、灰本と出会って間もなく。私が灰本へ依頼を持ち込んだ挙句、散々な目にあって、何日もここに泊まり込んだことさえある。
それなのに、どうしてか妙な緊張感が駆け上ってくる。
靴を脱いだ玄関で立ち止まっていると、怪訝な顔をした灰本が振り返ってくる。
「何をもたついてるんだ?」
「いえ、何でもないです」
自分でも、本当に意味が分からなくて慌ててそう返すが、灰本と合いそうだった視線を条件反射のように明後日の方向へ向けていた。灰本は、更に眉を寄せていたが、気を取り直してリビングへ向かう。ダイニングテーブルのパソコンへと向かっていく。
「さっさと仕事」
促されて首をぶんぶん振る。そうだ、私は何をしている。要らぬものを全部排除だ。ふうっと深呼吸して、すべて吐き出し、背筋を伸ばし、こぶしを握る。完全仕事モードにすればいい。
そんな私に灰本は、ダイニングテーブルにもう一台ノートパソコンを設置し始めていた。それを他人事のように見ていたら、灰本はこれのパソコンは柴田専用だと、いう。
「このパソコンを使って、今わかっている二人『河井樹』『庵野青』のSNSを探して、内容を確認しろ。翼に対する何かがあれば、それをピックアップ。書き込みも要チェック」
地道な上に、目が痛くなる作業を言い渡される。ちょっと嫌な顔をしてしまうが、気が紛れわせてくれるにはとてもいい。
やる気を見せて、大きく頷く。
「灰本さんは、何するんですか?」
「河井と庵野の家族関係を調べる」
「家族?」
「家族というものは、切っても切り離せない存在だろう? そのあたりも調べると、見えなかった部分も、見えることがあるんだ」
「へぇ、そういうものなんですね。さすが元刑事」
「無駄口たたいてないで、さっさと始めるぞ」
気合を入れるように言われて、持っていた荷物は、適当にその辺において、灰本の正面に座る。早速パソコンに噛り付いた。
灰本が忙しなくパソコンのキーボードを叩く音と、私のマウスのクリック音だけが、部屋中に響く。
河井と庵野は、今時の高校生らしくSNSもしっかりとあったが、あげている写真や動画も頭が痛くなりそうな数だった。
気が滅入りそうだったが、目を何度もぱちぱちさせて、潤いを与えながらひたすら目を凝らしていく。しかし、翼に対するいやがらせや、匂わせは一切見つからなかった。むしろ、自分は明るく、充実した優等生感を醸し出している。
いくら時間をかけてもそんな印象ばかりで、苛々しかなかった。
「自分をよく見せるためのツールとして、うまく利用してるんでしょうね。見れば見るほど、頭来るんですけど」
ラグビーで地区大会を準優勝した写真だの、庵野と河井ではしゃいでいる写真、文化祭の写真が掲載されていた。
ともかく二人は仲がいいことと、ムカつくほどいい高校生を主張しているようだった。同時に、私の前に現れた人物らしき人影は、全く見当たらない。溜息しか出なかった。
その合間に、灰本が言及していた二人の家族については、時折登場していた。
「家族とずいぶんとも、随分仲がよさそうで」
河井は、姉がいるらしい。姉の誕生日には家族で祝って、プレゼントをあげたと、かわいくラッピングされた写真が投稿されていた。一方庵野は、弟のようだ。弟を含めた家族で、焼肉へ行ったと、油滴る肉の写真が載っていた。
両親については、双方あまり出てこなかったが、姉や弟については、度々登場していた。見る限り家族関係が、悪いという印象はなかった。
「表向きの家族関係も、良さそうに書かれています。灰本さんは? 何か収穫ありました?」
「河井、庵野ともに、両親と兄弟同居している四人家族」
灰本から出て記事情報は、真新しいものがなく、口を尖らせていると、更に続けた。
「河井の父親は、教育委員会長。母親は、不動産会社の営業。姉は、都内大学の二年生。一方、庵野の父親は、エンジニア。母親は、私立中学教師。弟は、母親の学校に通う中学二年生」
たくさんの情報が一気に広げられて混乱しそうになるが、確実に一つの言葉が引っ掛かってくる。
「河井の父親が、教育委員会長?」
「担任たちがあの二人の肩を持つ理由は、それだな。教育委員会長の息子だから、事件を公にするわけにはいかない。富永が担任に訴えても、取り合わなかった理由はそれだ」
「やっぱり、ここにあるのはあくまで表向きの理想の家族。でも、中身は腐ってる」
吐き捨てるようにいってみると、それが、そのまま自分の胸に返ってきたような気がした。
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