第42話 影

 灰本がどうして、くっついてくるのかわからず、乗り換えの駅で私は苦言を呈していた。

「どこまでついてくるんですか?」

「俺のことは、空気だと思え。振り向かず、話しかけず、普通に歩いてろ」

 質問とはかけ離れた回答だけ返ってきて、少し距離を空けてついてくる。

 本当に意味がわからないが、仕方ない。いわれるがままに、私はいつも通りの道順で、閑静な住宅街通りの角にあるアパート前に到着した。二階の階段を上がって、すぐ正面の部屋の玄関ドアの鍵を鞄から取り出す。後ろから着いてきていると思っていた灰本を探ったが見つけられなかった。フェードアウトしていったのかもしれないと思いながら、鍵を開けて中へ入った。

 

 玄関の照明をつける。玄関のすぐ左手にキッチン、右手に浴室、正面が洋室のワンルーム。キッチンを抜けて、リビングの電気をつけて、道路から丸見えの正面窓から外を眺める。人影らしきものがみえたが、すぐに消えた。灰本だろう。何を調べているんだか。そんなことを思いながら、カーテンを閉じて、持っていた鞄をベッドへ放る。そこにスマホが鳴った。灰本だった。

「鍵を開けろ」

 というが、鍵を閉めるのは、就寝前と決めている。

「帰ってきてから閉めてないので、開いてますよ」

 答えると、ぶちっと電話を切られた。嫌な感じだと思ったら、灰本がいつの間にかそこにいて、驚く。瞬間移動でもしただろうか。

 

「帰ってきたら、すぐ施錠」

 灰本は、怖い顔をしていう。いつから口うるさい保護者になったんだか。そもそも、ここは私の部屋で、当たり前のように灰本が入ってくるのはおかしいだろう。

 そんなことなど気にしていない灰本は、部屋を見回して、目を光らせている。鬱々とした溜め息しかでない。

「いくらなんでも、デリカシーなさすぎでしょ」

 私の不満など耳に入っていないのか、灰本は構わず玄関のドアを確認したりしている。侵入の形跡がないか調べているらしい。

「そんな心配しなくても、平気ですよ。自分の居住地なんて漏らしてないですもん」

 いくら背中に投げ掛けても、無視されていた。ここまで来ると、灰本の心配性も重症だと思う。

 とりあえず、気が済むまで好きにさせておくしかないか。キッチンでポットにお湯を沸かして、二人分のインスタントコーヒーをいれる。リビングのちゃぶ台に置いて、ベッドに寄っ掛かりながら一口飲む。やけに苦い。冷蔵庫から牛乳を取りに行こうとしたら、気が済んだのかリビングの方へやってきていた。やっと落ち着くかと思いきや、閉まっていたリビングのカーテンの隙間から外を伺い始める。そこで、やっと動きが止まった。


「もう気は済みました?」

 牛乳を入れながら声をかける。白と黒がマーブル模様になって、いい具合に混ざり合ったところで、灰本が窓から離れた。また、キョロキョロと部屋を検索し始める。

「ちょっと落ち着いたら、どうですか?」

 カップを指差すが、目に入らない様子だ。訳がわからない。もういいやと、後ろにあるベッドに背もたれにして、テレビでもつけようとしたら、灰本がこちらをじっと見ていた。緊張感も孕んでいて、私まで伝染してくる。

 

「な、何ですか?」

 上ずった声が出る。灰本は構わず、どんどん距離をつめてきて、心臓がばくばく音を立て始める。ごくりと唾を飲み込むと、灰本が膝をついていて、至近距離に顔があった。目を見開くことしかできなかった。

 きっと、こんなに心拍数が上がるのは、無駄に顔が良すぎるせいだ。それ以外に理由なんてないと思うのに、ずっと胸の奥にあった硬い殻に覆われた丸い球体が、ピキっと音を立ててひび割れていきそうになる。ぎゅっと胸に手を置いて、その瞬間を受け入れようとしたのだが、その瓦解はすぐに止まっていた。よくよくみれば、全く私と視線がおらず、私の後ろに焦点があっていた。灰本の視線を追って、振り返る。私の後方奥のベッドの上に、私の鞄が転がっていた。私の横からぬっと灰本の長い腕が伸びて、それをがっちり掴んでいた。

 

 阻止する間もなく、灰本は、鞄をひっくり返していた。

「ちょっと! いい加減にしてくださいよ! 女性の鞄をひっくり返すなんて、酷すぎる!」

 中身が全部ベッドの上に飛び散る。財布、化粧ポーチ、ティッシュ、ハンカチ、買い物したレシートまでらあらゆるものがぶちまけらていたが、その中の一つは、身に覚えのないものが混ざっていた。薄く丸いコインのようなもの形をしている。それを、灰本が手にしていた。

「何ですか、それ?」

「GPS」

「……いつの間に……」

 灰本は、GPSを机の上に置いて、やっと落ち着く。コーヒーにカップに口をつけていた。

「やっぱりな。さっき、そこの窓から人影がみえた。これを辿ってきたんだろう」

 こんなことまでして、私はどこまでなめられているのか。怒りしかない。

「さっさと叩き壊しましょう!」

 私が手にする。そして、思いきり床に叩きつけようと振りかぶった。その手を灰本に捕まれ、中身を奪われてしまう。灰本は自分のポケットにし舞い込んでしまう。その行動に不満しかない。怒りの矛先を灰本に向け、口を開こうとしたら、灰本はいった。

「一旦うちに来い。薄い窓、安っぽい玄関、そして、簡単に壊せそうな鍵。こんな欠陥だらけの部屋より、百倍ましだ」

 いわれてみれば、たしかに窓は簡単に割れそうだし、玄関のドアも安っぽい。やろうと思えば、いつでも侵入されそうではある。このままここに留まって就寝するのは、いささか心許ないことは確かだ

「その提案は、本当に有りがたいです。でも、そうするんだったら、尚更それ壊した方がいいですよ。灰本さんの家もばれちゃいます」

 灰本がGPSをしまい込んでしまったポケットを指さすが、灰本は何食わぬ顔でいう。

「今更だ。相手は、把握しているだろう。それが仕込まれたのは、恐らく柴田の前に犯人が現れたときだ。その後すぐ、柴田は俺のところにやってきた。つまりその時点で、既にその鞄の中に仕込まれていたはずだ」

「……たしかに」

 灰本の言う通り、喫茶店で会ったときに仕込まれていたのだとすれば、私の足取りは把握されてしまっているはずだ。ここ最近の自宅の行動を思い返してみれば、灰本の家の滞在時間は長かったように思う。そうなると、相手は、灰本の自宅も先ほどのように下見している可能性もある。自分の失態が灰本にまで、拡大してしまったことに、申し訳なく思う。

「巻き込んでしまって、すみません」

「いや、好都合だ」

 灰本は笑みを浮かべていった。

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