第40話 富永

 翼の親友の名前を語って、私の前に現れたという事実。

 その神経も信じられないし、憤怒しかない。同時に、自分は丸々とすべてにおいて騙されていたという大失態も混ざり合って、頭を抱えそうになる。でも今は、そんなことしている場合ではない。

 俯きそうな頭を上げて、何とか声を絞り出す。

「じゃあ、私が会った人物っていうのは……」

「河井樹と庵野青のどちらか……かもしれないな」

 灰本は落ち着いて、そういうと、凛は「私、二人の写真持ってます」と申し出てくれた。自分の再び鞄をごそごそして、スマホを操作すると私たちの方へ向けて机に置く。灰本と一緒に画面をのぞき込む。学校の教室で撮られた集合写真のようだ。

「この前、みんなで撮ったんです」

 あの二人はここにいますといいながら、凛は、二本の指先を滑らせて、画像を拡大していた。

 大きく映し出された二人。二人は、仲の良さを強調するように肩を組んで、カメラを睨みつけていた。この前私の前に現れた時と同じ学ラン。こみあげてきそうな怒りを奥歯でぎりっとかみ砕いていると、凛が説明を入れてくれていた。

「左側にいる茶髪の短髪のたれ目が、河合樹」

 そちらの顔を注目する。よく日焼けした肌に、たれ目の奥二重。がっしりとした体つき。私が会った人物じゃないということは、すぐに分かった。ということは。視線を右側の男が、私の前に現れた男か。睨み付けるように視線を滑らせる。視界に入ってきた男の顔と体つき。目を疑った。

「右側にいる少し切れ長の瞳をしたパーマの長髪の方が、庵野青です。二人ともラグビーしているので、体が大きいんです」

 添えられた言葉とともに、怒りがすっと引いてしまう。目を丸くすることしかできなかった。

 言葉を失っている私に灰本が尋ねる。


「どうした?」

「私の前に現れたのは……この二人じゃありません」

「間違いないのか?」

「庵野と似た切れ長の瞳ではありましたが、もっと鋭かったし、それ以上に体つき、髪型がまるで違う」

 私が会った相手は、もっと特徴的な切れ長の瞳で、細身の長身だった。みれば、わかるはずだ。私は凛のスマホを引き寄せて、全体画面に戻して、一人ひとりの顔を拡大し確認しながら焦点を当てていく。しかし、それらしき人物を見つけることができなかった。

「この中にいないようです」

「……ということは、姿を現したのは、翼君のことを撮影していた男の方か。凛さん、この二人以外に翼君をいじめていた奴はいるかい?」

「いえ、この二人以外、翼君にちょっかいかけるような人はいませんでした」

「他のクラスにも?」

 凛は、間違いないと頷く。

「あの、私だけの証言じゃ心もとないようだったら、さっき話に出てきた富永君に会ってみますか? 柴田さんが会った人と全然違うって、ついでに確認できると思いますし」

 忘れかけていた失態を掘り返されて、苦笑するしかないが、有難い申し出だった。

「ありがとう。すごく助かる」

 私は、少し苦い顔をして頭を下げると、凜は「大丈夫です」と、にっこりとほほ笑んでいた。

 

 程なくして、本物の富永嵐が現れて、凜は手を振っていた。坊ちゃん狩りで眼鏡をかけた優等生を彷彿とさせる生真面目そうな高校生だった。背も特段長身というほどではなく、おそらく一般的な高校生くらいだろう。

 私は、凜の隣に腰かける富永を前に、反省しかなかった。ずっと、犯罪者だの、悪魔だのと思っていたのだから。

「ごめんなさい」

 初対面にもかかわらず頭を下げる私に、富永は目をぱちくりさせていた。困惑は、当然だろう。だが、説明する気にもなれなかった。灰本が代わりに説明してくれる。すると、富永の顔はみるみるうちに険しくなっていた。

 怒るのは当然だと思う。

 もう一度頭を下げようとしたら、それより先に富永が勢いよく頭を下げていた。


「謝るのは、僕の方です! すみませんでした!」

 土下座するような勢いで逆に謝られ始めて、目を瞬かせるしかなかった。思わず灰本に助けを求めるが、じっと富永を見つめたままだった。

「どうして?」

「柴田さんの勘違いに発展させたあのサイトへ『これは事故なのか?』って、書き込んだのは、確かに僕なんです。本当に、辛くて。この苦しみをどうにか吐き出して……そんな時、学校の裏サイトを見つけて。そこに、本当に翼本人だったかどうかわかんないけど、学校への恨みのような書き込みがあったから、僕は咄嗟に書き込みました。誰か、気づいて拾ってくれるんじゃないかって、願いながら。そこに、柴田さんから本当に連絡がきて。やった! と思うと同時に、少し迷いと不安もあって。グズグズどうやって返信しようかって、学校の休み時間、一人になれる場所を見つけて、スマホを見ていたんです。その時に、庵野にバレたんです。『お前、こんなこと書き込んでやがったのか』って。それで、その時、スマホ取り上げられて、柴田さんへの返信を勝手にあいつが……」

 その説明で、これまでの違和感にすべて納得がいった。

 書き込み自体は、この事件に対する罪悪感に苦しんでいた富永自身。そこに私が連絡を入れた。それに対して、返信してくれようとしていたが、その矢先に、スマホを奪われ加害者である庵野が私へ連絡をよこしてきた。すっと胸のつかえがとれる。

 同時にそれなら騙されても仕方ないと、少し自分も救われたような甘えが生まれそうになるが、ミスは変わらない。首を横に振って、甘えを捨てて、気を引き締める。灰本は相変わらず、無言を貫いたまま、様子をしている。

 富永は、再び頭を深々と下げていた。


「せっかく連絡くれたのに。本当にすみませんでした……」

「教えてくれて、ありがとう。そして、ここにきてくれて、本当にありがとう」

 富永はゆっくり顔を上げる。相変わらず、目は伏せられていて、顔をゆがませたままだったが、意を決したようにゆっくり口を開いていた。

「僕、ずっと知っていたし、見ていたんです。翼が大変だったこと。でも、僕もどうしてもあいつらが怖くて……止めに入ることができなかった。翼も、優しいから僕に言うんです。『お前まで、巻き込まれるから、何もするな』って。その言葉に甘えた勇気のない僕は、それを真に受けて……見ていることしかできなかった」

 富永は顔を歪ませる。その眼には、涙が滲んでいた。今度は、凛が引き取る。

「実は、私と富永君で、先生に訴えたこともあったんです。翼君を助けてくれって。でも、先生は全然、取り合ってくれなかった。ただの、じゃれ合いだろうって言われました」

 じゃれ合い。この前私の前に現れた男も、まったく同じ言葉を使っていた。急激な怒りがこみ上げる。

 加害者も、担任も、言葉を換えれば、許されるとでも思っているのだろうか。本当に腹立たしい。

 灰本の冷静な瞳にも、微かな怒りが滲んでいた。


「翼君の事件は、学校でどんな風に説明をされた?」

「『翼は一人で釣りしにいって、誤って海に行って落ちた』って説明がありました。けど、僕はそうじゃないって知ってたんです。だから、担任にも言いに行きました。その日の学校の帰り道、翼が『あいつらになんか釣り道具持って来いっていわれてんだ。無視したいところだけど、後々、怖いから行かないといけない。でも、嫌だなって』って言っていたって。それなのに、やっぱり取り合ってくれなかった。証拠はないんだろう? 聞き間違いじゃないのかって、言われました」

 凛の顔は、怒りで強張っていた。

 当然の反応だ。聞いている私でさえも、頭がおかしくなりそうなのだ。好意を持っている相手がひどい目にあっても、ぞんざいに扱われる現状を目の当たりにしているのに、今日まで本当によく耐えていると思う。

 凛と同じような怒りを抑えることへ必死になっている私とは違って冷静な灰本は、最後の質問をさせてくれと、切り出した。

 

「さっき、凛さんにした質問をそのまま富永君へさせてもらう。庵野ら二人以外に、翼君をいじめていたような人間はいたか?」

「あの二人以外、危害を加えているような奴はいないと思います」

 富永は、凛とまったく同じ反応を見せる。

 あの二人以外はいない。二人ともいうのだから間違いないのだろう。

「色々、話を聞かせてくれて、ありがとう。本当に助かったよ」

 硬い表情ばかりだった灰本は、口角だけ上げてそういってから、また思考の渦の中へ意識を沈め始めていた。それを横目に、私は前屈みになる。

「二人とも、何か困ったことがあったら、すぐに連絡してね。必ず駆けつけて、返り討ちにしてやるから」

 鼻息荒くそういって、以前、自作したジャーナリストの名刺を鞄から取り出して渡す。灰本は、苦々しく溜息をついていた。

「俺の方に、連絡をくれ」

 灰本が、自分の名刺を差し出していた。いつも面会の後には、「今後、連絡を取ること二度とありませんと、言え」という人が、珍しい。まじまじとその顔を見ていると、恨みがましい顔で睨まれる。

 注文してからずいぶん時間のたったカフェラテを一気飲みする。生ぬるくて、不味いだろうと思ったのに、案外おいしいと思った。


 同時に、疑問が渦巻く。

 あの時、目の前に現れた男は、いったい誰なのだろう?

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