第38話 絆
こんな情けない話。本当は、誰にも話したくなかったし、聞かれたくなかった。こんな不甲斐ない自分を、曝け出す日が来るなんて思いもしなかったが、後悔は全くなかった。
ずっと、伏せ目だった視線が、上げられる。それなりに灰本の横にいたはずなのに、形のいい二重の瞳は、こんなに黒かったことを初めて知ったような感覚に陥った。そして、その両目は、ゆらりと揺れている。今更気づく。
私と灰本の間には、薄いガラスで隔てていて、お互いが向こう側にいたこと。その顔がしっかり見えているようで、そうではなかったこと。
「それでも、俺はどうしても、同じ過ちを繰り返したくないと思っている。……正直、この葛藤の折り合いを、どうつければいいのかわからない。……どの選択が正しいのか」
唇を震わせるように発せられた声は、酷く掠れて、長い睫毛が再び伏せられる。明け透けな感情が歪める表情の細かい皴から、滲んでいた。決して見せることのなかった灰本にかかっている呪いが、不安定に揺らす瞳から溢れ出ている。いつも自信たっぷりで飄々としている灰本しかイメージになかったから、少し驚きはしたが、不思議と安心した。
私は、少しだけ息を吐いて、きゅっと口元を引き締める。
「どちらの選択をしても、後悔しそうだというのなら、もう何も考えずに全部、私へ投げてみてください。ひやひやさせることはあるかもしれませんが、灰本さんを失望させることは絶対にしません」
伏せられていた睫毛の陰が消える。
お互いのを隔ていたガラスの壁が、パリンと音を立てて粉々に割れて、粒となって足元に落ちていた。やっと、同じ場所に立てたそんな気がした。ようやく、本当の意味で焦点が合う。
伏せられている黒い瞳の奥の瞳孔まで見据えた。
「私を信じてください」
見開いた両目がゆっくりと上げられて、私を捉えて止まる。お互いの全てを曝け出している様な気分になってくる。急に気恥ずかしさが押し寄せきて、私の方が根負けしていた。
肩くらいに伸びた髪の毛を撫でつけて口元を緩ませて、この場に漂っている緊張感を和らげる。
灰本も、全身から酸素を吐き出して、名残りのように残っていたピリっとした空気を追い出して、ふっと笑う。
だが、それは一瞬で、すぐにいつもの顔に戻していた。
「それで? 柴田が会ったという、男の名前は?」
私も、スイッチを入れて頷く。
「富永嵐。翼君のクラスメイトだといっていました」
「富永?」
灰本は、驚いたようにいうと、ぎゅっと眉間に深い溝を作って、険しい顔をしていた。何をそんなに驚いているのだろう。
「はい、間違えありません」
困惑しながら答えると、灰本は意識を思考の渦の中へ沈めていた。ゆっくり、部屋の奥へ引っ込んでいく。私も、靴を脱いでその後に続いていていた。灰本は、リビングのダイニングテーブルに置いてあったパソコンの前に座り、私もその正面に座る。
灰本はしばらく、顎に手をやりながら沈黙を守っていたが、しばらくすると思考の整理がついたのか、ゆっくり口を開いた。
「昨日、翼の意識が戻ったと連絡があった」
「本当ですか?」
命を取り留めたという朗報。心からよかったと思う。あんな奴らのせいで、命を落とすなんてこと、絶対にあってはならないことだ。ほうっと息をつくと、自然と口元が緩む。しかし、灰本は相変わらず硬い表情だ。
「直接本人と面会して、翼の交友関係を事細かに聞き取ってきたんだが、そこにやはり富永という名前が出てきた」
灰本は、パソコンの横置いてあった手帳を、ペラペラめくる。目的の場所を見つけたのか、それをじっと見つめて、私の方へ見せてくる。翼の話を聞きながら灰本がメモを取ったのだろう。相関関係図のようなものが、書かれていた。翼を中心に、色々な線が引かれ、誰からしらの名前と結びついている。敵と書かれた矢印や、味方のイコールや、傍観者と書かれた点線。翼の交友関係は、男女問わず広いことがうかがい知れた。
そこに、富永と会ったときに出てきた『河井樹』と『庵野青』の名前もあった。翼を海へ蹴り落した二人の名前は、当然敵対関係の構図になっている。
さらに、その下を見ると、それぞれの関係性が簡潔に説明されていた。河合と永山は、「いつも一緒に行動。翼に対して日常的な暴行あり。海に突き落としたのは、この二人」とあった。あの汚い笑顔を思い出す。また怒りが湧いてきそうだったが、その二人とは遠い場所に書かれている名前を見て、唖然とするしかなかった。
「これ……本当ですか?」
「本人がそういったんだ。間違えようもないだろう」
灰本はそういうと腕組みをして考え込みながら、背もたれに身体を預けていた。
私は、灰本の手帳に穴が開くほどまじまじと見る。
そこに、確かに富永嵐の名前が載っていた。しかし、それは、私がこの目で見た関係生徒は全く違う文字。
イコールで結ばれ、太字で親友と書かれていた。さらに、富永嵐の名前の説明を見る。
中学の頃からの苦楽を共にした親友、と書かれていた。
「嘘です……富永は、全然そんな感じじゃ、ありませんでした。だって、翼君が海に突き落とされたとき、富永は助けるどころか、撮影していたんですよ?」
「だが、そいつも言ってたんだろう? 『親友』だって」
そう聞かれて蘇る。確かに富永は言っていた。僕は、翼の親友ですと。笑みをこぼしながら。あいつの言い方は、真逆の意味にしか聞こえなかった。だからといって、誰かに命令された演技にもみえなかった。
だとしたら、翼は富永のことを本当の意味での親友だと思っていたが、裏切られたということなのだろうか。
考えれば、考えるほど頭が混乱しそうだ。頭を抱える私を差し置いて、灰本はいった。
「富永と連絡を取り合っていたサイトは、どこにあった?」
無理やりドツボにはまりそうだった混乱から抜け出して、スマホを操作して、書き込みのあった画面を託す。
灰本はそれを手にしながら、引っかかっている疑問を口にしていく。
「富永が加害者なのならば、ここにわざわざ書き込んだ理由はなんだ?」
そうだ。闇の中で丸く収まりそうだった事件を、加害者側がわざわざ自分の手で、掘り返す理由がわからない。
「そう……! そうなんです! だから、私はてっきりこの書き込みをしたのは、翼君の味方で、本当のことを言いたくも言えないような子がここに書き込んだのだとばかり」
勢いよく言ったのが、結局その思い込みが、騙されたきっかけとなった。最後の方は、すっかり声が縮んでいた。
「柴田の思考が正常だろう。普通なら、そう考えるのが妥当だ」
灰本は、騙されるのもしかないと頷いてくれて、少し救われる。
その後、灰本はしばらくパソコンのキーボードを素早く打ち込む。そして、またじっと黙り込んでパソコンを睨みつけてぼそっと言った。
「気は進まないが、学校へ行ってみるか」
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