第37話 本当の呪い

 マンションのインターホンを押す。

 無視されるだろうかもしれない。そんな懸念は、意外とあっさりと取り払われていた。

『何しに来た。今は有給休暇中だ』

 門前払いしようとするのは、想定内。

「だから、事務所じゃなくてこっちに来たんです」

 あとは、このエントランスの扉をどうこじ開けようか。いや、私には小賢しい真似はできないし、灰本には通用しない。だったら、いつも通りのやり方を通すまで。

「仕事を外された理由について、抗議しに来ました。ここで喋ると、灰本さんの聞かれたくないことが、みんなに聞こえちゃいますので、開けてください」

 はあっと深いため息が聞こえて、プチっとインターホンが切れる。そして、ドアが開いた。

 

 灰本の部屋まで行って、玄関のインターホンを押す。

 ティシャツにジーンズのラフな格好で灰本は現れた。見るからに不機嫌そうだ。本当なら、今すぐに追い返したいという思いが、あからさまに見える。むすっとした顔で、無言のまま顎で部屋の中へ促された。

 ガチャっとドアを閉めたのを合図に、灰本は更に眉間にギュッとしわを寄せる。

「外した理由は、前に言った通りだ。それ以上でも、それ以下でもない」

 ぴしゃりと言い放つ顔は、険しい。私は、怯まない。

「相手は一筋縄ではいかない。しかも、今回の案件は、私の妹――陽菜がこの世を去った要因となった、いじめ。私が暴走するのは、目に見えているし、いくら私が吠えたって、何の傷も与えられないような相手だ。今までと種類が違う。だから、外した。それが、建前の理由で、本当は……私が深く傷つくことを、灰本さんが恐れたからなんじゃないんですか?」

 私に向けられていた細く尖っていた双眸が見開かれ、何かに縛られたように動かなくなる。

「私は、そんなこと恐れませんよ。全然怖くありません」

「……お前は、本当に追い詰められたことがないから、そう思うんだ。そうやって強がっていても、些細なきっかけ一つで、人は簡単に折れる」

 あいつみたいに。声には、出さなかったが、私には鮮明に聞こえる。そして、灰本が私からほんの少し視線を逸らした先に、誰かを見ていることも。私にはよくわかった。

 

「私は、天海さんとは違います」

 はっきりとそう告げると、形のいい双眸が更に大きく見開かれて、不安定に揺れる灰本の黒目は、本心を雄弁に語っていた。

 ずっと隠していた本音が、そこからありのままに溢れている。ずっと、覆っていた膜が剥がれている。

 言いたいことを言うまでだ。

 

「私は、すぐに怒り狂って、ストッパーのない瞬間湯沸かし器みたいになります。言わぬが花なんて、誰が言ったんだって感じです。黙って、枯れていくだけなんて、冗談じゃない。許せないものは、許せない。だから、私は無茶して、突っ込みます」

 言い切る私に灰本は、苦虫を噛み潰したような顔をしながらいう。何が言いたいんだ。私は、思い切り息を吸い込んで、灰本が見ているものを遮って、正面に立つ。

「私は天海さんに、会ったことはないなので、どんな人なのかはわかりません。全然、わからないですが、これだけははっきりと言えます。私は、天海さんじゃない。だから、今、ちゃんとここにいるんです」

 灰本が、息をのむ。そして、ずっと囚われていたものから、意識が引きはがされたように、一致しなかった焦点が私と合った。

 やっと、私を見てくれた。安堵のようなものが、こみ上げてくる。自然と口角が上がっていた。

 

「私、ついさっき、翼君のいじめ加害者と会ってきました」

 さらっというと、一瞬でいつもの灰本に戻っていた。

「……どさくさに紛れて……何やってきてるんだ」

「言いたいことは後で聞きます。先に説明させてください」

 灰本を見据える。灰本の尖っていた目尻から力が抜かれて、またいつものような呆れが浮かんでいた。

 今まで、どうして富永に行き着いたのかを淡々と説明する。

 

「本当は加害者となんか会う気は、ありませんでした。単純に騙されたんです。翼君の親友を装った加害者側の人間だったなんて、思いもしなかった。しかも、翼君を突き落とした瞬間の動画を持っていて、いくらでその画像を買うかと、言われました。殺してやりたいほど、ムカつきました。だから、私はつい声を荒げてしまいました。そしたら、その店の人達に白い目で見られました。大人が子供に何をしているんだって。虐待するなって、責められました。ついさっきの今なので、正直結構なダメージは受けてますし、発狂しそうなほど頭に来ていて、腸が煮えくり返りそうです」

 先ほどの怒りが再燃するどころかさらに沸騰して、目の前がチカチカしてくる。握った拳が震える。灰本は、口を挟むことなく、じっと耳を傾けていた。何か言いたそうな顔をしていたが、静観することに決めたようだ。その方が、私もありがたい。

 目をつぶって深く息を吸って吐いて、熱を冷ます。そして、ゆっくり目を開ける。


「これは自分のとった行動の結果です。言い訳もする気はありませんし、悔いは一切ありません。危ないからといって、事前に檻の中に入れられてずっと安全な場所に追いやられたまま、何もできないでいる方が、よっぽど私は自分を許せなくなります。灰本さんは、私がそんな風になった理由を、陽菜が亡くなったからだって思ってるんでしょうけど、それは勘違いです。こんな私が出来上がったのは、今に始まったことじゃありません。ましてや、妹の陽菜がいなくなった日からでもない。私は、ずっと前からそうだったんです」


 よく、環境や親の気質で性格は決まるとかいうけれど、子供が固有に持って生まれたものというのは、本当にあるのだと思う。

 両親は、大人しい性格で、事を荒立てることが大嫌いだった。陽菜もそうだった。周りが多少の不正を働いたとしても、騒ぎになるくらいなら、目を瞑ってしまうタイプだった。

 家族みんなそうだったけれど、私だけは違った。いじわるする奴を見かけたら、躊躇することなく食って掛かったし、陰口をたたいている奴がいたら、そんなに文句があるのなら本人に直接言えと言い放った。みんなから煙たがられることは、よくあったけれど、構わなかった。それが、正しいと思っていたから。間違っていないと信じていたから。どう思われようが、気にならない。

 それが私のはずだったのに。

 

「陽菜を失った日も、そうでした。私はずっと両親に、訴えていました。学校がダメなら、直接加害者に会って、直接言えばいい。このまま有耶無耶にさせて、いじめなんかなかったで済まされてしまったら。勝手に陽菜は、死んだことされる。そんな酷い仕打ちあるのかって。ずっと叫び続けました。そんな私に嫌気がさしたんでしょう。両親は、私の部屋に鍵をかけて、文字通り本当の檻に入れられました。『これが、陽菜のためでもあり、お前のためなんだ。ここにいれば、これ以上、誰も傷つかなくて済む。みんなが平穏を取り戻すために、しばらく大人しくしていてくれ』そう、言われました」

 いじめた奴らは、もちろん許せなかった。殺したいほど憎いと思った。だけど、この時は、両親への怒り以上に、自分への怒り方が断然強かった。

「両親は、しつこいくらい私のためだと訴えていました。でも、私には、自分たちを守るために、していることにしか見えなかった。これ以上、苦しみたくない。嫌な思いをしたくない。傷つきたくない。同じ苦しみを味わいたくない」

 隠しきれない本音が、顔の真ん中に浮かんでいた。頭にきて仕方なかった一方で、その思いを理解してしまった。

「その思いも、無駄にわかってしまった……。私が黙ってしまえば、陽菜を死へ追いやった人間を責めることさえもできないとわかっていた。全部なかったことにされてしまうことも、ちゃんと理解していた。それなのに、私は全部諦めた」

 ぎりっと奥歯を噛む。

「それが、私の最大の後悔。私にかかっている本当の呪いは、それです」

 陽菜に何もしてやれなかったことの後悔。陽菜よりも、自分の身を守ることを優先した事実。

 その結果。ニュースで流れた陽菜の死は、名前も明かされることなくテレビではたった数秒で終わり、新聞ではおまけのような扱いで、載せられただけだった。苦しみながら生きて、死んでいった一人の大事な命が、それだけで終わってしまった。

 その現実を突きつけられて、やっぱりと立ち上がろうとしても、もう時間は巻き戻ってはくれない。

 すべて終わったあとで、みんなの記憶からも消し去れられていた後。いくら後悔しても、すべて遅い。

 自分の意志を貫かなかった自分自身が何よりも許せなかった。


「だから……私をこれ以上、苦しめないでください」

 口の中に鉄の味が広がる。今まで、とは比べ物にならないほど、酷い味がする。

 

 

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