第35話 犯罪者2

 言っている意味がわからない。素直に思ったことを口走る。

 

「何を言ってるの? あの映像を見てどうして、ただのじゃれあいだなんて言えるの? どうみても、度を越していた。あれを見て、親友として憤りはなかったの?」

「少しは行き過ぎだとは思いました。でも、最近の男子高校生の遊びって、みんなあんな感じですよ? それで、この動画。いくらで買います?」

 淀みなく、きっぱりという。耳を疑うと同時に、心臓がバクバク音を立てて、血液の流れが速まっていく。


「あなた……本当に、翼君の親友なの?」

 酷く掠れた声が出た。

 それが富永の耳に届いて、彼の切れ長の瞳が大きく見開かれ、唇の形は綺麗な弧を描く。

「そうですよ。僕は、翼の親友です」

 その瞬間、すべてを悟って、声が出なかった。

「お姉さん。僕のこと、いじめを目の前に何もできなかったことに罪悪感を感じている善良な生徒だって思ってたんでしょ?」

 切れ長の瞳を下げて、可笑しいと薄い笑みを浮かべる富永を前に、私は何も言えなかった。

 自分の愚かさへの怒りの熱のせいで、口の中がカラカラになっていく。私は本当に馬鹿だ。

 まさか、その逆だっただなんて、欠片も想像できなかった。

 怒りに飲み込まれて、理性を失いそうになる。席を立とうと鞄へ手を伸ばしかけた時、富永はいった。


「もう帰っちゃうんですか?」

 痛みを感じるほど拳を握って、自分と富永への怒りを沈めさせることしかできない。

「お姉さん、僕に聞きたい事、たくさんあったんでしょ? 今が、チャンスだ」

「そうね……たくさんあったわ。だけど、胸糞悪くて、反吐が出る。そんな気にもなれない」

「お姉さん、言葉遣い悪いなぁ。そんなこと言わないでくださいよ。そんなこと言ったら、このご時世、言葉の暴力で捕まっちゃいますよ。もう少し話しましょうよ。僕、すごくお姉さんに興味が出てきました。今なら何でも話してあげますから」

 これは、私に対する挑発だ。相手に乗るな。理性をつなぎ留めろ。

 唇を噛んで言い聞かせる。口の中に、じわじわと鉄の味が、不愉快なほど広がっていく。激怒の荒波を凪させようと、目を閉じて深呼吸する。それでも、声が震えた。

 

「……これを撮ったのは、あなたなんでしょ?」

「はい」

 当たり前でしょとでもいうように軽い声で返ってくる。あまりに軽すぎて、怒りさえ凍りつく。

「どんな気持ちで、これを撮ってたの?」

 そんなこと聞いたって仕方ない。後悔するとわかっているのに止められなかった。

 富永は、案の定の反応を見せる。 

「だから、さっきも言ったでしょ? これは、じゃれ合いだった。楽しかったに決まってるじゃないですか。まさか、溺れて意識不明になるなんて、想像もつきませんでした」

 その瞬間。

 ぶわっと火が点火したように熱くなった。理性をつなぎとめていた糸が、チリチリと焼けてぶつぶつと音を立てて切れていく。

 立ち上がった拍子に、机に乗っていたコーヒーカップが、ガシャンと音を立てて悲鳴をあげる。その音に気付いて、店内もざわついていた。そのお陰で、最後の細い糸だけで理性を繋ぎ止める。振り上げた手が止まっていた。

 灰本の怒りに満ちた顔で、私を制してくる。抑えろと。

 いっぱいに開いていた手のひらの中に怒りをし舞い込んで、震えながら握りつぶす。


「あれ? 殴らないんですか? 詰まんないなぁ。あなたが捕まるところ、撮れると思ったのに」

 スマホはいつの間にか、カメラに切り替わって、録画の印が点灯している。

 ギリギリ奥歯を噛む。

「犯罪者め」

 吐き捨て、溢れた怒りは粉々になんてなってくれない。

「犯罪者? 何言ってるんですか。僕、法を犯すようなこと、何もしていないでしょ?」

 富永は、わざとらしく心外だとでもいうように、目を丸くしてくる。

「学校や親もね、聞くんですよ。何かしたのかって。心底心配しているとでもいうように、歪んだ薄皮一枚顔に張り付けてましたよ。まぁ、その皮は、あまりに薄くて、簡単に破けてまたけどね。まさか自分達の顔に泥を塗るようなことしてないよなって、ありありと書いてありました。だから、あの人たちが求めている模範解答をきっちり発表しておきました。そしたら……『そうか。お前らは、ただ遊んでいただけなんだな。それなら、何の問題もない。安心したよ』って、喜んでました」

「よくも……そんなことぬけぬけと……あんたは、正真正銘の悪魔よ」

「悪魔か。それ、いいですね。カッコいい」

 富永は、童顔のせいで子供のような無邪気さが、白い歯にのっている。

 こいつの思考が、まったく理解できない。どうして、そんなことを言えるのか。どうして、笑っていられるのか。

 こいつらが突き落とした相手は、今も生死をさ迷って、苦しんでいるというのに。どうして。こんな……。妹の亡骸をみたときの絶望が、胸を掠めて鋭く痛みはじめる。

 

「あんた達のようなクソ野郎のせいで、どれだけ相手を苦しめているのか、わかってる? 相手の気持ちを少しでも考えたことがあるの? どれだけ、辛い思いをしているのか……あんたも、同じ目に遭うべきだわ!」

 熱と声量が上がる。怒りのせいで、視野は狭まり、店内がざわついていること目に入らなかった。

 その一方で、頭に来るほど目の前の相手は冷静だった。周りに聞こえないように、小声になっていた。

「お姉さん、他人でしょ? どうしてそんなに、怒るんですか? 僕には、全然理解できない」

 首を横に降って、今度は私を諭すようにいうと、次の瞬間には薄い瞳が鋭く尖った。怒りが滲ませていた。

「僕、お姉さんみたいな正義感の強い人が、この世で一番嫌いだ」

 童顔の癖に隠すことをやめた怒りの形相は、私でも一瞬怯みそうになるほど冷たいものがあった。それでも、怯むわけにはいかない。ぎりっと睨み付けると、富永は呆れたようにため息をついていた。そして、今度は、客側に片手をやり、周囲に見えないよう遮りながら声をさらに小さくして言う。

「この世はね。結局、弱いものが負けるんです。戦争と一緒。だから、若い今のうちに特訓しておかないといけないんですよ。どれだけ、ずる賢く生きられるか。どれだけ、世の中を、周りを自分の思い通りに動かすか。結局そういことを考え続ける奴が最後に勝つんです。でも、お姉さんは、考えてこなかった人でしょ? 阿呆らしい、いかにも正論っぽいことばっかり並び立ててきたんでしょ?」

 富永は言い放った。そして、薄い笑みを零し、囁いた。


「そんなんだから、ずっと勝てないんですよ。僕みたいな相手にさえも」

 


 

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