第25話 すみれ

 少し離れたところから、一見親子にしか見えない二人を追っていく。

 五十嵐には、子供はいない。五十嵐の親戚関係は、灰本が全部調べ上げているが、この年代の女性は、いなかった。

 ということは、あの子が本命?

 落ち着いた雰囲気、大人びた印象。確かに、五十嵐が好みそうな女性だ。

 だが、相手はどうみても未成年。それなのに、あの子に熱をあげているのだすれば、嫌悪感しかない。そもそも、犯罪ではないのか。

 

 二人は、まっすぐ全国展開しているイタリアンへ入っていった。

 時刻は、十九時近い。夕食の時間真っただ中ではあるが、席は空いていたようだ。二人は店員に案内されて、中へ入っていく。

 中へ通された頃を見計らって、私も続いた。

 運よく、二人の席の隣へ案内される。五十嵐たちは、机の上に置かれている注文用のタブレットを操作していた。

「私これがいい」

 溌剌とした女の子の声は、ここまでよく聞こえた。

「いいよ。あとで、デザートも頼むといい」

「ありがとう!」

 

 私も何かしら注文をしようとタブレットを手にする。先ほどの喫茶店でコーヒーをがぶ飲みしたせいか、空腹感は削がれていた。

 しかし、この時間だ。ドリンクだけオーダーというのも気が引ける。

 とりあえず、サラダと唐揚げを注文して、二人の会話に意識を向けた。

 満席にはなっていないが、店内はそれなりの賑わいを見せている。雑音が多くて使い物になるかわからないが、念のため録音ボタンを押しておく。

 

「すみれちゃん、久しぶりに会えて、本当にうれしいよ」

 五十嵐は、興奮を表すように前傾姿勢だ。すみれと呼ばれた子も「私もだよ」と、すかさず返していたが、ソファの背もたれに身体を預けて、自分のスマホに目を落としている。二人の温度差は明白だった。

 一方的に熱を上げているのは、どうみても五十嵐の方だ。そのあと何か話題をと考えあぐねている五十嵐に対して、すみれは全く気遣う素振りをみせない。相変わらずスマホに熱中している。

 圧倒的に五十嵐のやっていることも腹が立つが、この子の態度にも頭にくる。

 どっちもどっちとは、このことだ。見ていて不快さしかない。そこで、注文の品が二人の席に運ばれてきていた。

 ハンバーグとパスタのようだ。

 パスタが五十嵐、ハンバーグはすみれの前へ置かれる。

 いただきますという挨拶もないまま、すみれは、自分のナイフとフォークをとって手を付け始める。それを五十嵐がニコニコと見守っている。

 本当に、見ているだけで気分が悪くなる。そこに私のところにも唐揚げと、サラダが運ばれてきた。

 むかむかする胃を収めるために、サラダを頬張る。

 五十嵐は目の前のパスタには手を付けるどころか、スマホを取り出して、すみれをスマホで撮影し始めた。すみれは笑顔を振りまくこともなく、淡々とハンバーグを食べている。

 意味が分からない。

 サラダを食べ終えても、不愉快さは消えない。

 五十嵐の気が収まったのか、自分の鞄をごそごそと漁り始める。

 

「これ」

 すっと、五千円札をすみれの前に置いていた。フォークで唐揚げを刺そうとしていた手がつい止まって、凝視する。すみれは、その存在に気付いて、ずっとやる気のなさそうな瞳にスイッチが入ったように弧を描いていた。

「ありがと」

 すぐに、手に取って、学生鞄から財布を取り出して仕舞い込む。

 やはり、そういう関係か。何度もいうが、どっちもどっちだ。

 

 その後、少しだけやる気をみせたすみれは、一方的だった五十嵐の会話に反応するようになった。

 現金な奴というのは、まさにこういう人間のことを言うのだろう。

 もしも、尾行している最中じゃなく、普通に食べに来ていたところで、このやり取りを見ていたら間違いなくすみれに説教しているところだ。今はそれができず、もどかしい。

 ぐっと抑えるために、唐揚げで蓋をする。

 皿に乗っている三つのから揚げのうち二つ食べ終えたところで「そろそろ、行こうか」五十嵐の声が聞こえてきた。

 すみれは、目をぱちくりさせている。

 

「ちょっと、早くない? いつもならあと一、二時間はここに入り浸るのに」

「うん。でも、たまには外へでるのもいいかと思ってね。ほら、前に言ってくれたじゃないか。いつも同じ場所で飽きたって」

「そんなこと言ったっけ?」

「覚えていないなんて、酷いなぁ」

 頭をかく五十嵐。すみれは、黒目をくるりと一周させて、ぱっと笑顔を向けていた。

「たしかに、言ったかもね。いいよ。付き合ってあげる」

 そういうと、すみれはより一層目じりを下げて、手を出した。

 ちょうだい。

 手と目で訴える。五十嵐は満面の笑みで、自分の財布から今度は一万円札三枚を彼女の細く白い手に置いた。急に額があがった。そのことに、疑問よりも嬉しさの方が強いようだ。すみれの声は、弾んでいた。

「え? こんなにいいの?」

「いいさ。君が一緒にいてくれるなら」

 その意味、わかっているのだろうか。聞いている私が、思わず突っ込みたくなる。

 すみれは、急に多弁になって、盛り上がっている。そんな状態の彼女に、理解などできていないことは明白だった。

 だが、ふとよく考えてみれば、私もすみれと同じ危うさを持っているような気もする。ここにきて、灰本の気持ちをほんの少しだけ理解できた気がした。



 そして、二人は店を出た。少し離れて、後からついていく。悟られないように写真をとり、スマホへ収めていく。

 五十嵐が先導して、一方後ろからすみれがそのあとを歩いている。彼女の足取りは、先ほどの現金の効果のお陰で、羽のように軽く、飛び跳ねている。

 しかし、ホテルや怪しい店が立ち並ぶ入り口に差し掛かったところで、彼女の足取りが急に重くなった。

 

「こっちは、変な店いっぱいある方向だよ。何もないじゃない」

「いや、こっちの方に楽しめる場所はあるんだよ」

 五十嵐はそういって、すみれの背中を軽く押して、歩きだす。すみれは、軽く抵抗しながら足をゆっくり動かしていたが、数歩のところでとうとう止まっていた。

「私、帰る」

「どうして?」

「だって、こんなところ嫌だもの」

「今日は、付き合ってくれるって言ったじゃないか」

 

 そこで、いよいよすみれは、目を見開いていた。

 まぁ、当然だろうなと私は冷静に思う一方、自業自得の展開すぎて、ため息しか出ない。

 急に上がった額をみれば、それ以上のものを求めていることなど、すぐにわかるだろうに。

 押し問答を始める二人。

 この界隈は、そういった輩が多いのか誰も仲介に入るものはいなかった。

 興味津々な顔をして、ただ静観している。あわよくば、自分の店に来ないかさえ思っていそうな雰囲気だ。

 本当に、大人は狡く、汚い。

 

 私から見ても、正直すみれは、気に入らない。

 大人を馬鹿にしたような態度。人の好意につけこんで、金をせびる行為。大人顔負けのずる賢さだ。

 鼻の下を伸ばした大人より、自分の方が優位で賢いと自惚れている節まで見える。

 だからこそ、付け込まれた。

 確かに五十嵐はだいぶ頭のネジは緩んでいる部類のように思うが、中身はすかすかでも、経験数で補ってしまっている。外堀を埋めて、逃れられないように仕向けることには、数段長けている。

 

 その術中に、簡単に嵌ってしまう彼女の未熟さは、やはり子供で同情すべき点なのかもしれない。

 結局は、こういう悪いことを考え、陥れようとする大人が悪いのだ。

 こういうまともじゃない大人がいる限り、こういう子供も増えていく。大人が子供を絶望に貶めていたのでは、この国の未来は一体どうなってしまうのだろう。

 さて。そんなことよりも、この状況をどうするか。

 ここに灰本がいれば、おそらく言われるだろう。私が本来ここにいる目的は、五十嵐の不倫現場を押さえること。あとは、どうでもいい。

 

 二人のやり取りも佳境を迎える。

 激しい口論。その延長上に聞こえてきた。

「お金受け取ったよね?」

「だったら、返す!」

「今更、もう遅いよ」

「警察に行く」

「そんなことをして、自分は助けられるとでも? むしろ、君の方が罪を問われるんじゃないかな? 僕は金をさんざんせびられた被害者だし。その前に、君の高校へ電話しておこうか。お宅の学生が、こんな悪いことしていますよって。退学処分は、免れないだろうね」

 五十嵐は、スマホを取り出し始める。夜で明るさが足りなくても、すみれの顔から血の気が引いているのが分かった。

「今日だけでいいんだ」

 五十嵐がダメ押しの一言を、すみれへ添える。すみれの威勢のよさは、夜の闇に吸い込まれ、押し黙っていた。

 そして、五十嵐に背中を押されるがまま、思考を失った足は勝手に動いていく。


 あの子は自業自得だ。私もそう思う。あの子は、大人を世の中を甘く見すぎた。多少の痛い目を見るべきだ。

 だが。だからといって、このまま二人を見過ごしてしまえば、私も汚い大人と同じになる。

 そんなの、冗談じゃない。拳を握り、全速力で二人の背中に向かって走りだした。

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