第24話 想定外


 今回は灰本不在のため、車はない。事務所から地下鉄を乗り継ぎ電車で五十嵐の会社前までやってくる。地上に出ると、監視にちょうどいい喫茶店を発見。

 昨日みたいに夜中まで付き合うのは、勘弁。今日は、どうか早く出てきますように。

 祈りを込めながら入店し、窓際の席に座りブラックコーヒーを注文し、口にする。

 想像以上に濃くて、苦味が口一杯に広がった。口の中が刺激されて、事務所を出る前。スマホに細かい設定を施しているときのことを思い出してしまう。

 やっぱり気になってしまったのだ。

 

「今日の夜の約束って、もしかしてデートですか?」

 ニヤニヤしながら問いかけると、灰本は、渋い顔をして目をそらしていた。

 もしかして、図星?

 高校時代以降、恋というのものから、縁遠い日々を過ごしてきたが、こういう直感だけはよく働くものだと思う。

 感想はただそれだけだったはずなのに、どんどん胸がざわめいてしまっていた。どうして、そんな風になってしまうか自分自身よく理解できないのに、胸の奥はぎゅっと締め付けられるような痛みが走り、そこからちょっとした後悔がむくっと顔を出していた。

 聞かなければよかった。

 そのあと、灰本がコーヒーへ手を伸ばしながら「仕事だ」という本当かどうか怪しい微妙な呟きが、若干の平常心へと導いてくれたが。それでも、どこからともなく覆われた霧は、そう簡単に晴れてはくれなかった。


「余計なことかんがえるな。集中」

 目の前の現実へ引き戻して、窓の外をみやる。人の出入りはほとんどない。

 退社時刻まで、あと三十分というところだが、最悪昨日と同じように夜遅くになるかもしれない。

 暇だ。暇すぎる。一旦持参した本を開いてみたが、外が気になって全然頭にはいってこない。昨夜は、灰本がいたから、雑談で何とか時間を潰せたが。

 深いため息が勝手に、出てくる。

  


 事務所でのやり取りがまた再生されて、濃い霧が立ち込めてくる。どうして、こんなに気になって、モヤモヤするんだろう。

 別に灰本が誰と会っていたって、私には関係ないのに。

 これじゃあ、まるで私が灰本に片思いしているみたいじゃないか。そこで、取り留めもなくぐるぐる回り続けていた思考がピタッと止まっていた。同じ場所にとどまり続けると、また同じ言葉がふわっと浮かぶ。

 片思い?

 もう一度自問してみて、笑ってしまう。

 いやいや、そんなはずない。

 私のことなんて、子供扱いだし、いつも悪態をつかれるし、冷たいし。確かに灰本の顔だけは、いいことは認めるけれど。ただそれだけだ。他にいいところをあげろといわれたら、何も出てこない。しいていうならば……いや、これ以上必要ない。

 ぶんぶんと首を横にふる。ともかく、片思いの可能性なんて排除だ。

 でも、私ではなく世の中の女性の基準でみれば、彼を放っておかないだろうなと思う。見た目だけは、スマートで、仕事をしているときの彼は、非の打ち所がない。

 依頼が終わる頃には、みんな羨望の眼差しを向けている。そんな灰本なのだから、恋人の一人や二人いたって、おかしくない。

 いや、彼は、性格は壊滅的だが、誠実ではあるし、真面目だ。だとしたら、一人の女性だけをきっと……。そこまで考えたら、急に気分が落ち込んでくる。そうなる理由もいちいち考えたくなくて、コーヒーで流し込んで、胃液で溶かすことにした。はぁっと、肺にたまっている酸素を吐き出す。

 だから、暇な時間は嫌いなんだ。自己肯定感というものが低いせいか、嫌なことばかり思い出しては、考えても仕方のないことばかり、考えてしまう。

 カップが空になって、なにか他のものを頼もうかとメニューを手をかける。経費で落とすといわれているから、もう少しくらい、いいだろう。

 コーヒーは、やめておこう。変なことばかり考えてしまう。今度は、紅茶くらいにしておくか。

店員を呼ぼうとした。

 その時。

 五十嵐が現れた。退社時刻の五分前だ。今日は、時間がだいぶ早い。まだ、会社からは誰も出てきていない。本人で間違いなかった。

 メニューから伝票に持ちかえて、急いで支払いを済ませ、外へ飛び出し、後を追った。

 

 昨日と同じように、地下鉄へ向かい、電車へ乗り込む。今日の電車は若干混んでいた。五十嵐が乗り込んだドアの隣から私も入る。そうしないと、見失ってしまいそうだ。


 時刻は十八時。たしか、今頃の時間に灰本は誰かと待ち合わせしているといっていた。邪魔はしたくないけれど、仕方ない。一応、軽く連絡をいれる。

『電車に乗り込みました。方向は昨日と同じ。これから、自宅へ向かうと思われます』

 誰かと会っている最中だろうに、すぐに既読がつくいて、返信が来た。

『気を付けろよ。何かあれば、すぐに電話しろ』

 本当に保護者なのではないかと思えてくる。横目で五十嵐を確認しながら、指を滑らせた。

 

『いちいち返信しなくていいですよ。こちらから一方的に連絡いれていきますので。メッセージの着信音はなしでお願いします。緊急事態の電話だけ気にしてくれれば、大丈夫なので。では、また』 


 車内はそれなりに混雑しているため、五十嵐はつり革につかまってスマホを弄っている。昨夜よりも、近い位置にいるため、表情もよくわかった。その顔は、ニヤニヤと粘っこい笑みを浮かべていた。昨日下車した渋谷を通りすぎる。やはり、今日は大人しく自宅へ帰るのだろう。相変わらず、上機嫌にスマホを操作している。


 浮気相手と、後日会う約束でもしているのだろうか。しばらくすると、五十嵐の自宅のある錦糸町駅に到着した。私はドア近くに移動したが、予想に反して、五十嵐はまったく動かなかった。私は、ドア横の手すりに移動する。

 五十嵐は相変わらず、スマホを弄っている。そのまま駅を通過していった。

 まさか、今日も浮気相手に会うのだろうか。

 予想とは違った展開に、緊張感が伴う。いくら奥さんが寛容だとしても、この男の神経を疑うどころか、異常に思える。五十嵐が動いたのは、それから数十分後。終点の北千住駅に着いた時だった。

 

『自宅には帰らない模様。北千住で下車』

 それだけ送って、気づかれない程度に距離を取り歩く。しばらくすると、五十嵐は商業施設の一階の花屋の前で立ち止まって、周囲を見回していた。誰かと待ち合わせしているようだ。私の方へも顔が向けてきたが、前のような失態をしない。五十嵐の前を素通りする。そして、不自然にならないように、隣の店の雑貨店前で待ち合わせを装って私も立った。そして、新たに灰本へ現状を打ち込もうとしたとき。


 女子高の制服を来た女の子が、前を通った。美少女という言葉がよく似合うと思った。

 背が高く、長い黒髪がキラキラと輝いている。制服を着ていなければ、高校生とはわからないだろう。大人びた落ち着いた空気を纏っている。

 何となく、気になって彼女を目で追っていたのだが、次の瞬間、目を疑った。

 五十嵐は、その子に向かって手を振っていたのだ。誰かと勘違いしているのではと思ったが、女子高生も手を振り返している。

 いったい、どういう状況?

 私は衝撃派に飲み込まれる中、二人は街中へと歩きだしていた。すっかり、二人に気を取られた私は、灰本への業務連絡をすっかり、忘れてしまっていた。

 

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