間接キス

 ここ数日で随分と寒くなってきた。とはいえ、最高気温は二十度前後のことが多い。客観的に見たらまだまだ寒くはない。むしろ外出するにはいい季節になった。


 俺は今日、普段は行かない本屋に来ていた。

 大きめの店舗。書店内で検索ができてカフェが併設されている。

 ここで本を買ってコーヒーでも飲みながらゆっくりする。


 これが至福の時間でもあった。もちろん、いつも一人で訪れて一人でカフェオレと読書で優雅な時間を過ごすはずが……今日は残念ながらもう一人同行者がいる。


「へ~。すごくいい場所じゃないの」


 櫛引明日葉。こやつが暇だからと俺の後をホイホイと付いてきた。

 暇なのか? と思ったけど、大多数の高校生は暇だ。部活や勉強、その他熱中しているものがある人以外は、それなりに時間があると言っても過言ではない。


 櫛引は店内をきょろきょろと見渡したり、落ち着かない様子だった。

 俺はこの静かで静謐な装飾、それにちょっと洒落た感じで値段も学生に優しいということで好きだが、通い慣れていないと戸惑うのも無理ない。


「これからなにするの?」


「カフェオレを飲みながら本を読む。そんだけ」


「へ~。いいじゃない。私も何か読もうかな~」


「好きにすりゃいいんじゃねぇの」


 櫛引はカフェを出て行ってしまう。彼女と入れ替わりで注文したカフェオレが届いた。砂糖はなし。だけど、素材そのものがいいのか美味である。

 まだまだホットだから一口嗜んでから少し冷えるまで待つ。しばらくして櫛引が戻ってきた。


「えへへ~漫画買っちゃった」


「そう」


 だろうと思ったよ。櫛引はココアを注文。ココアも美味しいよな。

 櫛引はココアを飲もうとするが、アチアチな状態のため断念。


 しばらく他愛のない話で時間を潰した。

 櫛引はお喋りが好きなので俺は適当に相槌を打ちながら話を聞いた。


「でさでさ~。のあちーがさー、体育の授業すごかったんだよ~! 一人だけ高さが違うの! バレーであれはまじ半端なかったって!!!」


「へー」


「やっぱりカッコいいよね~! のあちーは可愛いだけじゃなくて勉強も運動も完璧! ちょっと嫉妬しちゃうけど……」


「どっちだよ。褒めてんのか憎いのか、どっちだよ」


「どっちも! でも、全然嫌味がないから好きなんだけどね」


「そうか? あいつは面白いかそうじゃないかで人を選ぶやつだからなぁ……」


 俺はそろそろカフェオレに手を出そうとするが、


「あ、橘君ってカフェオレだよね?」


「ああ」


「ちょっと、ちょっとだけ飲んでいい?」


「ちょっとだけだったらな」


「間接キスはキモいからしないでよね! わかった!?!」


「お前だけだよ。間接キスを滅茶苦茶意識している変態は」


「常識でしょ、常識! 橘君は私が飲んだところをくんくん匂いを嗅いでから舌で豆回すと思うと吐き気と悪寒が……」


「しねーよそんなこと。お前って想像力豊かだよな。どうぞ」


 俺は櫛引の方にカフェオレを滑らせる。櫛引はいただきます、と一言告げてからいただく。熱さは多少なりともひいたのか、櫛引は一口分飲んだようだ。


「美味しいじゃないの!」


「だろ。ここのドリンクを一通り頼んでみた俺としてはカフェオレが――」


 あやべっ。つーか、櫛引が間接キスしちゃったじゃん。

 口頭で注意することを忘れてしまったが故に無意識のうちに間接キスをしてしまった櫛引。これが本人に伝わると面倒なことになることは必須。黙っておこう。黙っていればわからねぇだろうし。

 

「これ頼めばよかったかも」


「また今度来た時に飲めばいいじゃねぇか」


「それもそうね。ありがと」


「ああ」


 少しだけ飲まれたカフェオレを俺はほとんど無意識のうちに飲んでしまう。

 やっぱり美味しいな、と思っていると櫛引からボンっと音が聞えた気がする。


「あ、え、ちょ!?」


「ん? どうした?」


「あ、あんたは何を……!?!」


「何って、カフェオレは俺が注文したものなんだから飲むのが普通じゃねぇのか。温かいうちに飲むのが一番だしな」


「え、ええ! そうだけども!」


 櫛引は首から上すべてがリンゴのように真っ赤に染まり、ダラダラと変な汗をかいて焦っていた。また櫛引を怒らせたかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「わざと? わざとなの!?」


「わざと? お前さ、さっきからなんなんだよ。俺の憩いの瞬間を邪魔するのが趣味なのか?」


「違う!!! えっと、だからその……」


「櫛引。ココア飲まねぇと冷えちまうぞ」


「そ、そうだけど……むぅ」


 もしかしてカフェオレがやっぱり飲みたかったのか?

 だとしたらもっと素直に言えばいいのにな。飲みたいでーすって。そうしたらココアと交換しても良かったというのに。


「んだよ。もしかしてカフェオレ飲みたかったのか?」


「ふぁっ!? ち、違うけど違くないというか、というかそんな些細な問題じゃないというか……」


「なんだよ。さっきからおかしいぞお前。熱でもあんのか?」


「ない!!! この……聞き間違え系ラブコメ主人公のバカ!!!」


「えぇ……」


 なんで罵声を浴びないといけねぇんだよ……しかも聞き間違え系ラブコメ主人公って……あれか。主人公がヤーさんの家系だったあれのことか?


 俺なんか聞き逃したか? それとも間違えたか?

 まったくなんでディスられているのかわからねぇ。


 結局、櫛引はソワソワしたまま、ココアを飲むとお代を置いて一人先に帰ってしまうのだった。


「おい。金、足りてねぇじゃねぇか……」


 まあいいや。数百円くらい誤差の範囲内だしな。

 それにしても櫛引の奴、どうしちまったんだろうな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る