小話

綾瀬の困りごと

 これは本編に出てこなかった、小さなお話。




 綾瀬莉子。彼女は学校から帰っている最中のことだった。

 バスを降りて自宅のあるマンションまで歩いて数分。その道中にて可愛らしい子猫の鳴き声を聞いて足が止まる。


「……可哀想に。捨てられちゃったのかな」


 ダンボール箱に小さな猫が座って綾瀬を見ながら鳴いた。

 綾瀬はその子に同情して膝を曲げて子猫の頭を撫でた。


「ごめんね。私の家、ペットはダメなんだ」


 綾瀬は自分の住むマンションではペット禁止であることが心苦しかった。

 本当であれば保護してあげたいが、無責任なことはできない。


 どうすればいいか。この子は私に助けを求めている。

 綾瀬の中にある母性本能が子猫を何としても助けないと、という気持ちにさせてくる。


「どうすれば……」


 綾瀬はひとまず頼れそうな人物から当たることにした。

 もちろん相手は橘千隼。彼はとても頼りになる男だった。




「子猫の保護を?」


 俺は綾瀬から話を聞いて彼女の自宅前まで来ていた。本当であれば俺は学校から帰ってきたらもう外出したくない人間だったが、綾瀬から頼まれたので仕方なく。


 で、話を聞いたはいいが俺はすぐさまノーと答えた。

 そんな易々と受け入れるには色々と条件が厳しかったのだ。


「そんな……」


 綾瀬は明らかにガッカリした表情を浮かべた。眉も下に下がって失望したことが伺える。


「俺ん家は両親共働き。その子猫が一匹って状況になっちまう。他に家族がいればいいが、残念だけど他をあたってくれ」


「でも、こんなこと頼めるのあなたしかいないのよ」


「俺を過大評価し過ぎだっつーの。困って泣きつけばシークレットな便利道具を出してくる人型ロボットじゃねーんだからさ」


「……」


 そんな悲しい顔をされると胸が痛い。俺は頭をかいてどうするか考える。

 子猫は綾瀬に懐いているが、なぜか俺に対しては敵対的で噛んでくる。

 俺はそんなに人相まで悪いのか? 俺は無害でちゅよ~。いたっ!?


「あなたの心の汚れを子猫は見抜いているのよ」


「くそ……俺は純粋無垢なだけだ。世の中の人間は年を重ねて大人になるにつれて、ごめんもありがとうも言えなくなる。俺はなにかったら悪いとサンキュが言える人間だ」


「相変わらず屁理屈を……」


 綾瀬はこめかみを押さえて溜息をついた。

 俺は腕を組んでどうしたもんかと頭を悩ませる。


「周りにペットオッケーな奴いるか?」


「そうね……明日葉ちゃんはダメだと言ってたし、桃ちゃんもNG。他は――」


「あいつは? 長谷部。あいつの家ってほら、広すぎてたまげちまうくらいだから一匹くらいいても大丈夫だろ」


「そうね。あの子しか頼める人はいないものね」


「ああ。あいつに電話して聞いてみたらどうだ」


 綾瀬は長谷部に電話すると、ワンコールで応答したようだ。

 あれこれ事情を説明して長谷部は何を考えたのか、母親を使ってわざわざ綾瀬のマンションまでやって来た。到着まで十分も経っていない。


「莉子と千隼に頼まれちゃうとはね~。私ってもしかして愛されてる!?」


「「いや……」」


「なんで否定の言葉だけ一緒なのさ~! 乃唖ちゃん大ダメージなの~」


 なんだろう。こいつが現れると一気に疲労度が溜まるような。

 綾瀬も同じなのか眉間にしわを寄せてやれやれと首を振っていた。


「ああ、これが噂の子猫ちゃんね。さしずめ千隼と莉子の子ども……」


「そういうのいいから。で、お前んところはどうだ? 無理だとしてもあてがあると助かる」


「ぶーぶー! 千隼は相変わらずノリが悪い~。私はいいけど、ママが猫アレルギーだからダメ。だけど、パパとママの友人に当たっていけば飼ってくれる人いると思うよ」


「では、長谷部さんにお願いするから――」


「ね~ね~莉子さ~。長谷部、じゃなくて乃唖ちゃん♡ って呼んでくれないとこの子引き取らないぞ~。しっしっし」


 長谷部はクッソどうでもいいことにこだわるようだ。

 とはいえ、乃唖ちゃん♡ と言えばいいだけのこと。大したことないと思ったが、綾瀬からすると嫌なのか目を細めて長谷部を睨んでいる。


「乃啞ちゃん♡ 乃唖ちゃん♡ だぞ~。しっしっし~楽しみだな~」


「綾瀬。とっとと呼んでやれよ。それで万事うまくいくんだからさ」


「……」


 綾瀬は苦渋の決断を迫られたような、そんな深刻そうな顔で俺に助けを求めてきた。俺は諦めろと目で言い、どうにかしなさいよ、と言われて無理だねとジェスチャーした。


「呼んで呼んで~♪」


 長谷部は未だに綾瀬のことが好き。俺の知らないところでこうやってダル絡みされているんだろうな。ご愁傷様。


「……わかった。呼べばいいんでしょ」


「お~!?!」


「乃唖ちゃん……」


「ん~? 聞えな~い」


「乃唖、ちゃん」


「え~?」


「乃唖ちゃん!」


「♡がないな~」


「……乃唖ちゃん♡」


「ぐはぁっ!?! な、なんという威力なんだ!? あの全然私にデレてくれない、あの莉子から名前で呼んでもらえるなんて……ああ、私はここまで生きてきてよかった……」


「満足したか。んじゃ、俺は帰るわ」


「ちょっとちょっと~! 千隼さ~もうちょっと空気読んでくれないかな~? 今のあれは一生残るかもしれないんだよ~? ね~ママ?」


「ええ。しっかりビデオに収めましたから」


 どうやら長谷部母がひっそりとビデオ撮影していたようだ。

 スマホでの撮っていたが、昨今のバカ高いスマホなら綺麗に細部まで撮れていることだろう。


「え、何してるの!?! 長谷部さん!!!」


「しっしっし~。それじゃあ、子猫ちゃんは私が責任をもって新しい飼い主さんを探すね~」


「ちょっと待ちなさい!」


「いやん♡ 莉子が私の体を強引につかむなんて……もう……♡」


「……」


 仲いいな、あいつら。


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