116.答え
俺は櫛引のことをどう思っているのか。
俺は物語を書き換えることを恐れているだけなのか?
それとも上記の言い訳を盾に本質から目を逸らしているだけなのか?
「俺は――」
ダメだ。イエスかノーかどちらに絞ることができない以上、迂闊な返答は櫛引を傷つけるだけだ。
「なあ、櫛引」
「下の名前で呼んで。じゃないといたずらするから」
「……明日葉」
「なーに?」
「俺は――」
頭の中で何一つ議論がまとまらずカオス状態になっている。
まるで台風が街を襲い、ありとあらゆるものを吹き飛ばしているような状況だった。
「わからねぇんだよ。俺自身の気持ちってやつが」
「なんで?」
俺は天井に向けて利き手の右手を伸ばす。
何かを掴もうと必死になっているがその何かは手をすり抜け、己の手に収まらないばかりか逃げて行ってしまう。
「一つ言っておく。俺は優しくねぇよ。俺は一人の人間として当たり前のことをしているだけだ。生活が豊かになるにつれて消失しちまった、人間としての当たり前を俺は息を吸うことと同じだと自負してしているにすぎねぇ。それを優しいの一言で片づけられるのは違う」
「でも」
「仮にだ。道端で倒れている人がいた。俺がその人を助けた。そうすると警察かどうか知らねぇが感謝状を贈るだろ。君は勇気を持って~だとか、人命救助を~ってそれらしき理由をつけてだ。俺はそんなもののために助けたわけでもないし、そんな感謝状を贈るほど、今の世の中は冷たくなったのかって。悲しいよな。俺は倒れていた人が無事でありがとうって言葉を貰ったらそれでいい。お金も名誉もいらねぇ。俺からしたら人として当たり前のことをしたにすぎねぇから」
「……」
「善意とか人に認められたいから。そういう至極真っ当で承認欲求のためにやっているわけじゃねぇ。そこは勘違いしないでくれると助かる」
「はぁー……相変わらずひねくれてる。次元が歪むほどひねくれてるなー」
「こういう性格だからな。諦めてくれ」
「はいはい。で、まだあるんでしょ?」
「ああ。明日葉は俺を高く見過ぎだ。俺は……人間一人を救い出せるほどの力もなければ、人を惹きつけられるほどの魅力もない。きっと俺と一緒に居ても面白くない。だって、自分のことは自分が一番わかっている。俺は……」
「ほーら。それはひねくれじゃなくてただ卑下しているだけ」
えい、と櫛引は指で俺のおでこを突いた。
「千隼は千隼。誰にも染まらない、自分の色を持っている。それってすごいよ。私は周りに流されて、自分の意見も言えない。だから私は千隼が他の人にない、魅力に惹かれたんだよ」
「自分の意見を言えば反感を生むかもしれねぇ。敵対するかもしれねぇだろ」
「自分の気持ちを偽って、誰かに媚びへつらう方が嫌いだよ。私は」
「……」
「今すぐに返事貰おうと思ったけどやめる。なんか、千隼が困っちゃってるし。告白の返事。待ってるからね」
「………………ああ」
「ごめんね。急にその……」
「別に」
「そっか」
またベッドが軋んだ。と思ったら俺のマットレスが凹んだ。
どうやら櫛引が起き上がって俺のマットレスを踏んだようだ。
「トイレか?」
「ううん」
薄っすらと櫛引の顔が見えた。
覚悟を決めた力強く輝いた眼をしていた。
「これは私が本気だっていうことの証明だから」
櫛引はふざけることなくそう言い放ち、マットレスに膝をついて唇を重ねてきた。
俺は目の前が突如真っ暗となり唇に燃えるような熱量を放ち、身も心も溶かしてしまうような柔らかい何かが激突したことに思考が停止してしまった。
この官能に満ちた感覚が唇から全身に電流のように駆け巡り、脳内に麻薬を直接流し込んだようなリビドーに包まれた。
この永遠とも思われる時間は続かず。
唇に熱がなくなった。そうか。櫛引が顔を離したんだ。
「好きじゃないとこういうのしないんだからね?」
「……」
櫛引は顔を紅潮させ、運動もしていないのに肩で息をしていた。
「なにその顔。もっとびっくりするかと思ったのに」
「いや……突然のことで状況把握できなかったんだ」
「あはは! 不意はつけたかな? えいっ!」
今度は俺のお腹にまたがって座り込んだ。
そしてまた再度、接吻、いやキスをしてきた。
まるでマウンティングされて一方的に犯されているような。
初めての体験に拒否することを忘れてしまった。
「する?」
櫛引はキスを止め俺の耳元で囁いた。
「しない」
「なんで? 海外ではそっちをしてから付き合うって言うよ?」
「それは考えが違う。俺はその場の勢いに流されてしたくねぇだけ。そんなことしたら俺は俺が許せなくなる」
「……」
「冷静になれ。櫛引。お前は炎上の件で心が弱っているときだ。その心の隙間に付け込んでお前を傷つけたくねぇ」
「そっか。そうだよ……ね。ごめん」
「そうなるのも仕方ねぇ。ただ気をつけろ。弱みにつけ込んで骨まで食い尽くす恐ろしい人間もいるからな」
「ちゃんと私のために注意してくれる。そういうところ、好きだよ」
「……いいから降りろ。ったくよ……寝れねぇじやねぇかよ」
「あ、ツンデレだ」
「ツンデレじゃねーよ。本物のツンデレ知りたいんだったら某作家の自ら盲目になった男の作品でも読めっつーの」
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